ついに、ソバカスまで逝ってもうた。
残ったのは四人。わし、イッチ、タマちゃん、サンマルチノ。
わしとサンマルチノは口を利けず、ただ突っ立っとった。そのあいだに、イッチとタマちゃんが、ソバカスの首と胴体をどっかに運び、また食堂に戻ってきた。
「これではっきりしたな」
タマちゃんが、荒い息をつきながら、ぼそりと言った。
「永作は、アンドロイドでも宇宙人でもない。おれたちと同じホモ・サピエンスだ。その首が、一滴の血も流さずにとれるなんて、あるはずがない。そのあるはずのないことが、われわれの目の前で起こった」
「そやな」
みんな無言やったんで、わしが相槌を打った。
「もはや人間技じゃない。もし、人間が犯人だとしたら、デビッド・カッパーフィールドしか思いつかん。でも彼は向こうの世界にいる」
タマちゃんが遠くに目を向けて言うと、サンマルチノがはたと手を打ち、
「そういえば、こっちに河童フィールドというのがいたわね。でも彼にできるイリュージョンといったら、せいぜい頭のお皿で目玉焼きを作るくらいだわ」
要らん小ネタを挟んだ。しかしタマちゃんは、それに食いついた。
「河童! そうだ。河童なら殺人をする。やつに尻小玉を抜かれると、死ぬからな」
「尻小玉って?」
「肛門内にあるとされる幻の臓器だ。河童はそれを食う。きみのクラスメートは、同級生の尻小玉を抜いてなかったか?」
「そらないなあ。みんなピンピン生きとったさかい」
そもそも肛門内にそんなもんがあったら、わしらと同じホモ・サピエンスやない気がする。河童犯人説は、その点からも大いに疑問やった。
「まあ、そういうメジャーなやつかどうかは別として、妖怪の仕業なのは確かだ。とすると、おれたちに助かる見込みはないな」
タマちゃんはすっかり観念したようや。顔をあげて天井のどっかを見つめ、
「妖怪さん、さっきは永作が失礼なことを言ってすみませんでした。その報復で首をねじ切ったんですね。すばらしい力です。感服します。もう脱帽です。つきましては、不肖玉城イチロー、あなたの弟子になりたいと思います。殺人の手伝いでもなんでもしますから、どうかわたくしの命だけは、見逃していただきたく存じます」
いっそ爽快なくらい卑怯やった。サンマルチノがタマちゃんを横目でにらみ、
「もし妖怪が、天邪鬼だったらどうするの。反対のことされるわよ」
「反対? とすると……おいコラ、天邪鬼! 殺してみろ、ほら」
カマーンと天邪鬼を挑発した。が、なんも起こらんかった。
「花畑、おれは疲れた。もうどうしていいかわからん」
「そうですね」
サンマルチノも、もはやあきらめムードやった。
「わたし、仲間より長く生きる気なんてなかった。みんなが死ぬのを見るくらいなら、いっそ先に殺されたかった」
「なに言うねん」
わしは本気で突っ込んだ。
「弱気は最大の敵や。最後まで生きよう思わんかったら、人生が劇にならん」
「もういいのよ、ユエナちゃん。わたしは死を見すぎた。わたしだけが生き延びていい理由なんかない。ただ消えたいの」
「死ぬのは痛いで」
「一瞬よ」
「なんのために生まれてきたんや」
「五歳で死ぬ子もいるわ。わたしなんかもう三十よ。充分生きたわ」
「アホぬかせ! わし、姉さん好きなのに」
サンマルチノが黙った。わしはここぞと畳み込んだ。
「悲しむ人をあとに残して、勝手に死んだらアカン。そらな、この世が五歳でも死ぬいう不細工なところやっちゅうことは、小学生でも知っとる。そんな当たり前のことで悩むんは、正しいことやない。笑いとばすんが正解や。お笑い観い。ケタケタ笑うと、元気出るで。この世も捨てたもんやないっちゅう気になる」
