シーンとした。
完全にすべった空気。ちょうど紅白の大舞台で、ミヤコに向かってミソラ言うてしまったみたいに。
「なんやこの静けさは……寒い」
「ゆーとぴあみたいに言うな! じゃあ貴様、肩こりのツボ押したら、死人の肩こりが治るっていうのか。え?」
「たぶん、な」
「ならやってみろ。ほら、そこに菊池が寝てる」
ミイラ化したマッカーサーが、冷蔵庫の横で、うつろな目を天井に向けとった。それ見とると、ええアイデアやと思っとった自信が、みるみるうちにしぼんでいった。
「わし、まちごうとったかな」
「いや、ぼくも同じこと考えてたよ。ツボに不可能はない。さあ、ドーンとやってみよう!」
どうぞどうぞと、イッチがダチョウ倶楽部みたいに勧めるポーズをした。
「イッチに任せるわ。あんた、死体触るの平気やろ」
「まあね。えっと、生き返れか。い、き、か、え、れ……『れ』で始まる場所ってある?」
「れ、れ、れ……らりるれろで始まるのって、日本語には少ないな」
「じゃあ英語で探そう。レ、RE、LE……あった、レッグだ!」
「よっしゃ。い、は胃やろ。き、は?」
「胸骨がある。か、は踵。え、は……えら?」
「えらがあんのは魚やろ」
「いや、顎の外側のことだよ。片桐はいりで有名な」
「おお、あれな。ええんちゃう」
「とすると、胃、胸骨、踵、えら、レッグだね。よし、やってみるよ」
イッチがマッカーサーの死体の横に、礼儀正しく正座し、両手を合わせてお辞儀してから、おもむろに胃のマッサージをした。
「クミちゃん……」
サンマルチノが、複雑な顔で見とった。親友の死体がトップバッターで実験されてるのが、痛ましいのかもしれん。
「もし、これが成功したら、どうなるの?」
「あらわたし、寝てたのかしらって、むっくり起きてくるやろな」
「失敗したら?」
「干からびたまんま、ちゅうことになる」
「半分成功で、半分失敗したら?」
「半分? さあ……ゾンビ化して、襲ってくるんかな」
イッチが真剣に、胸の骨、踵、えらの順番で揉み、最後のレッグにとりかかった。黒のレザーパンツを穿いた脚を、太ももからすねまで丁寧に、両手で包み込むようにしてマッサージする。
「どや? 心臓動きだしたか?」
「いや。でもぼく下手だから、効果が出るまで、何日もかかるかもしれない」
「アカンで。腐乱してから生き返ったら、バタリアンの誕生やからな」
「おい、何時間待ったらいいんだ。朝までは無理だぞ」
タマちゃんが、イライラしたように腕時計を見た。
「客が来る前に、死体を隠さないと。ほかの支店から応援を頼む必要もあるし、タイムリミットは朝の五時、あと一時間だ」
「あんたまだ、営業考えとったんか」
わしは呆れた。金に汚くて、ずうずうしくて、顔と声と態度がでかい。まんま西川のりおやないか。
「あと一時間ですね。では菊池先輩は置いといて、秋山先輩に移りましょう」
料理番組みたいな手際で、イッチが移動した。古参兵は、入口近くの床で、苦悶の表情を浮かべて硬直しとる。
「失礼します。どうか生き返ってください」
趣味の悪い、横縞のパジャマを着て横たわってる古参兵の姿は、脱走に失敗して撃ち殺された囚人みたいに見えた。今さらながら、仇名をザ・コンビクトに変えたくなる。
「さあ、レッグまでやりました。次は山岸先輩か、永作先輩をします」
イッチが、額の汗を拭いて言うたときやった。
サンマルチノが悲鳴をあげた。
反射的に振り向く。視線の先に、マッカーサーの干からびた死体。
そのうつろな目玉が、動いたように、見えた。
「おおっ!」
わしの尻が、勝手にきゅっと固くなった。あ、もしかして、これが尻小玉の正体かと、脈絡もなく思った。
「……クミ、ちゃん?」
サンマルチノが呼びかける。すると完全に、黒目がそっちを向いた。
「生きとるやん。あれ、目玉動いたよな。なあ?」
イッチの腕をつかんで言う。イッチは身体を固くして、なにも言わない。
マッカーサーが、まばたきをした。これで決まりや。死人はまばたきなんかせん。マッカーサーが、生き返った!
