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ストローを持ったまま、俯いてグラスをじっと見ている私に、ヒロヤさんが水を注ぎにきた。
「なんだか、みんな青春してるね。いいな、若いって」
「ヒロヤさんだって、まだまだ若いですよ」
常套句の言葉で返す明彦だったが、ヒロヤさんは確かに見た目はまだ若い。
「でもね、君たちと一回りは違ってるよ。この差は大きい」
私達と一回り違うということは、ヒロヤさんは27,8くらいということになる。
それでもまだ青年のように若々しかった。
メガネを外せば、もっと若くみえそうなくらい、童顔な顔つきをしている。
商売をしているせいかもしれないが、柔らかな物腰に愛想の良さがとても温和で全く角がなかった。
白い細い指先でグラスを持ち上げ、水滴がついて冷たそうな銀色のピッチャーで水を入れていく。
暫し、私はその作業を見ていた。
特にピッチャーの水滴を見つめると、雨の日の思い出話をしていただけに記憶が突付かれたような思いだった。
私達のテーブルが終わると、瑛太の方へと向いて同じように水を入れていた。
その時、足元でペタンと何かが倒れた音が聞こえた。
それは瑛太が本屋で買い物した時の袋だった。
勢いつけて倒れたのか、中身が袋から滑って半分見えている。
ヒロヤさんは、すぐさまピッチャーをカウンターに乗せると、すぐにかがんでその本を拾った。
「足元あたっちゃったみたい。ごめんね。でも英検二級対策本ってすごいね。これ瑛太君の本?」
瑛太は、その時見られてはいけないものを見られて困っているようにかなり慌てていた。
「あっ、はい」
瑛太は受け取ると、私達の反応を気にするようにチラリとみて、すぐ本をしまった。
私もその時、かなりショックを受けていた。
瑛太がすでに英検二級の対策本を購入するなんて、負けたような気持ちになってくる。
私はこの時一つランクが下の英検準二級を目指していた。
英検二級なんて高校三年を卒業した英語のレベルで、一般の高校生が現役で合格するのはかなり難しいはず。
一般の大人でも英語が得意じゃないと中々受からないと聞く。
それなのに、もう高校一年生から対策を考えているなんて、何かの間違いじゃないかとさえ思う。
まさか、すでに英検準二をパスした?
急にライバル意識が芽生えて、瑛太に負ける事が悔しくなってくる。
私はこの時、瑛太を見下していたことに完全に気がついてしまった。
ふと自分の制服のブレザーを見ては、自分がどれほどこの制服に自惚れていたのかよく分かった。
瑛太は何事もなかったように、すました顔をして、やり過ごそうとしていた。
「真由ちゃん、ね、瑛太って見かけによらず結構勉強家でしょ。だから、あまり瑛太のこと誤解しないでやってね」
「明彦、ただ本を買っただけで勉強家って決め付けるなよ。買ってきてって姉ちゃんに頼まれただけなんだから……」
「見え透いた嘘つかなくてもいいじゃない。瑛太は英語が好きなんだから」
私をやりこめるために利用しようとした明彦に突込みを入れられ、瑛太は反対に自分が窮地に追い込まれた気分でいるようだった。
別に隠すことでもないのに、私は負けたくないという気持ちから少し気が荒立っていた。
「皆、がんばれよ。僕は一生懸命頑張る君たちが好きだ!」
応援を送りたいのか、ヒロヤさんが突然吠え出して、私達は面食らってしまった。
「ごめんごめん。つい僕も混ぜてもらいたくなった。やっぱりいいね、高校生って」
「そういえば、ヒロヤさんの高校時代って確かアメリカで過ごされたんでしたよね」
明彦が言った。
初耳だったので、私も拓登も瑛太もハッとしてヒロヤさんに視線を向けた。
「まあね。そういうこともあったという感じかな」
それ以上聞かれたくないのか、語尾が弱々しくなっていった。
私としては憧れてるだけに、とても興味を持ってしまった。
もっと詳しく聞きたいと思ったとき、電話のベルが鳴って邪魔をされてしまい、ヒロヤさんは奥へと引っ込んでいった。
またここへ来たら、いつでも話が聞けるだろうと思ってヒロヤさんの話はとり合えず横に置いておく。
そして私は再び瑛太を見た。
先ほど、レモンをつついたときにふと思い出した事を確かめたいのだけど、英語を勉強している事を知ったことでなんだか落ち着かない気持ちになって、中々質問できなくなった。
そうやってもじもじしていたとき、体の中も生理的現象が騒ぎ出す。