「そうね。ありがとう」
サンマルチノが、にこりともせんと言った。
「でもこの状況で、笑うのは無理。助かる気もしないし。どうせ死ぬんだから、みっともない悪あがきはしたくないの」
ちらっとタマちゃんを見た。タマちゃんはいかにも心外そうにムッとし、
「おれへの当てつけか? フン。みっともなかろうが、おれは最後まで自分が生き残る道を探る。ねえ、妖怪さん。あなたに生け贄を捧げましょうか? そうですねえ、まだ十五歳の若い少年少女などはいかがでしょう」
ぎらりと光る目をこっちに向けた。わしはぞっとして、イッチにすり寄った。
「おい、イッチ。あのおっさん、わしらを殺すつもりやで」
しかしイッチは、心ここにあらずといった様子で、
「……え?」
「聞いてなかったんか。妖怪の生け贄に、わしらを差し出す言うとるんや」
「妖怪?」
「どっから聞いてないねん! 耳あるんか、われ」
「ああごめん。考え事してたから」
「恐るべき鈍感力やな。なに考えてたんや」
「いや、昨日骨の勉強してて、ふと思いついたことがあって」
「骨? 骨がどないした」
「まあ、ただの偶然かもしれないけど、先輩たちの身に起こったことに、ひょっとしたら関係あるのかなあって」
「なんや。はっきり言え」
「うーん、でも、なんか羞ずかしいなあ。笑われそう」
「モジモジくんしとる場合か。ほら」
「あのさ、外側のくるぶしは、外果って呼ぶじゃん」
「おう」
「そんで、内側は内果って……ウフフ」
「コラ! オチ言う前に笑うんは最低や。早よ言え」
じれてイッチをどついたときやった。
「ワチャー!」
タマちゃんが、ブルース・リー調の雄叫びをあげながら、ジャンピング・ニーで飛び込んできた。
「おげ!」
イッチの顔面にモロに入った。たまらず後ろに吹っ飛ぶ。キッチンの戸棚に背中からぶち当たり、派手な音を立てた。
「デビルウイング!」
タマちゃんが怪鳥のように宙を舞い、くるりと前方回転して浴びせ蹴りをした。イッチが間一髪でよける。するとタマちゃんの踵が、豪快に戸棚の扉を蹴破った。
「おんどりゃわれ!」
イッチが見たこともないような形相になり、聞いたことのないような汚い河内言葉を発して、戸棚から皿をとってタマちゃんの頭に振りおろした。
コーンと安い音が響く。安いプラスチックの皿や。タマちゃんは不敵に笑い、皿を四、五枚わしづかみにしてイッチの頭を殴った。
皿はペロンと曲がった。紙皿や。つくづく安いモンしか置いてない。二人は互いにプラスチックと紙で攻撃し合ったが、ほとんどノーダメージやった。
「あの人たち、妖怪にとり憑かれたわ」
サンマルチノが二人のほうへ走った。そして険しい顔で手を振りあげ、
「出て行け! 出て行け!」
叫びながら、背中をバシバシ叩いた。タマちゃんもイッチも、電流爆破でやられたように背中をのけぞらせてあえいだ。やっぱり恐ろしいパワーや。
「まだ出て行かないのっ!」
サンマルチノが、ロードウォリアーズばりにタマちゃんを頭の上にリフトアップして、床に思いきり叩きつけた。
わしは、ここが敵を倒すチャンスと見てテーブルにのぼり、悶絶してるタマちゃんの腹にフットスタンプで降りた。
「おごうっ!」
手ごたえ、いや、足ごたえ充分や。
「もういっちょ行くぞ!」
そう言って再びテーブルにあがった。が、よう見ると、サンマルチノが今度はイッチをリフトアップしとる。味方のピンチじゃ!