「クミちゃあん!」
サンマルチノが、泣きながらマッカーサーにむしゃぶりついた。マッカーサーの目が、不思議そうな色を浮かべ、わしらを順繰りにきょろきょろと見た。
「ちょっと……重い」
マッカーサーが言うた。するとサンマルチノが、わーわー号泣した。わしもつられて、涙がすーっと頬に流れた。
「イッチ、やったで。あんた、人を生き返らせたんや。あんたこそ、マスターモミゾウや!」
イッチの腕を揺さぶって言うた。イッチはそれに答えず、ガタガタ震えていた。どうしたんかと思って顔を見ると、星飛雄馬ぐらい泣いとった。
「どうして泣くん。いいことしたんやで、イッチ」
「いや、オーナーを見たら、つい……」
イッチの指差したほうを見た。テーブルに手をついて立っていたタマちゃんが、腕を目に当てて、まるで母を亡くした少年のように泣いていた。
「あれれ、鬼の目にも涙やな。なんやみんな泣いて。ええことなのに。喜ばしいのに泣くなんて、ホンマ、人間っておかしいなー」
サンマルチノの手を借りて、マッカーサーがよろよろと立った。テーブルに行って坐ると、ふっと照れたような顔になって、
「ごめんなさい。なにか食べようと思って食堂に来たんだけど、お腹がすきすぎて、気を失っちゃったみたい。ところで、山岸ちゃんを殺した犯人は?」
シンとした。みんなこの状況を、どう説明したらええかわからんのやった。
「えっとな、姉さん、落ち着いて聞いとくれ。姉さんさっきまで、死んどったんや」
「……?」
思いっきり、ハテナの顔をした。するとそれがおかしかったんか、サンマルチノがぷーっと噴き出した。
「なによ、イチゴちゃん。今のどこが面白いの?」
サンマルチノは床に崩れて、ヒーヒー笑い転げた。タマちゃんも、涙に濡れた顔でゲタゲタ笑った。イッチすら声をあげて笑った。わしも、腹筋がヒクヒクなって、M―1の観客くらい爆笑した。
「さっきまで死んでた? 空腹で倒れただけなのにい」
もうたまらんかった。わしもイッチもタマちゃんも、みんな床を転げて笑った。そうや、これが真理や。人が生きるんは、むちゃくちゃ泣けてむちゃくちゃおもろい。わしはそれを知ったで!
「いいかげんにしてよ、もおー。はいはい、あたしは死にました。そして生き返りました。これでいい?」
「ええ、ええ、姉さんビンゴや。あー、もうこれ以上笑かさんでくれ。わしらのほうが死んでまう」
「なんだかちっともわからないけど……ねえ、主任、この人たちどうしちゃったの?」
床からよいしょと立ちあがって、なにげなく横を見たら、古参兵が普通に立っとった。わしはまた、わっと床にひっくり返った。
「どうしちゃったっていうか……あれ、おかしいな。クミさん、死ななかったっけ?」
「なによ主任まで! みんなしてバカにする気」
「どうも記憶が……はて。おれ今、なにしてたんだろう」
「今の今まで死んでたで」
「?」
また爆笑が起こった。わしら四人は、お互いの身体をバシバシ叩き合い、床をバタバタ蹴って、涙が涸れるまで笑った。
「あーおかしい。この調子で、みんな生き返らせてくれ」
「任せて。オーナーも、手伝ってくれますか?」
「おう!」
イッチとタマちゃんが食堂を出ていった。そのあいだに、わしとサンマルチノで、起きたことの説明をマッカーサーと古参兵にした。
「おれが窒息う?」
古参兵は首を捻ったが、マッカーサーがミイラ化したのは憶えとったから、
「クミさんは、確かに死んでたしなあ。うーん、じゃあおれも、一回死んだのかもしれん。妙な気分だな、テヘッ」
「あたしが餓死したかどうかは別にして、山岸ちゃんは確実に水死したでしょ。それが生き返るっていうの?」
「変態オヤジだけやない。アホもソバカスも死んだんや。今からそれを起こすで」
