外開きのドアを開けた正面に、ワイシャツ姿の男性が立っていた。
 廊下はフロアと違い、消灯しない。蛍光灯の光の下で、彼の顔はよく見えた。
 何度も見ているような、はじめて見るような、不思議な印象の人だった。
 たぶん三十歳前後。身長は、低くはないけれど、高身長には入らない。清潔に整えられた黒い髪に、黒縁の眼鏡。まじめそうにも適当そうにも見える、表情に乏しい顔。目鼻立ちは……これといった特徴がなさすぎて、形容しようがない。
 だけど私は、雷に打たれたように理解した。
 この人だ。
「あ……」
 声がうまく出ない。ドアの前に立ちすくみ、目の前の男性を凝視した。やっとのことで、「なんで……」と問いかける。
〝彼〟が口を開いた。
「きみの根性と推理力に敬意を表して」
 電話の声だ。
 自分でも驚くほど感動している。この人が、あの電話の主だ。
 はっと気づいて彼の胸元を見た。赤いネックストラップに、私と同じ社員証を提げている。社員証の色も私と同じ。ということは、興産じゃなく、彼はここ、天名インダストリーズの社員だ。
 氏名は……ここからだとちょっと遠くて読み取れない。
 私の視線に気づき、彼が自分の胸元を見下ろした。私は慌てた。
「あっ、あの、お名前を……」
 ロマンス映画みたいな台詞だ。そして、もしかしたら社員証を隠されてしまうかもと思ったのは、杞憂に終わった。
 彼は社員証の入ったクリアケースを指でつまみ、私の目線の高さまで持ち上げる。
 使っているのは──左手!
柊木(ひいらぎ)皇司(おうじ)
 秘密を打ち明けるふうでもなく、彼がさらりと名乗った。
 柊木……皇司。
 私はたしかに、社員証からその氏名を読み取った。印刷してある顔写真は、目の前にある顔より、少し若い。
 妙に心地いい、静かな声が言う。
「またなにかあれば、第二総務部へ」
 我に返ったときには、目の前に社員証も人影もなかった。
 すぐ横にある階段を下りていく足音がする。彼がどこの階へ行くのか追いかけたい衝動に駆られたけれど、こらえた。
 私がそうはしないことを、彼が期待しているのがわかったからだ。高潔な幕引きにしましょう、と言われている気がした。
 興奮冷めやらぬ思いを胸に、私はコンビニへ行くため、エレベーターへ向かった。