「ハイジャンプ魔球、エビ投げ!」
わしは高々とジャンプして、振りかぶった手を、脳天唐竹割りの要領でサンマルチノの頭に叩き込んだ。
「効かぬわ!」
サンマルチノは、イッチを頭上に差し上げたまま、微動だにしなかった。わしはもう一度テーブルにあがり、ホワーッと気合の声もろとも、キラーカーン直伝のモンゴリアンチョップをかました。
「効かぬ、効かぬ」
化け物や。もし妖怪がとり憑いてるんなら、この女や。
「行くわよ!」
サンマルチノがイッチを投げつけてきた。まともにボディアタックを食らった格好になり、後ろにひっくり返って、イッチを抱えたまま硬い床に背中を打ちつけた。
息が詰まる。身体中がしびれて力が入らない。
「オウ、オウ、オウ、オウ」
まずい。サンマルチノがシンクに寄りかかって、野生の遠吠えを始めた。ブルーザー・ブロディの、必殺キングコング・ニードロップがくる!
「オウ、オウ、オウ、オウ、オウ、オウ」
サンマルチノが、ゆっくりと右腕を差し上げた。助走が開始される。もうアカン。あれを食らったら最期、内臓破裂で大量出血し、苦しみぬいてジ・エンドや。
「イッチ。わしは動けん。あんただけでも逃げろ」
わしが言ったんと、サンマルチノが跳んだのが同時やった。もう間に合わん。二人とも、超獣のニーに串刺しにされる。
と。
イッチがさっと身体を反転させて、右足を天に突き出した。そこへサンマルチノが顎から落下した。迎撃ミサイル命中や!
「ハーッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハー」
イッチがぬーっと立ち上がり、アンドレ風に野太く笑った。サンマルチノは大の字に伸びとる。
「時は来た!」
イッチが爆勝宣言をした。そして、サンマルチノの頭をつかんで無理やり立たせると、ブレーンバスターの形に担ぎあげ、マットのない床に垂直落下式DDTを決めた。
ゴーンと、ボーリングの球でも落としたような音が響いた。こいつはエグい。ケネディ大統領みたいに、サンマルチノの頭が爆ぜてなんか出たんちゃうかと思った。
「小川ァ、まだだコラア」
橋本妖怪にとり憑かれたイッチは、相手を完全に小川直也と思い込んどった。スリーカウントは狙わず、サンマルチノを失神させようと、三角絞めの体勢に入った。
「イッチ、危ない!」
いつの間にか復活していたタマちゃんが、イッチの背後に迫った。振り向くイッチ。その顔面に、タマちゃんの口からブーッと液体が吐き出された。
「青汁毒霧じゃあ!」
目を押さえてひざまずくイッチ。タマちゃんはニターッと不気味な笑みを浮かべ、手をひらひらさせながら、イッチのまわりを蝶が舞うようにダンスした。
「ケッケッケ。邪道でけっこうコケコッコー」
調子づいて言うと、おもむろにポケットからチャッカマンを取り出し、イッチの髪の毛を燃やそうとした。
「それがあんたのやり方かあ!」
わしはたまらず、床から頭をあげて叫んだ。するとタマちゃんは、ザコシのアシュラマン漫談のようにカーッカッカッカーと笑い、イッチのまわりを舞っては、ちょいちょい火をつけた。
「クソ……正直、目が見えん」
「落ち着け、イッチ。それ青汁やぞ」
「……青?」
イッチがひざまずいたまま、恐る恐る目を開けた。その瞬間、タマちゃんが電光石火のシャイニング・ウィザードを浴びせた。
