魅力的な顔を惜しみもなくぐんぐん近づけられると、こっちはドキドキするだけで何を言っていいのかわからない。
 山之内君は一体何がしたいのだろうか。
「あの、ちょっと、待って。そんなに近づいてもらっても困るんだけど」
 前日も傘を奪い取っては、距離を縮ませてきたし、同じように顔を近づけてもきた。
 これはどういう意味なのだろうか。
「やっぱり、まだダメなのかな」
 山之内君はがっかりしたように首をうな垂れた。
「山之内君? 一体どうしたの?」
「僕はただ、倉持さんに僕の事をわかって欲しいんだ。そうじゃないと、僕は……」
 何かを訴えるような瞳が、少し揺れていた。
 山之内君のことは私も気になっているし、それは周りがかっこいいからとか、アイドルのように囃し立てているから、私なんかに声を掛けてもらったことで、優越感に似た気持ちがどうしても入ってしまう。
 それを素直に認めて、好きだなんて気軽に言えるわけもなく、私も実際どうしていいのかよく分かってない。
 まだ出会ったばかりで、いきなりこれが恋とかそういうものかもわからない。
 だから、どう思うとか聞かれても、実際困るだけだった。
 もしここで私が好きという言葉を言えば、山之内君はどう対応するというのだろうか。
 かなり捻じれた不思議な状況に、私は口をパクパクとさせるだけで、考えが声になって出てこなかった。
 そして、電車は休みなく次々と入ってきている。
 その度、家路を目指した人が波のように改札口に押し寄せて溢れだす。
 沢山の人が私達の周りを通過している間、私達はお互い黙り込んで波が引くのを待つように突っ立っていた。
 若い男女が向き合っている姿を好奇心でじろじろと見て行く人がいる中、露骨な視線が突き刺さって非常に居心地が悪かったが、下手に動いても迷惑になるだけだったので、その場に静かに留まっていた。
 そんなとき、肩を思いっきり叩かれて、体がびくっと跳ね上がった。
「よっ、倉持じゃないか。こんなところに突っ立って何してんだよ」
 池谷君だった。
 またややこしいのが来てしまった。
 喫茶店で会ったときは借りてきた猫のように大人しかったのに、なぜ今は水を得た魚のように生き生きとして活動的なのだろう。
 お願いだから、あまり掻き回さないで欲しい。
 ただでさえ、今、あんたの事を話していただけに、このタイミングで来られるのはイライラしてしまう。
 私は早く帰ってと懇願する思いを込めながらキッと強く池谷君を見た。
 そんなことしても全く無駄だった。
 却って池谷君は状況をすぐに飲み込み、帰る気がない意志を私に知らせるように、何かを企んでいるようなニタついた笑みを浮かべた。
「えーっと、こいつが山之内君だね。どうも」
 馬鹿、こいつって言うんじゃない。
 私は思わず池谷君を睨んでしまった。
 そんな私の態度など気にせず、わざとらしく山之内君に微笑みかけ、そして右手を差し出していた。
 山之内君は戸惑っていたが、差し出された手を拒めずに、恐る恐る握手を交わしてしまう。
 池谷君は山之内君の手を強く握っては、ブンブンと大きく上下に揺らしている。
 山之内君の顔はどこか引き攣っていたが、敢えてされるがままになって様子を見ていた。
「俺、池谷瑛太。よかったら瑛太って呼んでくれ」
 山之内君は圧倒されたまま、池谷君を見つめるだけだった。
「倉持も、俺のこと瑛太って呼べよ。そしたら俺も真由って呼ぶから」
「ちょっと待ってよ、なんで池谷君に呼び捨てにされないといけないのよ」
「何言ってんだよ。俺たち、一線を越えた中じゃないか」
「ちょっと、それどういう意味よ。変なこと言わないでよ」
 私は思わず山之内君の顔を窺う。
 山之内君は呆然として、池谷君を見ていた。
「ちょうどいいから、山之内君にも聞いてもらおう。俺、小学一年の時、真由の頬にキスしたんだ。そんでそれを思い出して、昨日、また頬にキスをしちゃったよ。なっ、真由」
「ちょっと、待ってよ。それって、無理やりってことでしょ。はっきり言って犯罪よ!強制わいせつ!」
「おいおい、そこまでいうか」
 私が喧嘩腰になっていると山之内君はびっくりした表情をしていた。
「小学一年の時に頬にキス? そして昨日も?」
「だ、だからそれは、ちょっとした事故で、無理やりで私は望んでなかった」
