シーンとした。

 完全にすべった空気。ちょうど紅白の大舞台で、ミヤコに向かってミソラ言うてしまったみたいに。

「なんやこの静けさは……寒い」

「ゆーとぴあみたいに言うな! じゃあ貴様、肩こりのツボ押したら、死人の肩こりが治るっていうのか。え?」

「たぶん、な」

「ならやってみろ。ほら、そこに菊池が寝てる」

 ミイラ化したマッカーサーが、冷蔵庫の横で、うつろな目を天井に向けとった。それ見とると、ええアイデアやと思っとった自信が、みるみるうちにしぼんでいった。

「わし、まちごうとったかな」

「いや、ぼくも同じこと考えてたよ。ツボに不可能はない。さあ、ドーンとやってみよう!」

 どうぞどうぞと、イッチがダチョウ倶楽部みたいに勧めるポーズをした。

「イッチに任せるわ。あんた、死体触るの平気やろ」

「まあね。えっと、生き返れか。い、き、か、え、れ……『れ』で始まる場所ってある?」

「れ、れ、れ……らりるれろで始まるのって、日本語には少ないな」

「じゃあ英語で探そう。レ、RE、LE……あった、レッグだ!」

「よっしゃ。い、は胃やろ。き、は?」

「胸骨がある。か、は踵。え、は……えら?」

「えらがあんのは魚やろ」

「いや、顎の外側のことだよ。片桐はいりで有名な」

「おお、あれな。ええんちゃう」

「とすると、胃、胸骨、踵、えら、レッグだね。よし、やってみるよ」

 イッチがマッカーサーの死体の横に、礼儀正しく正座し、両手を合わせてお辞儀してから、おもむろに胃のマッサージをした。

「クミちゃん……」

 サンマルチノが、複雑な顔で見とった。親友の死体がトップバッターで実験されてるのが、痛ましいのかもしれん。

「もし、これが成功したら、どうなるの?」

「あらわたし、寝てたのかしらって、むっくり起きてくるやろな」

「失敗したら?」

「干からびたまんま、ちゅうことになる」

「半分成功で、半分失敗したら?」

「半分? さあ……ゾンビ化して、襲ってくるんかな」

 イッチが真剣に、胸の骨、踵、えらの順番で揉み、最後のレッグにとりかかった。黒のレザーパンツを穿いた脚を、太ももからすねまで丁寧に、両手で包み込むようにしてマッサージする。

「どや? 心臓動きだしたか?」

「いや。でもぼく下手だから、効果が出るまで、何日もかかるかもしれない」

「アカンで。腐乱してから生き返ったら、バタリアンの誕生やからな」

「おい、何時間待ったらいいんだ。朝までは無理だぞ」

 タマちゃんが、イライラしたように腕時計を見た。

「客が来る前に、死体を隠さないと。ほかの支店から応援を頼む必要もあるし、タイムリミットは朝の五時、あと一時間だ」

「あんたまだ、営業考えとったんか」

 わしは呆れた。金に汚くて、ずうずうしくて、顔と声と態度がでかい。まんま西川のりおやないか。

「あと一時間ですね。では菊池先輩は置いといて、秋山先輩に移りましょう」

 料理番組みたいな手際で、イッチが移動した。古参兵は、入口近くの床で、苦悶の表情を浮かべて硬直しとる。

「失礼します。どうか生き返ってください」

 趣味の悪い、横縞のパジャマを着て横たわってる古参兵の姿は、脱走に失敗して撃ち殺された囚人みたいに見えた。今さらながら、仇名をザ・コンビクトに変えたくなる。

「さあ、レッグまでやりました。次は山岸先輩か、永作先輩をします」

 イッチが、額の汗を拭いて言うたときやった。

 サンマルチノが悲鳴をあげた。

 反射的に振り向く。視線の先に、マッカーサーの干からびた死体。

 そのうつろな目玉が、動いたように、見えた。

「おおっ!」

 わしの尻が、勝手にきゅっと固くなった。あ、もしかして、これが尻小玉の正体かと、脈絡もなく思った。

「……クミ、ちゃん?」

 サンマルチノが呼びかける。すると完全に、黒目がそっちを向いた。

「生きとるやん。あれ、目玉動いたよな。なあ?」

 イッチの腕をつかんで言う。イッチは身体を固くして、なにも言わない。

 マッカーサーが、まばたきをした。これで決まりや。死人はまばたきなんかせん。マッカーサーが、生き返った!

