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 池谷君が現れてから、私中心に話していた内容も憚られてしまい、暫く雑談が続いたが、そろそろいい時間になり、私達の方が先に腰を上げた。
 ここで池谷君も同じように腰を上げたら家路が同じなので困るのだが、ちらりと池谷君と明彦を見れば、なんだか真剣な顔をして話し込んでいたので、いそいそと行動する。
 私達が支払いを済ませても、池谷君は気にせず立つ気配がない。
 何をそんなに話しこんでいるんだろうと、私の方がなんだか気になってしまった。
 真剣に明彦と話している顔は、私がイメージする池谷君ではなかった。
 そんな事を気にしても仕方がないと、無視を決め込んだ。
「千佳ちゃんたち、今日は来てくれてありがとうね。またいつでも寄ってね。この時間はあんまりお客も来ないから穴場だよ」
 カウンターの端にあるレジにお金を入れながらヒロヤさんが言うと、千佳はまた目をキラキラさせていた。
「ヒロヤさん、自分で言ってたら世話ないけど、もっとお店を繁盛させた方がいいよ。それに私達にサービスなんてしなくていいから」
 ヒロヤさんは正規の値段よりも安くしてくれていた。
「この時間は学生の人たちは大歓迎だからいいの。それに忙しいよりも、ゆったりとした方がいいからね。これでも朝はモーニングサービス、昼間はランチタイムとかあって、時間によってはお客は来るんだよ。大丈夫、大丈夫」
 ヒロヤさんは物腰柔らかく、優しく笑っていた。
 人柄がよくあらわれている親しみのある笑顔だった。
 かの子もみのりも「また来ます」と答え、私も「美味しかったです」と声をかけると、メガネの奥で一層目が細く垂れていた。
「アキ、先に帰るけど、あんまり遅くなるなよ。それにヒロヤさんに迷惑かけるんじゃないぞ」
「うるさいな、ちょっと数分早く生まれただけで姉貴気取りなんだから」
「数分でも、姉には変わりない。文句言ってんじゃないの。宿題手伝ってるの誰だっけ?」
「はい、もちろん、お姉ちゃんです」
 急に態度を変えた明彦は、人懐こい笑顔で答えていた。
「千佳ちゃん、あんまりアキちゃん虐めちゃだめだよ」
 ヒロヤさんが後でフォローすると、明彦は庇ってもらった事を得意げにわざとらしい笑みを浮かべて舌をだしていた。
 それにきつい睨みで返し、最後はもう一度ヒロヤさんに振り返って、さようならの挨拶をすると、千佳は店を出て行った。
 私達三人も頭を軽く下げて、彼女の後をついて行く。
 池谷君をチラリと見れば、ちゃっかりと私に手を振って笑っていたから、慌てて外に出てしまった。
 通りに出ると、ほっと一息ついた。
 皆、口々に美味しいケーキだったことや、落ち着いたいいお店と褒めて、最後にヒロヤさんの人柄が気に入った事を千佳に告げた。
「それにしても真由、弟がまさか真由の知り合いを連れてくるなんて思わなかった。居心地悪かったんじゃない?」
「そんなことない。会ってしまったことはびっくりだったけど、席は離れてたし、気にならなかったよ。それより……」
 私はその後、ヒロヤさんと千佳の事を聞きたかった。
 千佳は絶対にヒロヤさんの事を好きに違いない。
 ヒロヤさんの前だけは千佳は普段見せない女の子らしさが出てくるだけに、どうしても気になって仕方がなかった。
「…… 千佳とヒロヤさんはどうやって知り合ったの?」
「ああ、昔からの知り合いでお世話になった人なんだ」
「とてもいい人そうだよね。優しさがにじみ出てた」
「みのりって、大人しいくせに見るところはしっかりと見てるよね」
 かの子が口を出した。
「みのりは一番冷静に物事を見て、観察するタイプだからな。で、みのりの目からみてヒロヤさんは他にどんな風に映った?」
 千佳の方から質問を振っていた。
「うーん、そうだね。とても世話好きで、人の事を考えるタイプって感じがした。もちろん優しくて素敵な人なんだけど、でもどこか、影があったかも。メガネのせいかな」