これがうまくいったら、すだれ髪もタコ社長も生き返らせたい。死体がどこにあるかはしらんが、きっとやってみせるでと闘志が湧いた。
「だけどさあ」
古参兵が、イマイチ納得できんという顔をした。
「電話線が切られてたじゃん。あれがあったから、これは殺人事件だと思ったんだけど、もしツボが原因だとしたら、誰がどんな理由で切ったんだ?」
「もしかしたら、で、ん、わ、せ、ん、き、れ、いう順番で、誰かのツボを押してしまったのかもしれん」
「なんだよ、それ。ん、が二回もあるぞ」
テレフォン、でもンが出てくるし、さてほかにどんな言い換えができるかと、一生懸命考えとると、
「おいみんな!」
ソバカスが興奮気味に、変態オヤジを引っ張って食堂に飛び込んできた。
「山岸さんが蘇生した!」
爆笑。マッカーサーも古参兵も、大口開けて笑った。やっぱり真理や。生き返りは、テッパンの爆笑ネタなんや。
「あんたかて、立派に死んどったがな」
わしは腹がよじれるほど笑った。しかし、イッチの上達ぶりは恐ろしかった。ちょちょっと揉んで、あっという間に外れた首をつけるんやから。
「兄さんホンマに、首とれたの知らん?」
今度は変態オヤジとソバカスに、これまでのことを説明した。
「ワタシが犬神家?」
「おれっちがTT兄弟?」
信じようとしない二人に、サンマルチノとわしが、身振り手振りで解説した。
「そんなあ。首がネジなわけないっしょ」
「ワタシ、いくら世をはかなんでも、洗濯機に身投げはしません」
とそこへ、階段を駆けあがる音がして、アホが入ってきた。
「みんな、オーナーがおかしくなったぞ。ギシさんが生き返ったとか言い出してる」
「ワタシですか?」
変態オヤジが振り向くと、アホがわっと飛びあがった。
「わーっ、気持ち悪りい! オエーッ!」
走って出ていった。おおかたトイレで吐いてくる気やろう。泣く、笑う、のほかに、人によっては吐くという反応があることもこれで学んだ。
「いやー、まいった、まいった。ほんとにギシさんですか?」
タマちゃんとイッチが食堂に戻ってきたあと、アホが神妙な面持ちで入口に立ち、まじまじと変態の顔を見つめた。
「う、また胃が……このキモさはやっぱり本物だ」
「阿部さん」
ソバカスが、感に堪えんという様子で言った。
「生き返ってくれてありがとうございます。もう少しでおれっちが、阿部さん殺しの犯人にされるところでした」
「なに言ってんの?」
アホにも説明した。アホはアホやから、なかなか理解できんでいたが、最後は無理やり自分を納得させた感じで、
「言葉の意味はわからんけど、とにかくギシさんが生きてるのはわかった。ということは、元に戻ったわけだ」
「そうや。これで死んだスタッフは、全員生き返った。ノー問題や」
「そうだ、貴様ら。今日も一日通常業務、永作はおれとチヌ釣りだ」
「うへー、また地獄の日々が始まる」
みんな笑った。タマちゃんも、自分がディスられたのにも気づかず陽気に笑い、
「さあ、手をつなごう。輪になろう!」
調子に乗ってはしゃいだ。みんなも、なにはともあれめでたいと、手をとり合って輪になった。
「右にステップ、ワン、ツー、スリー、フォー」
全員が、時計まわりの反対にまわりだす。わしの右手はイッチ、左手はサンマルチノにつながれとる。
なぜか、このとき、背すじを冷たいものが走った。
「うふふ、面白いわね」
サンマルチノが、横で小さく笑う。その手を離そうとしても、万力のように固く締まって離れない。
「大道めぐり、大道めぐり」
サンマルチノが囁く。アカン、と言おうとしたが、どういうわけか、上唇と下唇が引っついてはがれない。
みんなが生き返って喜んだのも束の間、得体の知れない恐怖が襲ってきた。
この、ぐるぐるまわってる人らは、一回死んだことにも気づかず、生きてる。
ということは、もしかして、わしも――?
