この会社には言い伝えがある。
 地下二階の、公衆電話ブースだった場所。そこにひっそりと残っている昔ながらの伝言板。困ったことが起こったとき、あるメッセージと自分の内線番号をその伝言板に書くと、助っ人が現れるというのだ。
 どう考えても、漫画を読みすぎた人が考えた都市伝説でしょ。
 そんなことはわかっている。だけどその日の私は、藁にもすがりたい思いだった。
 昭和中期に建てられた、十階建てのおんぼろビル。立地だけは最高で、日本一の乗降客数を誇る駅の出口の目と鼻の先にある。
 地下二階からビルを出れば、そこは駅に直結する広大な地下街だ。周辺のオフィスビルや商業施設とも地上に出ることなく行き来できる。
 飲食店のテナントが入った地下一階と地下二階をつなぐエスカレーターのたもと、太い柱に挟まれたくぼみに、公衆電話の台座だけがふたつ、撤去の手間すらかけてもらえず佇んでいる。
 私はその前に立ち、ふたつの台座の間にある伝言板と対峙した。
 残業時間帯である今、周囲は帰宅する従業員がたまに通りかかるだけだ。建物内とはいえ空調は絞ってあり、四月にブラウス一枚だと肌寒い。
 古ぼけた木のトレイに、白いチョークと黒板消しが置いてある。意を決してチョークを手に取り、何列かに区切られた伝言枠の真ん中の列に文字を書いた。
【第二総務部、お仕事です! 内線六四〇七 生駒(いこま)まい子】

 翌朝、出社した私のデスクの上に、一枚のメモ用紙が置いてあった。
【おさがしの親睦会費は金庫に入っています。第二総務部】
「えっ!?」
 思わず大きな声をあげてしまった。
 部署にはまだ、私のほかに数名しか出社していない。「どうしたの」と目を丸くしている先輩に、「すみません、なんでもないです」と手を振って返す。
 私はコートも脱がず、仕切りの役目も果たしているキャビネットの一番上の引き出しを開けた。小さな青い手提げ金庫が入っている。
 金庫の暗証番号を知っているのは、代々の集金担当者だけだ。つまり今は私だけ。
 なのに開けて中を見たらそこには、昨日なくなったはずの集金袋が入っていた。
 集金袋といっても、鍵がついていたりするたいそうなものじゃない。ファスナーつきのビニールケースだ。
 中の紙幣と小銭を確かめてみたところ、一円も減っていなかった。
「うそ……」