「さすが、みのり、良く見てるわ。ヒロヤさんってお人よしで、すぐに損しちゃうタイプなんだけど、損得なしに誰にでも優しいところが素敵なんだ」
「あんたさ、もしかしてヒロヤさんのこと好きなの?」
 やっとかの子が突っ込んでくれた。
 私もそれが聞きたかった。
「まあね。でも叶わない恋なんだ」
 回りくどく考えてた私の感覚を無視するように、あっさりと千佳が認めた。
「ヒロヤさんって、大人だもんね。あれは高校生を相手にしないタイプだわ。でも千佳に好きな人がいたなんて知らなかったわ。あんたが一番恋には程遠いタイプって気がした」
「かの子は、デリカシーがないよ。千佳だって女の子なんだから、恋くらいするって。それを隠さず潔く認めているだけ、やっぱり気持ちいい。誰かさんと違って」
 みのりがちらりと私を見ると、それに合わせるようにみんなの視線がこっちに向いた。
「真由、あんたは結局どうしたいんだ? やっぱり山之内君のこと好きなんでしょ」
 恋しているとはっきり認めた千佳に聞かれると、どう答えていいのかわからない。
「そろそろ、はっきりと自分の気持ちを決めた方がいいぞ。どっちつかずだと、山之内君に憧れてる女の子の反感買うぞ」
「やだ、かの子やめてよ、脅すのは。山之内君もただ友達として私と話してるだけのように思うし、私も変な期待しちゃったら、あとで辛い」
「あっ、真由、やっぱり恋の駆け引きでどっちに転ぶか慎重になってるんだね」
 みのりは悪気なく、びしっと要点をついてくる。
 それが一番言われたら恥ずかしいことだと言うのに。
 相手の様子を見て、どうしようか迷ってるなんて、あざといし、自惚れてるってみえみえ。
「みんないじめないでよ。私もこんなこと初めてで、すごく混乱してるしさ。だって、あんなにかっこいい人がいきなり近づいてきてくるんだよ。戸惑わない方がおかしくない?」
「もちろんそうだ。真由は自分の気持ちのままに行動すればいいだけ。こればかりは他人は口挟むことじゃないからね。でも、真由はすでに山之内君に恋してると思うよ。それを認めるのが怖いだけさ」
「えっ?」
 千佳の言葉にはっとさせられた。
「もういいじゃん。これ以上真由をいじめるのはやめよう。ここは真由の味方にならなくっちゃ」
 千佳は私の肩を抱いて、励ましてくれている。
 なんて男前な。
 そんな言葉がほんとに良く似合う。
 ヒロヤさんの前ではかわいらしく、女の子しているそのギャップが千佳をとても魅力ある女の子にしているように思えた。
 髪が短いから少年っぽいけど、こんなショートの髪型がきりっと似合うのは元がいいからだと思う。
「千佳も頑張ってよ。私応援してるから」
 千佳は笑っていたけど、どこか目が寂しそうに陰りを帯びていた。
 伝わらないもどかしい気持ちを抱えた恋する女の子の目だった。
 こうやって女の子達だけで、恋の話をするのはやっぱり楽しいひと時だった。
 それは皆も感じていたことなのか、より一層私達の友情が強まったような気がする。
 後は、そこに実った恋があれば、本当に充実した高校生活になるのだろうか。
 山之内君と一緒に帰ったときの事を思い出してしまう。
 やはりドキドキとしてそれが新鮮で快感でもあった。
 この日も一緒に帰ろうと誘ってくれたけど、女友達を優先したものの、あの時彼が何を私に話したかったのかとても気になってしまった。

 それぞれの路線に向かうために皆と別れ、暫く一人で電車に揺られて自分の駅に着けば、空は陽が大きく傾いて、セピア色の優しい夕暮れ時だった。
 一日の終わりを感じながら、一緒に降りてきた人たちに混じって改札口を目指していた。
 何も考えず慣れた動作で定期を改札口にかざして、駅の外に出た。
「倉持さん」
 またそこで自分の名前が呼ばれたように思った。
 顔をあげると、日が暮れていく黄昏の中、私服姿の山之内君が自転車を手にして立っていた。