「クミちゃあん!」

 サンマルチノが、泣きながらマッカーサーにむしゃぶりついた。マッカーサーの目が、不思議そうな色を浮かべ、わしらを順繰りにきょろきょろと見た。

「ちょっと……重い」

 マッカーサーが言うた。するとサンマルチノが、わーわー号泣した。わしもつられて、涙がすーっと頬に流れた。

「イッチ、やったで。あんた、人を生き返らせたんや。あんたこそ、マスターモミゾウや!」

 イッチの腕を揺さぶって言うた。イッチはそれに答えず、ガタガタ震えていた。どうしたんかと思って顔を見ると、星飛雄馬ぐらい泣いとった。

「どうして泣くん。いいことしたんやで、イッチ」

「いや、オーナーを見たら、つい……」

 イッチの指差したほうを見た。テーブルに手をついて立っていたタマちゃんが、腕を目に当てて、まるで母を亡くした少年のように泣いていた。

「あれれ、鬼の目にも涙やな。なんやみんな泣いて。ええことなのに。喜ばしいのに泣くなんて、ホンマ、人間っておかしいなー」

 サンマルチノの手を借りて、マッカーサーがよろよろと立った。テーブルに行って坐ると、ふっと照れたような顔になって、

「ごめんなさい。なにか食べようと思って食堂に来たんだけど、お腹がすきすぎて、気を失っちゃったみたい。ところで、山岸ちゃんを殺した犯人は?」

 シンとした。みんなこの状況を、どう説明したらええかわからんのやった。

「えっとな、姉さん、落ち着いて聞いとくれ。姉さんさっきまで、死んどったんや」

「……?」

 思いっきり、ハテナの顔をした。するとそれがおかしかったんか、サンマルチノがぷーっと噴き出した。

「なによ、イチゴちゃん。今のどこが面白いの?」

 サンマルチノは床に崩れて、ヒーヒー笑い転げた。タマちゃんも、涙に濡れた顔でゲタゲタ笑った。イッチすら声をあげて笑った。わしも、腹筋がヒクヒクなって、M―1の観客くらい爆笑した。

「さっきまで死んでた? 空腹で倒れただけなのにい」

 もうたまらんかった。わしもイッチもタマちゃんも、みんな床を転げて笑った。そうや、これが真理や。人が生きるんは、むちゃくちゃ泣けてむちゃくちゃおもろい。わしはそれを知ったで!