タマちゃんとサンマルチノと闘ったとき、床で頭を打った。あのときに、ひょっとしたら、死んだのかもしれない。
そのあと、イッチも殺されたのかもしれない。
だとすると、今いるここは、死者の国――?
「大道めぐり、大道めぐり」
サンマルチノの声が大きくなる。まわればまわるほど、気が遠くなっていく。
いったいなにが本当なんや。わしは生きてるのか、死んでるのか。
ここは夢の国か、それとも死者の国か。
そもそもわしはどうしてここに来た? ツボ? あれは本当か。もしそうでなかったら、これはただの夢か。だとしたら、いつ目が醒めるのか。
それとも現実世界で、わしはもう、死んだことになっとるのか――
「大道めぐり、大道めぐり。さあ、数えなさい。わたしたちは何人いる?」
頭の中で指を折る。わし、イッチ、タマちゃん、サンマルチノ、マッカーサー、古参兵、アホ、ソバカス、変態オヤジで、九人。
手でつながった輪を見る。全員知ってる顔。それ以外には誰もいない。わしから始めて、左まわりに数える。一、二、三、四……
「七、八、九……十」
サンマルチノを数えたとき、それは、十になった。
「出てきたわね」
サンマルチノの視線の先を追う。わしの右、それはイッチのはず。
が。
「まいど」
きっちり散髪されたヘアースタイル。三角眉毛に黒縁メガネ。
「……オーマイゴッドファーザー降臨」
日本一の漫才師が、そこにいた。
完全にすべった空気。ちょうど紅白の大舞台で、ミヤコに向かってミソラ言うてしまったみたいに。
「なんやこの静けさは……寒い」
「ゆーとぴあみたいに言うな! じゃあ貴様、肩こりのツボ押したら、死人の肩こりが治るっていうのか。え?」
「たぶん、な」
「ならやってみろ。ほら、そこに菊池が寝てる」
ミイラ化したマッカーサーが、冷蔵庫の横で、うつろな目を天井に向けとった。それ見とると、ええアイデアやと思っとった自信が、みるみるうちにしぼんでいった。
「わし、まちごうとったかな」
「いや、ぼくも同じこと考えてたよ。ツボに不可能はない。さあ、ドーンとやってみよう!」
どうぞどうぞと、イッチがダチョウ倶楽部みたいに勧めるポーズをした。
「イッチに任せるわ。あんた、死体触るの平気やろ」
「まあね。えっと、生き返れか。い、き、か、え、れ……『れ』で始まる場所ってある?」
「れ、れ、れ……らりるれろで始まるのって、日本語には少ないな」
「じゃあ英語で探そう。レ、RE、LE……あった、レッグだ!」
「よっしゃ。い、は胃やろ。き、は?」
「胸骨がある。か、は踵。え、は……えら?」
「えらがあんのは魚やろ」
「いや、顎の外側のことだよ。片桐はいりで有名な」
「おお、あれな。ええんちゃう」
「とすると、胃、胸骨、踵、えら、レッグだね。よし、やってみるよ」
イッチがマッカーサーの死体の横に、礼儀正しく正座し、両手を合わせてお辞儀してから、おもむろに胃のマッサージをした。
「クミちゃん……」
サンマルチノが、複雑な顔で見とった。親友の死体がトップバッターで実験されてるのが、痛ましいのかもしれん。
「もし、これが成功したら、どうなるの?」
「あらわたし、寝てたのかしらって、むっくり起きてくるやろな」
「失敗したら?」
「干からびたまんま、ちゅうことになる」
「半分成功で、半分失敗したら?」
「半分? さあ……ゾンビ化して、襲ってくるんかな」
イッチが真剣に、胸の骨、踵、えらの順番で揉み、最後のレッグにとりかかった。黒のレザーパンツを穿いた脚を、太ももからすねまで丁寧に、両手で包み込むようにしてマッサージする。
「どや? 心臓動きだしたか?」
「いや。でもぼく下手だから、効果が出るまで、何日もかかるかもしれない」
「アカンで。腐乱してから生き返ったら、バタリアンの誕生やからな」