アイスティのカフェインの利尿効果のせいか、私はトイレに行きたくなってしまった。
よく考えたら男達に囲まれて、私一人だけが女だった。
我に返ると、この中にいることがはずかしくなってくる。
でも尿意には勝てずに私は思い切って正直にトイレに行きたい事を言った。
明彦が親切に場所を教えてくれ、私が女だから気を遣ってくれているのか、そこはすんなりとトイレにいけた。
奥の方へと足を踏み入れると、電話を終えたヒロヤさんもでてきて「あっ、トイレだね。ここだよ」と丁寧に教えてくれる。
さっきまで色んな感情が渦巻いていたが、ドアを開けて中に入るとほっと一息つけた。
清潔なお店だけに、トイレも工夫を凝らした装飾でとても奇麗で落ち着く。
男一人で切り盛りしている店なのに、花を飾ったりと細やかな気配りがすごいと素直に感心した。
ヒロヤさんのこともどんどん気になるし、また、瑛太の知らなかった部分が現れて落ち着かなくなるし、明彦と知り合って千佳の弟なだけに親近感が湧いて邪険にできないし、色んな感情が一気に出てくる。
拓登は物静かに座ってるだけだったのが、なんか無視したみたいで、なんだか申し訳なくなる。
一緒に帰ろうと誘ってくれたのは拓登だったのに、色んな邪魔が入っておかしな方向へと流れてしまった。
一通りすませた後、洗面所で手を洗い、さりげなく自分の身だしなみをセットする。
自分は皆にどう見られているのだろうか。
拓登に声を掛けられ、瑛太に絡まれ、そして過去の事を穿り出されて、さらに輪が広がっていく。
自分の中の色んな感情が渦巻いて、自分でも自分の存在がどうあるべきなのか分からなくなっていく。
いつまでこんなゴタゴタが続くのだろうか。
雨が降って、傘を貸してから全てが始まったようにも思える。
まだ足元はぐちゃぐちゃしているような気分だった。
トイレから出てきたとき、瑛太がテーブル側に近づいて拓登と話をしている。
それを見たとき、この日の朝、一緒に二人が電車に乗ったことを再び思い出した。
しかし、このときもまた新たな違和感を感じた。
なぜなら二人は笑っているように見えたからだった。
その二人の様子は、私の目から見たらすでに仲良くなっている感じがした。
ストローを持ったまま、俯いてグラスをじっと見ている私に、ヒロヤさんが水を注ぎにきた。
「なんだか、みんな青春してるね。いいな、若いって」
「ヒロヤさんだって、まだまだ若いですよ」
常套句の言葉で返す明彦だったが、ヒロヤさんは確かに見た目はまだ若い。
「でもね、君たちと一回りは違ってるよ。この差は大きい」
私達と一回り違うということは、ヒロヤさんは27,8くらいということになる。
それでもまだ青年のように若々しかった。
メガネを外せば、もっと若くみえそうなくらい、童顔な顔つきをしている。
商売をしているせいかもしれないが、柔らかな物腰に愛想の良さがとても温和で全く角がなかった。
白い細い指先でグラスを持ち上げ、水滴がついて冷たそうな銀色のピッチャーで水を入れていく。
暫し、私はその作業を見ていた。
特にピッチャーの水滴を見つめると、雨の日の思い出話をしていただけに記憶が突付かれたような思いだった。
私達のテーブルが終わると、瑛太の方へと向いて同じように水を入れていた。
その時、足元でペタンと何かが倒れた音が聞こえた。
それは瑛太が本屋で買い物した時の袋だった。
勢いつけて倒れたのか、中身が袋から滑って半分見えている。
ヒロヤさんは、すぐさまピッチャーをカウンターに乗せると、すぐにかがんでその本を拾った。
「足元あたっちゃったみたい。ごめんね。でも英検二級対策本ってすごいね。これ瑛太君の本?」
瑛太は、その時見られてはいけないものを見られて困っているようにかなり慌てていた。
「あっ、はい」
瑛太は受け取ると、私達の反応を気にするようにチラリとみて、すぐ本をしまった。
私もその時、かなりショックを受けていた。
瑛太がすでに英検二級の対策本を購入するなんて、負けたような気持ちになってくる。
私はこの時一つランクが下の英検準二級を目指していた。
英検二級なんて高校三年を卒業した英語のレベルで、一般の高校生が現役で合格するのはかなり難しいはず。
一般の大人でも英語が得意じゃないと中々受からないと聞く。
それなのに、もう高校一年生から対策を考えているなんて、何かの間違いじゃないかとさえ思う。
まさか、すでに英検準二をパスした?