「いいかげんにしてよ、もおー。はいはい、あたしは死にました。そして生き返りました。これでいい?」

「ええ、ええ、姉さんビンゴや。あー、もうこれ以上笑かさんでくれ。わしらのほうが死んでまう」

「なんだかちっともわからないけど……ねえ、主任、この人たちどうしちゃったの?」

 床からよいしょと立ちあがって、なにげなく横を見たら、古参兵が普通に立っとった。わしはまた、わっと床にひっくり返った。

「どうしちゃったっていうか……あれ、おかしいな。クミさん、死ななかったっけ?」

「なによ主任まで! みんなしてバカにする気」

「どうも記憶が……はて。おれ今、なにしてたんだろう」

「今の今まで死んでたで」

「?」

 また爆笑が起こった。わしら四人は、お互いの身体をバシバシ叩き合い、床をバタバタ蹴って、涙が涸れるまで笑った。

「あーおかしい。この調子で、みんな生き返らせてくれ」

「任せて。オーナーも、手伝ってくれますか?」

「おう!」

 イッチとタマちゃんが食堂を出ていった。そのあいだに、わしとサンマルチノで、起きたことの説明をマッカーサーと古参兵にした。

「おれが窒息う?」

 古参兵は首を捻ったが、マッカーサーがミイラ化したのは憶えとったから、

「クミさんは、確かに死んでたしなあ。うーん、じゃあおれも、一回死んだのかもしれん。妙な気分だな、テヘッ」

「あたしが餓死したかどうかは別にして、山岸ちゃんは確実に水死したでしょ。それが生き返るっていうの?」

「変態オヤジだけやない。アホもソバカスも死んだんや。今からそれを起こすで」

 これがうまくいったら、すだれ髪もタコ社長も生き返らせたい。死体がどこにあるかはしらんが、きっとやってみせるでと闘志が湧いた。

「だけどさあ」

 古参兵が、イマイチ納得できんという顔をした。

「電話線が切られてたじゃん。あれがあったから、これは殺人事件だと思ったんだけど、もしツボが原因だとしたら、誰がどんな理由で切ったんだ?」

「もしかしたら、で、ん、わ、せ、ん、き、れ、いう順番で、誰かのツボを押してしまったのかもしれん」

「なんだよ、それ。ん、が二回もあるぞ」

 テレフォン、でもンが出てくるし、さてほかにどんな言い換えができるかと、一生懸命考えとると、

「おいみんな!」

 ソバカスが興奮気味に、変態オヤジを引っ張って食堂に飛び込んできた。

「山岸さんが蘇生した!」

 爆笑。マッカーサーも古参兵も、大口開けて笑った。やっぱり真理や。生き返りは、テッパンの爆笑ネタなんや。

「あんたかて、立派に死んどったがな」

 わしは腹がよじれるほど笑った。しかし、イッチの上達ぶりは恐ろしかった。ちょちょっと揉んで、あっという間に外れた首をつけるんやから。

「兄さんホンマに、首とれたの知らん?」

 今度は変態オヤジとソバカスに、これまでのことを説明した。

「ワタシが犬神家?」

「おれっちがTT兄弟?」

 信じようとしない二人に、サンマルチノとわしが、身振り手振りで解説した。

「そんなあ。首がネジなわけないっしょ」

「ワタシ、いくら世をはかなんでも、洗濯機に身投げはしません」

 とそこへ、階段を駆けあがる音がして、アホが入ってきた。

「みんな、オーナーがおかしくなったぞ。ギシさんが生き返ったとか言い出してる」

「ワタシですか?」

 変態オヤジが振り向くと、アホがわっと飛びあがった。

「わーっ、気持ち悪りい! オエーッ!」

 走って出ていった。おおかたトイレで吐いてくる気やろう。泣く、笑う、のほかに、人によっては吐くという反応があることもこれで学んだ。

「いやー、まいった、まいった。ほんとにギシさんですか?」

 タマちゃんとイッチが食堂に戻ってきたあと、アホが神妙な面持ちで入口に立ち、まじまじと変態の顔を見つめた。

「う、また胃が……このキモさはやっぱり本物だ」

「阿部さん」

 ソバカスが、感に堪えんという様子で言った。

「生き返ってくれてありがとうございます。もう少しでおれっちが、阿部さん殺しの犯人にされるところでした」

「なに言ってんの?」

 アホにも説明した。アホはアホやから、なかなか理解できんでいたが、最後は無理やり自分を納得させた感じで、

「言葉の意味はわからんけど、とにかくギシさんが生きてるのはわかった。ということは、元に戻ったわけだ」

「そうや。これで死んだスタッフは、全員生き返った。ノー問題や」

「そうだ、貴様ら。今日も一日通常業務、永作はおれとチヌ釣りだ」

「うへー、また地獄の日々が始まる」

 みんな笑った。タマちゃんも、自分がディスられたのにも気づかず陽気に笑い、

「さあ、手をつなごう。輪になろう!」

 調子に乗ってはしゃいだ。みんなも、なにはともあれめでたいと、手をとり合って輪になった。

「右にステップ、ワン、ツー、スリー、フォー」

 全員が、時計まわりの反対にまわりだす。わしの右手はイッチ、左手はサンマルチノにつながれとる。

 なぜか、このとき、背すじを冷たいものが走った。

「うふふ、面白いわね」

 サンマルチノが、横で小さく笑う。その手を離そうとしても、万力のように固く締まって離れない。

「大道めぐり、大道めぐり」

 サンマルチノが囁く。アカン、と言おうとしたが、どういうわけか、上唇と下唇が引っついてはがれない。

 みんなが生き返って喜んだのも束の間、得体の知れない恐怖が襲ってきた。

 この、ぐるぐるまわってる人らは、一回死んだことにも気づかず、生きてる。

 ということは、もしかして、わしも――?

 タマちゃんとサンマルチノと闘ったとき、床で頭を打った。あのときに、ひょっとしたら、死んだのかもしれない。

 そのあと、イッチも殺されたのかもしれない。

 だとすると、今いるここは、死者の国――?

「大道めぐり、大道めぐり」

 サンマルチノの声が大きくなる。まわればまわるほど、気が遠くなっていく。

 いったいなにが本当なんや。わしは生きてるのか、死んでるのか。

 ここは夢の国か、それとも死者の国か。

 そもそもわしはどうしてここに来た? ツボ? あれは本当か。もしそうでなかったら、これはただの夢か。だとしたら、いつ目が醒めるのか。

 それとも現実世界で、わしはもう、死んだことになっとるのか――

「大道めぐり、大道めぐり。さあ、数えなさい。わたしたちは何人いる?」

 頭の中で指を折る。わし、イッチ、タマちゃん、サンマルチノ、マッカーサー、古参兵、アホ、ソバカス、変態オヤジで、九人。

 手でつながった輪を見る。全員知ってる顔。それ以外には誰もいない。わしから始めて、左まわりに数える。一、二、三、四……

「七、八、九……十」

 サンマルチノを数えたとき、それは、十になった。

「出てきたわね」

 サンマルチノの視線の先を追う。わしの右、それはイッチのはず。

 が。

「まいど」

 きっちり散髪されたヘアースタイル。三角眉毛に黒縁メガネ。

「……オーマイゴッドファーザー降臨」

 日本一の漫才師が、そこにいた。