「おい、何時間待ったらいいんだ。朝までは無理だぞ」
タマちゃんが、イライラしたように腕時計を見た。
「客が来る前に、死体を隠さないと。ほかの支店から応援を頼む必要もあるし、タイムリミットは朝の五時、あと一時間だ」
「あんたまだ、営業考えとったんか」
わしは呆れた。金に汚くて、ずうずうしくて、顔と声と態度がでかい。まんま西川のりおやないか。
「あと一時間ですね。では菊池先輩は置いといて、秋山先輩に移りましょう」
料理番組みたいな手際で、イッチが移動した。古参兵は、入口近くの床で、苦悶の表情を浮かべて硬直しとる。
「失礼します。どうか生き返ってください」
趣味の悪い、横縞のパジャマを着て横たわってる古参兵の姿は、脱走に失敗して撃ち殺された囚人みたいに見えた。今さらながら、仇名をザ・コンビクトに変えたくなる。
「さあ、レッグまでやりました。次は山岸先輩か、永作先輩をします」
イッチが、額の汗を拭いて言うたときやった。
サンマルチノが悲鳴をあげた。
反射的に振り向く。視線の先に、マッカーサーの干からびた死体。
そのうつろな目玉が、動いたように、見えた。
「おおっ!」
わしの尻が、勝手にきゅっと固くなった。あ、もしかして、これが尻小玉の正体かと、脈絡もなく思った。
「……クミ、ちゃん?」
サンマルチノが呼びかける。すると完全に、黒目がそっちを向いた。
「生きとるやん。あれ、目玉動いたよな。なあ?」
イッチの腕をつかんで言う。イッチは身体を固くして、なにも言わない。
マッカーサーが、まばたきをした。これで決まりや。死人はまばたきなんかせん。マッカーサーが、生き返った!
「クミちゃあん!」
サンマルチノが、泣きながらマッカーサーにむしゃぶりついた。マッカーサーの目が、不思議そうな色を浮かべ、わしらを順繰りにきょろきょろと見た。
「ちょっと……重い」
マッカーサーが言うた。するとサンマルチノが、わーわー号泣した。わしもつられて、涙がすーっと頬に流れた。
「イッチ、やったで。あんた、人を生き返らせたんや。あんたこそ、マスターモミゾウや!」
イッチの腕を揺さぶって言うた。イッチはそれに答えず、ガタガタ震えていた。どうしたんかと思って顔を見ると、星飛雄馬ぐらい泣いとった。
「どうして泣くん。いいことしたんやで、イッチ」
「いや、オーナーを見たら、つい……」
イッチの指差したほうを見た。テーブルに手をついて立っていたタマちゃんが、腕を目に当てて、まるで母を亡くした少年のように泣いていた。
「あれれ、鬼の目にも涙やな。なんやみんな泣いて。ええことなのに。喜ばしいのに泣くなんて、ホンマ、人間っておかしいなー」
サンマルチノの手を借りて、マッカーサーがよろよろと立った。テーブルに行って坐ると、ふっと照れたような顔になって、
「ごめんなさい。なにか食べようと思って食堂に来たんだけど、お腹がすきすぎて、気を失っちゃったみたい。ところで、山岸ちゃんを殺した犯人は?」
シンとした。みんなこの状況を、どう説明したらええかわからんのやった。
「えっとな、姉さん、落ち着いて聞いとくれ。姉さんさっきまで、死んどったんや」
「……?」
思いっきり、ハテナの顔をした。するとそれがおかしかったんか、サンマルチノがぷーっと噴き出した。
「なによ、イチゴちゃん。今のどこが面白いの?」
サンマルチノは床に崩れて、ヒーヒー笑い転げた。タマちゃんも、涙に濡れた顔でゲタゲタ笑った。イッチすら声をあげて笑った。わしも、腹筋がヒクヒクなって、M―1の観客くらい爆笑した。
「さっきまで死んでた? 空腹で倒れただけなのにい」
もうたまらんかった。わしもイッチもタマちゃんも、みんな床を転げて笑った。そうや、これが真理や。人が生きるんは、むちゃくちゃ泣けてむちゃくちゃおもろい。わしはそれを知ったで!