イッチがダウンした。まずい。わしがなんとかせんと、イッチが完璧にやられてまう。
「ドドスコスコスコ」
勝利を確信したんか、タマちゃんが腰を振ってダンスし、ありもしない観客席に向かって投げキッスをした。
「そろそろフィニッシュ行くぞー」
悠々とテーブルにのぼり、イッチに背中を向けた。まちがいない。ムーンサルトプレスを決めるつもりや。
タマちゃんが腰を深く沈める。すると、ゴルゴ松本の命のポーズっぽくなった。そういえば、松本という名字には、人志や清張や零士など超ビッグネームが多いが、ゴルゴだけは例外やなとほんの一瞬思った。
くそったれ。わしかて大物になったる。
しびれる身体を起こした。タマちゃんがジャンプする。美しく宙を舞うタマちゃん。わしはとっさに、星飛雄馬のスクリュースピンスライディングを破った掛布を思い出し、下からジャンプして、錐揉み状に身体をねじってタマちゃんに激突した。
タマちゃんがバランスを崩し、側頭部から床に落ちた。首が、なにを唄っても橋幸夫になってあれーっと悩むおさむちゃんみたいに、L字型に曲がった。
「よくもやったな、武藤ォ」
橋本イッチが、ゆらりと立ちあがった。タマちゃんのベルトをつかんで腰を引っ張りあげ、胴に両腕をまわしてガシッとロックする。プロレスの芸術品、ジャーマン・スープレックス・ホールドの体勢や。
「小川ァ、おれごと刈れえ!」
今度はわしが、小川になってもうた。
「いや、タマちゃんはグロッキーや。そのまま後ろにほっぽり投げたらよろし」
「遠慮するなあ、小川」
「わし小川ちゃう。奥川や」
「オゥガァワァァァァ」
アカン。こんなんしてるうちにタマちゃんが息を吹き返してまう。わしはえいと肚を据え、柔道の授業で習った大外刈りのポイントを思い泛かべながら、タマちゃんを抱えたイッチに組みついた。
「いくでSTO、スペース・トルネード・奥川!」
大きく振りあげた右足で、イッチの右足を刈った。イッチ、続いてタマちゃんが、後頭部をゴンゴンと床に打ちつけた。
タマちゃんの口から舌が出た。ちょうどIWGPの決勝で、ホーガンにKOされたときの猪木そっくりに。ということは、まぎれもなく本物の気絶や。
「イッチ、大丈夫か?」
見ると、イッチも舌を出しとる。しまった。ダブル失神させてもうた。
「ペローン、なんちゃって。ぼくなら大丈夫」
イッチが舌をペコちゃんみたいにして、ウィンクした。わしはどっと疲れた。
「驚かすなや。イッチまでやってもうたと思ったわ」
「フフフ。敵をあざむくにはまず味方からってね。さあ、あとはミス花畑だ」
「サンマルチノなら伸びとる。あんたがやったんや」
「え?」
DDTを食らって死んだようになってるサンマルチノを見て、イッチは信じられないという顔をした。
「じゃあ、ぼくたち勝ったの?」
「そうらしいで。二人ともねんねや」
「あの怪人コンビに……勝った……」
その様子は、あたかも猪木・坂口組に勝利して、ホントにおれたちがやったのかと驚き惑う、若き日のマッチョ・ドラゴンを彷彿とさせた。
ちゅーことは。
「やったぞ!」
パク・チュー役のわしと、がっちり抱き合った。
自然な抱擁や。
なんの罪悪感もない。嫌悪感もない。共に死力を尽くして闘い、強敵を破った仲間への、爽やかで純粋な共感しかなかった。
イッチと抱き合いながら、わしは心ん中で母親に向かって叫んだ。
ザマーミロ。わし、あんたらに勝ったで!