 こんな事をばらされて泣きたくなってくる。
 山之内君も唖然として、口をぽかんと開けていた。
「小学一年の時と昨日、本当に池谷君が、倉持さんにキスをした?」
「おいおい、瑛太でいいって言ってるだろ。遠慮すんな」
「ちょっと、瑛太! いい加減にしなさい」
 私は腹が立ち、冷静になれなくなって自然と瑛太と呼び捨てにしてしまった。
 キスのことは山之内君にはやっぱり知られたくなかった。
 この時、私は山之内君のこと完全に意識してることに気がついた。
「あっ、もしかして山之内君、ヤキモチ焼いてるのかな」
 瑛太は悪役のキャラクターのようにニタついて山之内君をコケにしている。
「瑛太、いい加減にして。あんたね、一体何を考えてるの。その態度、山之内君に失礼でしょ」
「山之内君に失礼? はぁ? 失礼なのはどっちさ。昨日は俺が現れても何も確かめずに勝手に走り去って帰っていってさ、それで今日になって俺のこと真由に聞いてるんだろ。言いたい事があるんなら、すぐに言えばいいじゃないか。黙って見てみぬフリしてる方が失礼さ」
 瑛太は鋭い目線を山之内君に突きつけた。
「黙って聞いてたら、言いたい放題なんだね…… 瑛太」
 山之内君がとうとう我慢できなくなって落ち着きながらも、どこかで凄みをかけた声を出した。
「おっ、俺の名前をやっと呼んでくれたね。そう来なくっちゃ。それじゃ俺もあんたの名前を呼ばせてもらおうか。なんて呼べばいい?」
「拓登(タクト)だ!」
「拓登か」
 瑛太は鼻で笑って、挑戦的な目を向けた。
 ちょっとちょっと、一体どうなってんのよ。
 どうして瑛太と山之内君がにらみ合ってるのかわからない。
「ちょっと待って、あの」
 私が収集つけようと二人の間に入ろうとするが、完全に無視された。
「瑛太、嘘をつくのはやめてもらおうか。倉持さんも困ってるだろ」
「一体なんの嘘をついたんだよ。文句があるならはっきり言えばいいじゃないか。拓登は真由の事をどうしたいんだ? 俺、昨日ちゃんと告白したんだぜ。真由 が好きってな。あんたもはっきりと気持ちを伝えたらいいじゃないか。なんか見てたらまどろっこしいというのか。イライラしてくる」
 山之内君はぐっとお腹に力を溜め込むように黙りこくった。
 何かを言いたそうにしながらも、それを押さえ込んでいるようだった。
 そしてようやく口を開けた時、私を見た。
「僕は、その、倉持さんに……」
 その後が言い難いのか、またぐっと歯を食いしばっている。
「ほら見ろ、言えないじゃないか」
「もう、ちょっと、瑛太いい加減にして。一体、何がしたいわけ? はっきり言って、瑛太とは昨日初めて喋っただけで、私とは全く関係ないでしょ」
「なんでだよ。俺たち、小学一年生からの仲じゃないか。俺は真由のことずっと見てたぞ」
「でも、私は全然見てなかった」
「でも俺のことは知ってるだろ。なんせ小学一年生のとき同じクラスだったんだから」
 小学一年生のことばかり瑛太は強調する。
 そんな大昔なこと強調されても、滑稽なだけなのに、なぜそこまでそれに拘るのかがわからない。
「そ、それは、もちろん覚えてるけど…… なんでそんな昔の事を今頃」
 この時、山之内君は怒りを抑えているのか体全体がブルブル震えていたように思えた。
 瑛太が馬鹿な事を口走って突っかかるから、我慢の限界だったかもしれない。
「瑛太、僕に何か恨みでもあるのか?」
「恨み? まあ強いて言えば嫉妬かな。真由と一緒にいたからね」
 山之内君はフラストレーションが溜まって顔つきがきつくなっていた。
 それでもかっこいいことには変わりなかったが、じっと瑛太を見つめ、また瑛太も引けを取らずに受けて立っているから、火花が飛ぶようだった。
 傍から見れば、三角関係のもつれに見えてそうで、まさにこれって私を取り合ってる構図?
 どちらも背が高いし、山之内君はもちろんかっこいいけど、瑛太も見かけだけは悪くない。
 そんな二人が私の前でいい合ってるなんて…… って、感心している場合じゃない。
 山之内君は立腹しているが、瑛太はなんだか違う。
 楽しそうに笑っている。
 完全にからかっているとしか見えなかった。
 ニヤリと笑う意地悪な瑛太の顔を見ていたら、ものすごく腹が立ってきた。
「違う! 瑛太のやってることおかしい」
 私は知らずと吼えていた。