「いいかげんにしてよ、もおー。はいはい、あたしは死にました。そして生き返りました。これでいい?」
「ええ、ええ、姉さんビンゴや。あー、もうこれ以上笑かさんでくれ。わしらのほうが死んでまう」
「なんだかちっともわからないけど……ねえ、主任、この人たちどうしちゃったの?」
床からよいしょと立ちあがって、なにげなく横を見たら、古参兵が普通に立っとった。わしはまた、わっと床にひっくり返った。
「どうしちゃったっていうか……あれ、おかしいな。クミさん、死ななかったっけ?」
「なによ主任まで! みんなしてバカにする気」
「どうも記憶が……はて。おれ今、なにしてたんだろう」
「今の今まで死んでたで」
「?」
また爆笑が起こった。わしら四人は、お互いの身体をバシバシ叩き合い、床をバタバタ蹴って、涙が涸れるまで笑った。
「あーおかしい。この調子で、みんな生き返らせてくれ」
「任せて。オーナーも、手伝ってくれますか?」
「おう!」
イッチとタマちゃんが食堂を出ていった。そのあいだに、わしとサンマルチノで、起きたことの説明をマッカーサーと古参兵にした。
「おれが窒息う?」
古参兵は首を捻ったが、マッカーサーがミイラ化したのは憶えとったから、
「クミさんは、確かに死んでたしなあ。うーん、じゃあおれも、一回死んだのかもしれん。妙な気分だな、テヘッ」
「あたしが餓死したかどうかは別にして、山岸ちゃんは確実に水死したでしょ。それが生き返るっていうの?」
「変態オヤジだけやない。アホもソバカスも死んだんや。今からそれを起こすで」
これがうまくいったら、すだれ髪もタコ社長も生き返らせたい。死体がどこにあるかはしらんが、きっとやってみせるでと闘志が湧いた。
「だけどさあ」
古参兵が、イマイチ納得できんという顔をした。
「電話線が切られてたじゃん。あれがあったから、これは殺人事件だと思ったんだけど、もしツボが原因だとしたら、誰がどんな理由で切ったんだ?」
「もしかしたら、で、ん、わ、せ、ん、き、れ、いう順番で、誰かのツボを押してしまったのかもしれん」
「なんだよ、それ。ん、が二回もあるぞ」
テレフォン、でもンが出てくるし、さてほかにどんな言い換えができるかと、一生懸命考えとると、
「おいみんな!」
ソバカスが興奮気味に、変態オヤジを引っ張って食堂に飛び込んできた。
「山岸さんが蘇生した!」
爆笑。マッカーサーも古参兵も、大口開けて笑った。やっぱり真理や。生き返りは、テッパンの爆笑ネタなんや。
「あんたかて、立派に死んどったがな」
わしは腹がよじれるほど笑った。しかし、イッチの上達ぶりは恐ろしかった。ちょちょっと揉んで、あっという間に外れた首をつけるんやから。
「兄さんホンマに、首とれたの知らん?」
今度は変態オヤジとソバカスに、これまでのことを説明した。
「ワタシが犬神家?」
「おれっちがTT兄弟?」
信じようとしない二人に、サンマルチノとわしが、身振り手振りで解説した。
「そんなあ。首がネジなわけないっしょ」
「ワタシ、いくら世をはかなんでも、洗濯機に身投げはしません」
とそこへ、階段を駆けあがる音がして、アホが入ってきた。
「みんな、オーナーがおかしくなったぞ。ギシさんが生き返ったとか言い出してる」
「ワタシですか?」
変態オヤジが振り向くと、アホがわっと飛びあがった。
「わーっ、気持ち悪りい! オエーッ!」