パチパチパチ。
拍手の音が聞こえて、ハッと後ろを向いた。
タマちゃんとサンマルチノが、いつの間にかテーブルに寄りかかって立っとった。
「敗けたよ、ヤングパワーに」
タマちゃんが苦笑いを泛かべて、潔く言った。
「空中で蹴られて落下したときは、誇張しすぎたパーフェクト・ヒューマンくらい首が曲がっちまった。あれで勝負あったな」
「わたしも」
サンマルチノも、笑みを見せて言うた。
「DDTを受けた瞬間、目の前がぱーっと明るくなって、オーマイゴッドファーザー降臨って思ったわ」
「ところで一ノ瀬くん」
タマちゃんが、椅子によいしょと坐って、イッチを手招きすると、
「さっきわたしがジャンピング・ニーをする前に言ってた、外果とか内果とかの話。あれはどういう意味か、教えてくれるかね」
残ったのは四人。わし、イッチ、タマちゃん、サンマルチノ。
わしとサンマルチノは口を利けず、ただ突っ立っとった。そのあいだに、イッチとタマちゃんが、ソバカスの首と胴体をどっかに運び、また食堂に戻ってきた。
「これではっきりしたな」
タマちゃんが、荒い息をつきながら、ぼそりと言った。
「永作は、アンドロイドでも宇宙人でもない。おれたちと同じホモ・サピエンスだ。その首が、一滴の血も流さずにとれるなんて、あるはずがない。そのあるはずのないことが、われわれの目の前で起こった」
「そやな」
みんな無言やったんで、わしが相槌を打った。
「もはや人間技じゃない。もし、人間が犯人だとしたら、デビッド・カッパーフィールドしか思いつかん。でも彼は向こうの世界にいる」
タマちゃんが遠くに目を向けて言うと、サンマルチノがはたと手を打ち、
「そういえば、こっちに河童フィールドというのがいたわね。でも彼にできるイリュージョンといったら、せいぜい頭のお皿で目玉焼きを作るくらいだわ」
要らん小ネタを挟んだ。しかしタマちゃんは、それに食いついた。
「河童! そうだ。河童なら殺人をする。やつに尻小玉を抜かれると、死ぬからな」
「尻小玉って?」
「肛門内にあるとされる幻の臓器だ。河童はそれを食う。きみのクラスメートは、同級生の尻小玉を抜いてなかったか?」
「そらないなあ。みんなピンピン生きとったさかい」
そもそも肛門内にそんなもんがあったら、わしらと同じホモ・サピエンスやない気がする。河童犯人説は、その点からも大いに疑問やった。
「まあ、そういうメジャーなやつかどうかは別として、妖怪の仕業なのは確かだ。とすると、おれたちに助かる見込みはないな」
タマちゃんはすっかり観念したようや。顔をあげて天井のどっかを見つめ、
「妖怪さん、さっきは永作が失礼なことを言ってすみませんでした。その報復で首をねじ切ったんですね。すばらしい力です。感服します。もう脱帽です。つきましては、不肖玉城イチロー、あなたの弟子になりたいと思います。殺人の手伝いでもなんでもしますから、どうかわたくしの命だけは、見逃していただきたく存じます」
いっそ爽快なくらい卑怯やった。サンマルチノがタマちゃんを横目でにらみ、
「もし妖怪が、天邪鬼だったらどうするの。反対のことされるわよ」
「反対? とすると……おいコラ、天邪鬼! 殺してみろ、ほら」
カマーンと天邪鬼を挑発した。が、なんも起こらんかった。
「花畑、おれは疲れた。もうどうしていいかわからん」
「そうですね」
サンマルチノも、もはやあきらめムードやった。
「わたし、仲間より長く生きる気なんてなかった。みんなが死ぬのを見るくらいなら、いっそ先に殺されたかった」
「なに言うねん」
わしは本気で突っ込んだ。
「弱気は最大の敵や。最後まで生きよう思わんかったら、人生が劇にならん」
「もういいのよ、ユエナちゃん。わたしは死を見すぎた。わたしだけが生き延びていい理由なんかない。ただ消えたいの」
「死ぬのは痛いで」
「一瞬よ」
「なんのために生まれてきたんや」