急にライバル意識が芽生えて、瑛太に負ける事が悔しくなってくる。
私はこの時、瑛太を見下していたことに完全に気がついてしまった。
ふと自分の制服のブレザーを見ては、自分がどれほどこの制服に自惚れていたのかよく分かった。
瑛太は何事もなかったように、すました顔をして、やり過ごそうとしていた。
「真由ちゃん、ね、瑛太って見かけによらず結構勉強家でしょ。だから、あまり瑛太のこと誤解しないでやってね」
「明彦、ただ本を買っただけで勉強家って決め付けるなよ。買ってきてって姉ちゃんに頼まれただけなんだから……」
「見え透いた嘘つかなくてもいいじゃない。瑛太は英語が好きなんだから」
私をやりこめるために利用しようとした明彦に突込みを入れられ、瑛太は反対に自分が窮地に追い込まれた気分でいるようだった。
別に隠すことでもないのに、私は負けたくないという気持ちから少し気が荒立っていた。
「皆、がんばれよ。僕は一生懸命頑張る君たちが好きだ!」
応援を送りたいのか、ヒロヤさんが突然吠え出して、私達は面食らってしまった。
「ごめんごめん。つい僕も混ぜてもらいたくなった。やっぱりいいね、高校生って」
「そういえば、ヒロヤさんの高校時代って確かアメリカで過ごされたんでしたよね」
明彦が言った。
初耳だったので、私も拓登も瑛太もハッとしてヒロヤさんに視線を向けた。
「まあね。そういうこともあったという感じかな」
それ以上聞かれたくないのか、語尾が弱々しくなっていった。
私としては憧れてるだけに、とても興味を持ってしまった。
もっと詳しく聞きたいと思ったとき、電話のベルが鳴って邪魔をされてしまい、ヒロヤさんは奥へと引っ込んでいった。
またここへ来たら、いつでも話が聞けるだろうと思ってヒロヤさんの話はとり合えず横に置いておく。
そして私は再び瑛太を見た。
先ほど、レモンをつついたときにふと思い出した事を確かめたいのだけど、英語を勉強している事を知ったことでなんだか落ち着かない気持ちになって、中々質問できなくなった。
そうやってもじもじしていたとき、体の中も生理的現象が騒ぎ出す。
アイスティのカフェインの利尿効果のせいか、私はトイレに行きたくなってしまった。
よく考えたら男達に囲まれて、私一人だけが女だった。
我に返ると、この中にいることがはずかしくなってくる。
でも尿意には勝てずに私は思い切って正直にトイレに行きたい事を言った。
明彦が親切に場所を教えてくれ、私が女だから気を遣ってくれているのか、そこはすんなりとトイレにいけた。
奥の方へと足を踏み入れると、電話を終えたヒロヤさんもでてきて「あっ、トイレだね。ここだよ」と丁寧に教えてくれる。
さっきまで色んな感情が渦巻いていたが、ドアを開けて中に入るとほっと一息つけた。
清潔なお店だけに、トイレも工夫を凝らした装飾でとても奇麗で落ち着く。
男一人で切り盛りしている店なのに、花を飾ったりと細やかな気配りがすごいと素直に感心した。
ヒロヤさんのこともどんどん気になるし、また、瑛太の知らなかった部分が現れて落ち着かなくなるし、明彦と知り合って千佳の弟なだけに親近感が湧いて邪険にできないし、色んな感情が一気に出てくる。
拓登は物静かに座ってるだけだったのが、なんか無視したみたいで、なんだか申し訳なくなる。
一緒に帰ろうと誘ってくれたのは拓登だったのに、色んな邪魔が入っておかしな方向へと流れてしまった。
一通りすませた後、洗面所で手を洗い、さりげなく自分の身だしなみをセットする。
自分は皆にどう見られているのだろうか。
拓登に声を掛けられ、瑛太に絡まれ、そして過去の事を穿り出されて、さらに輪が広がっていく。
自分の中の色んな感情が渦巻いて、自分でも自分の存在がどうあるべきなのか分からなくなっていく。
いつまでこんなゴタゴタが続くのだろうか。
雨が降って、傘を貸してから全てが始まったようにも思える。
まだ足元はぐちゃぐちゃしているような気分だった。
トイレから出てきたとき、瑛太がテーブル側に近づいて拓登と話をしている。
それを見たとき、この日の朝、一緒に二人が電車に乗ったことを再び思い出した。
しかし、このときもまた新たな違和感を感じた。
なぜなら二人は笑っているように見えたからだった。
その二人の様子は、私の目から見たらすでに仲良くなっている感じがした。