走って出ていった。おおかたトイレで吐いてくる気やろう。泣く、笑う、のほかに、人によっては吐くという反応があることもこれで学んだ。
「いやー、まいった、まいった。ほんとにギシさんですか?」
タマちゃんとイッチが食堂に戻ってきたあと、アホが神妙な面持ちで入口に立ち、まじまじと変態の顔を見つめた。
「う、また胃が……このキモさはやっぱり本物だ」
「阿部さん」
ソバカスが、感に堪えんという様子で言った。
「生き返ってくれてありがとうございます。もう少しでおれっちが、阿部さん殺しの犯人にされるところでした」
「なに言ってんの?」
アホにも説明した。アホはアホやから、なかなか理解できんでいたが、最後は無理やり自分を納得させた感じで、
「言葉の意味はわからんけど、とにかくギシさんが生きてるのはわかった。ということは、元に戻ったわけだ」
「そうや。これで死んだスタッフは、全員生き返った。ノー問題や」
「そうだ、貴様ら。今日も一日通常業務、永作はおれとチヌ釣りだ」
「うへー、また地獄の日々が始まる」
みんな笑った。タマちゃんも、自分がディスられたのにも気づかず陽気に笑い、
「さあ、手をつなごう。輪になろう!」
調子に乗ってはしゃいだ。みんなも、なにはともあれめでたいと、手をとり合って輪になった。
「右にステップ、ワン、ツー、スリー、フォー」
全員が、時計まわりの反対にまわりだす。わしの右手はイッチ、左手はサンマルチノにつながれとる。
なぜか、このとき、背すじを冷たいものが走った。
「うふふ、面白いわね」
サンマルチノが、横で小さく笑う。その手を離そうとしても、万力のように固く締まって離れない。
「大道めぐり、大道めぐり」
サンマルチノが囁く。アカン、と言おうとしたが、どういうわけか、上唇と下唇が引っついてはがれない。
みんなが生き返って喜んだのも束の間、得体の知れない恐怖が襲ってきた。
この、ぐるぐるまわってる人らは、一回死んだことにも気づかず、生きてる。
ということは、もしかして、わしも――?
タマちゃんとサンマルチノと闘ったとき、床で頭を打った。あのときに、ひょっとしたら、死んだのかもしれない。
そのあと、イッチも殺されたのかもしれない。
だとすると、今いるここは、死者の国――?
「大道めぐり、大道めぐり」
サンマルチノの声が大きくなる。まわればまわるほど、気が遠くなっていく。
いったいなにが本当なんや。わしは生きてるのか、死んでるのか。
ここは夢の国か、それとも死者の国か。
そもそもわしはどうしてここに来た? ツボ? あれは本当か。もしそうでなかったら、これはただの夢か。だとしたら、いつ目が醒めるのか。
それとも現実世界で、わしはもう、死んだことになっとるのか――
「大道めぐり、大道めぐり。さあ、数えなさい。わたしたちは何人いる?」
頭の中で指を折る。わし、イッチ、タマちゃん、サンマルチノ、マッカーサー、古参兵、アホ、ソバカス、変態オヤジで、九人。
手でつながった輪を見る。全員知ってる顔。それ以外には誰もいない。わしから始めて、左まわりに数える。一、二、三、四……
「七、八、九……十」
サンマルチノを数えたとき、それは、十になった。
「出てきたわね」
サンマルチノの視線の先を追う。わしの右、それはイッチのはず。
が。
「まいど」
きっちり散髪されたヘアースタイル。三角眉毛に黒縁メガネ。
「……オーマイゴッドファーザー降臨」
日本一の漫才師が、そこにいた。