「五歳で死ぬ子もいるわ。わたしなんかもう三十よ。充分生きたわ」
「アホぬかせ! わし、姉さん好きなのに」
サンマルチノが黙った。わしはここぞと畳み込んだ。
「悲しむ人をあとに残して、勝手に死んだらアカン。そらな、この世が五歳でも死ぬいう不細工なところやっちゅうことは、小学生でも知っとる。そんな当たり前のことで悩むんは、正しいことやない。笑いとばすんが正解や。お笑い観い。ケタケタ笑うと、元気出るで。この世も捨てたもんやないっちゅう気になる」
「そうね。ありがとう」
サンマルチノが、にこりともせんと言った。
「でもこの状況で、笑うのは無理。助かる気もしないし。どうせ死ぬんだから、みっともない悪あがきはしたくないの」
ちらっとタマちゃんを見た。タマちゃんはいかにも心外そうにムッとし、
「おれへの当てつけか? フン。みっともなかろうが、おれは最後まで自分が生き残る道を探る。ねえ、妖怪さん。あなたに生け贄を捧げましょうか? そうですねえ、まだ十五歳の若い少年少女などはいかがでしょう」
ぎらりと光る目をこっちに向けた。わしはぞっとして、イッチにすり寄った。
「おい、イッチ。あのおっさん、わしらを殺すつもりやで」
しかしイッチは、心ここにあらずといった様子で、
「……え?」
「聞いてなかったんか。妖怪の生け贄に、わしらを差し出す言うとるんや」
「妖怪?」
「どっから聞いてないねん! 耳あるんか、われ」
「ああごめん。考え事してたから」
「恐るべき鈍感力やな。なに考えてたんや」
「いや、昨日骨の勉強してて、ふと思いついたことがあって」
「骨? 骨がどないした」
「まあ、ただの偶然かもしれないけど、先輩たちの身に起こったことに、ひょっとしたら関係あるのかなあって」
「なんや。はっきり言え」
「うーん、でも、なんか羞ずかしいなあ。笑われそう」
「モジモジくんしとる場合か。ほら」
「あのさ、外側のくるぶしは、外果って呼ぶじゃん」
「おう」
「そんで、内側は内果って……ウフフ」
「コラ! オチ言う前に笑うんは最低や。早よ言え」
じれてイッチをどついたときやった。
「ワチャー!」
タマちゃんが、ブルース・リー調の雄叫びをあげながら、ジャンピング・ニーで飛び込んできた。
「おげ!」
イッチの顔面にモロに入った。たまらず後ろに吹っ飛ぶ。キッチンの戸棚に背中からぶち当たり、派手な音を立てた。
「デビルウイング!」
タマちゃんが怪鳥のように宙を舞い、くるりと前方回転して浴びせ蹴りをした。イッチが間一髪でよける。するとタマちゃんの踵が、豪快に戸棚の扉を蹴破った。
「おんどりゃわれ!」
イッチが見たこともないような形相になり、聞いたことのないような汚い河内言葉を発して、戸棚から皿をとってタマちゃんの頭に振りおろした。
コーンと安い音が響く。安いプラスチックの皿や。タマちゃんは不敵に笑い、皿を四、五枚わしづかみにしてイッチの頭を殴った。
皿はペロンと曲がった。紙皿や。つくづく安いモンしか置いてない。二人は互いにプラスチックと紙で攻撃し合ったが、ほとんどノーダメージやった。
「あの人たち、妖怪にとり憑かれたわ」
サンマルチノが二人のほうへ走った。そして険しい顔で手を振りあげ、
「出て行け! 出て行け!」
叫びながら、背中をバシバシ叩いた。タマちゃんもイッチも、電流爆破でやられたように背中をのけぞらせてあえいだ。やっぱり恐ろしいパワーや。
「まだ出て行かないのっ!」
サンマルチノが、ロードウォリアーズばりにタマちゃんを頭の上にリフトアップして、床に思いきり叩きつけた。
わしは、ここが敵を倒すチャンスと見てテーブルにのぼり、悶絶してるタマちゃんの腹にフットスタンプで降りた。
「おごうっ!」
手ごたえ、いや、足ごたえ充分や。
「もういっちょ行くぞ!」
そう言って再びテーブルにあがった。が、よう見ると、サンマルチノが今度はイッチをリフトアップしとる。味方のピンチじゃ!
