『俺をこっそり、社内に入れてもらえませんか』
そう頼まれた私は、続く自己紹介を聞いて悩んだ。よりによって昨日、大勢の社員の目の前で投げていた人気投手。社内に入れるのは、社員なんだからいいとして、問題は〝こっそり〟だ。Tシャツにジーンズという格好だけでも目立つのに、おそらく社内には、彼の顔を知る人が山ほどいる。
そして私は午後イチで打ちあわせが入っており、悩む時間もあまりなかった。そこで地下二階の伝言板を使うことを思いついた。
はたして、書いてどれくらいの時間がたてば見つけてもらえるのかわからなかったけれど。実際は、書こうとしてチョークを手にした瞬間、柊木さんが現れた。
説明をする時間もなく、そもそも説明できるほどの情報を持っていなかったんだけれど、男性を柊木さんに預けてダッシュで部署に戻り、一時間弱ほどの打ちあわせを終え、席に戻ったら、机の上にこの会議室の部屋番号が書かれたメモが置いてあったのだ。柊木さんの字だった。
すっ飛んできた私を出迎えたのが、静かに怒れる彼だったというわけだ。佐行さんの煽りも、彼の不機嫌の理由のひとつと思われる。
コンコンと会議室のドアがノックされた。柊木さんが開けたドアを肩で支えるようにして、「失礼しまーす」と入ってきたのは阿形さんだ。PCやバインダーを入れた青いコンテナを両手で持っている。それをどかっと会議机に置くと、すたすたと澤口さんのほうへ寄っていった。
「うわーすごい、本物じゃん。あ、俺、阿形っていいます、よろしく」
私は彼があっさり名乗ったことに驚いた。この暑いのにきっちり着ている上着の内ポケットから、名刺入れまで出しているじゃないか。
彼らの名刺なんてあるのか、私もほしい。
「澤口です。すみません、お邪魔しまして」
澤口さんは律(りち)義(ぎ)に立ち上がり、差し出された名刺を受け取る。
「阿形さん……、みなさん、秘書室の方なんですね」
え、秘書室? ……みなさん?
私がいない間に、柊木さんと佐行さんも名刺を渡していたらしい。澤口さんがおずおず微笑み、みんなを見回した。
「あの、失礼なんですが、秘書室ということは……、俺のことは、もう剣崎社長には伝わっていたり、しますか……?」
そう頼まれた私は、続く自己紹介を聞いて悩んだ。よりによって昨日、大勢の社員の目の前で投げていた人気投手。社内に入れるのは、社員なんだからいいとして、問題は〝こっそり〟だ。Tシャツにジーンズという格好だけでも目立つのに、おそらく社内には、彼の顔を知る人が山ほどいる。
そして私は午後イチで打ちあわせが入っており、悩む時間もあまりなかった。そこで地下二階の伝言板を使うことを思いついた。
はたして、書いてどれくらいの時間がたてば見つけてもらえるのかわからなかったけれど。実際は、書こうとしてチョークを手にした瞬間、柊木さんが現れた。
説明をする時間もなく、そもそも説明できるほどの情報を持っていなかったんだけれど、男性を柊木さんに預けてダッシュで部署に戻り、一時間弱ほどの打ちあわせを終え、席に戻ったら、机の上にこの会議室の部屋番号が書かれたメモが置いてあったのだ。柊木さんの字だった。
すっ飛んできた私を出迎えたのが、静かに怒れる彼だったというわけだ。佐行さんの煽りも、彼の不機嫌の理由のひとつと思われる。
コンコンと会議室のドアがノックされた。柊木さんが開けたドアを肩で支えるようにして、「失礼しまーす」と入ってきたのは阿形さんだ。PCやバインダーを入れた青いコンテナを両手で持っている。それをどかっと会議机に置くと、すたすたと澤口さんのほうへ寄っていった。
「うわーすごい、本物じゃん。あ、俺、阿形っていいます、よろしく」
私は彼があっさり名乗ったことに驚いた。この暑いのにきっちり着ている上着の内ポケットから、名刺入れまで出しているじゃないか。
彼らの名刺なんてあるのか、私もほしい。
「澤口です。すみません、お邪魔しまして」
澤口さんは律(りち)義(ぎ)に立ち上がり、差し出された名刺を受け取る。
「阿形さん……、みなさん、秘書室の方なんですね」
え、秘書室? ……みなさん?
私がいない間に、柊木さんと佐行さんも名刺を渡していたらしい。澤口さんがおずおず微笑み、みんなを見回した。
「あの、失礼なんですが、秘書室ということは……、俺のことは、もう剣崎社長には伝わっていたり、しますか……?」