「ハイジャンプ魔球、エビ投げ!」
わしは高々とジャンプして、振りかぶった手を、脳天唐竹割りの要領でサンマルチノの頭に叩き込んだ。
「効かぬわ!」
サンマルチノは、イッチを頭上に差し上げたまま、微動だにしなかった。わしはもう一度テーブルにあがり、ホワーッと気合の声もろとも、キラーカーン直伝のモンゴリアンチョップをかました。
「効かぬ、効かぬ」
化け物や。もし妖怪がとり憑いてるんなら、この女や。
「行くわよ!」
サンマルチノがイッチを投げつけてきた。まともにボディアタックを食らった格好になり、後ろにひっくり返って、イッチを抱えたまま硬い床に背中を打ちつけた。
息が詰まる。身体中がしびれて力が入らない。
「オウ、オウ、オウ、オウ」
まずい。サンマルチノがシンクに寄りかかって、野生の遠吠えを始めた。ブルーザー・ブロディの、必殺キングコング・ニードロップがくる!
「オウ、オウ、オウ、オウ、オウ、オウ」
サンマルチノが、ゆっくりと右腕を差し上げた。助走が開始される。もうアカン。あれを食らったら最期、内臓破裂で大量出血し、苦しみぬいてジ・エンドや。
「イッチ。わしは動けん。あんただけでも逃げろ」
わしが言ったんと、サンマルチノが跳んだのが同時やった。もう間に合わん。二人とも、超獣のニーに串刺しにされる。
と。
イッチがさっと身体を反転させて、右足を天に突き出した。そこへサンマルチノが顎から落下した。迎撃ミサイル命中や!
「ハーッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハー」
イッチがぬーっと立ち上がり、アンドレ風に野太く笑った。サンマルチノは大の字に伸びとる。
「時は来た!」
イッチが爆勝宣言をした。そして、サンマルチノの頭をつかんで無理やり立たせると、ブレーンバスターの形に担ぎあげ、マットのない床に垂直落下式DDTを決めた。
ゴーンと、ボーリングの球でも落としたような音が響いた。こいつはエグい。ケネディ大統領みたいに、サンマルチノの頭が爆ぜてなんか出たんちゃうかと思った。
「小川ァ、まだだコラア」
橋本妖怪にとり憑かれたイッチは、相手を完全に小川直也と思い込んどった。スリーカウントは狙わず、サンマルチノを失神させようと、三角絞めの体勢に入った。
「イッチ、危ない!」
いつの間にか復活していたタマちゃんが、イッチの背後に迫った。振り向くイッチ。その顔面に、タマちゃんの口からブーッと液体が吐き出された。
「青汁毒霧じゃあ!」
目を押さえてひざまずくイッチ。タマちゃんはニターッと不気味な笑みを浮かべ、手をひらひらさせながら、イッチのまわりを蝶が舞うようにダンスした。
「ケッケッケ。邪道でけっこうコケコッコー」
調子づいて言うと、おもむろにポケットからチャッカマンを取り出し、イッチの髪の毛を燃やそうとした。
「それがあんたのやり方かあ!」
わしはたまらず、床から頭をあげて叫んだ。するとタマちゃんは、ザコシのアシュラマン漫談のようにカーッカッカッカーと笑い、イッチのまわりを舞っては、ちょいちょい火をつけた。
「クソ……正直、目が見えん」
「落ち着け、イッチ。それ青汁やぞ」
「……青?」
イッチがひざまずいたまま、恐る恐る目を開けた。その瞬間、タマちゃんが電光石火のシャイニング・ウィザードを浴びせた。
イッチがダウンした。まずい。わしがなんとかせんと、イッチが完璧にやられてまう。
「ドドスコスコスコ」
勝利を確信したんか、タマちゃんが腰を振ってダンスし、ありもしない観客席に向かって投げキッスをした。
「そろそろフィニッシュ行くぞー」
悠々とテーブルにのぼり、イッチに背中を向けた。まちがいない。ムーンサルトプレスを決めるつもりや。
タマちゃんが腰を深く沈める。すると、ゴルゴ松本の命のポーズっぽくなった。そういえば、松本という名字には、人志や清張や零士など超ビッグネームが多いが、ゴルゴだけは例外やなとほんの一瞬思った。
くそったれ。わしかて大物になったる。
しびれる身体を起こした。タマちゃんがジャンプする。美しく宙を舞うタマちゃん。わしはとっさに、星飛雄馬のスクリュースピンスライディングを破った掛布を思い出し、下からジャンプして、錐揉み状に身体をねじってタマちゃんに激突した。
タマちゃんがバランスを崩し、側頭部から床に落ちた。首が、なにを唄っても橋幸夫になってあれーっと悩むおさむちゃんみたいに、L字型に曲がった。
「よくもやったな、武藤ォ」
橋本イッチが、ゆらりと立ちあがった。タマちゃんのベルトをつかんで腰を引っ張りあげ、胴に両腕をまわしてガシッとロックする。プロレスの芸術品、ジャーマン・スープレックス・ホールドの体勢や。
「小川ァ、おれごと刈れえ!」
今度はわしが、小川になってもうた。
「いや、タマちゃんはグロッキーや。そのまま後ろにほっぽり投げたらよろし」
「遠慮するなあ、小川」
「わし小川ちゃう。奥川や」
「オゥガァワァァァァ」
アカン。こんなんしてるうちにタマちゃんが息を吹き返してまう。わしはえいと肚を据え、柔道の授業で習った大外刈りのポイントを思い泛かべながら、タマちゃんを抱えたイッチに組みついた。
「いくでSTO、スペース・トルネード・奥川!」
大きく振りあげた右足で、イッチの右足を刈った。イッチ、続いてタマちゃんが、後頭部をゴンゴンと床に打ちつけた。
タマちゃんの口から舌が出た。ちょうどIWGPの決勝で、ホーガンにKOされたときの猪木そっくりに。ということは、まぎれもなく本物の気絶や。
「イッチ、大丈夫か?」
見ると、イッチも舌を出しとる。しまった。ダブル失神させてもうた。
「ペローン、なんちゃって。ぼくなら大丈夫」
イッチが舌をペコちゃんみたいにして、ウィンクした。わしはどっと疲れた。
「驚かすなや。イッチまでやってもうたと思ったわ」
「フフフ。敵をあざむくにはまず味方からってね。さあ、あとはミス花畑だ」
「サンマルチノなら伸びとる。あんたがやったんや」
「え?」
DDTを食らって死んだようになってるサンマルチノを見て、イッチは信じられないという顔をした。
「じゃあ、ぼくたち勝ったの?」
「そうらしいで。二人ともねんねや」
「あの怪人コンビに……勝った……」
その様子は、あたかも猪木・坂口組に勝利して、ホントにおれたちがやったのかと驚き惑う、若き日のマッチョ・ドラゴンを彷彿とさせた。
ちゅーことは。
「やったぞ!」
パク・チュー役のわしと、がっちり抱き合った。
自然な抱擁や。
なんの罪悪感もない。嫌悪感もない。共に死力を尽くして闘い、強敵を破った仲間への、爽やかで純粋な共感しかなかった。
イッチと抱き合いながら、わしは心ん中で母親に向かって叫んだ。
ザマーミロ。わし、あんたらに勝ったで!
パチパチパチ。
拍手の音が聞こえて、ハッと後ろを向いた。
タマちゃんとサンマルチノが、いつの間にかテーブルに寄りかかって立っとった。
「敗けたよ、ヤングパワーに」
タマちゃんが苦笑いを泛かべて、潔く言った。
「空中で蹴られて落下したときは、誇張しすぎたパーフェクト・ヒューマンくらい首が曲がっちまった。あれで勝負あったな」
「わたしも」
サンマルチノも、笑みを見せて言うた。
「DDTを受けた瞬間、目の前がぱーっと明るくなって、オーマイゴッドファーザー降臨って思ったわ」
「ところで一ノ瀬くん」
タマちゃんが、椅子によいしょと坐って、イッチを手招きすると、
「さっきわたしがジャンピング・ニーをする前に言ってた、外果とか内果とかの話。あれはどういう意味か、教えてくれるかね」