昼休みが終わりそうなころ、あたしと初生は屋上庭園を後にした。更衣室で体操服に着替える。
「よぉっし、頑張るぞ!」
 次は風坂先生の授業! 初生には悪いけど、今はテンション上げさせてもらいます!
 初生の手を引っ張って、るらるら歌いながら廊下の角を曲がる。その途端、向こうから来た人とぶつかりかけた。
「うぎゃっ。危ないなー。右側通行がルールだよ?」
 相手の顔を見て足が止まる。固まったのは、相手も同じ。
「うるさいな」
 瞬一だった。あたしを見て、初生を見て、あからさまに目をそらす。横顔が他人みたいに見えた。
 あたしは初生の手をキュッと握った。
「瞬一、今の態度は失礼でしょ? いつまで避けるつもり? あたしは瞬一の姉みたいなものだから、あんたのそういう態度も許せるけどさ、初生に対してそれはないんじゃない?」
 さすがのあたしも、ちょっとまじめに怒っちゃうよ。いい加減にしてほしい。
 瞬一はそのまま行ってしまおうとした。あたしは瞬一の腕をつかんだ。硬いんだ、男の子の腕って。その腕がビクッとした。
「な、何すんだよ?」
「逃げないでってば」
 初生の手が震えてる。瞬一があたしの手を振り払った。
「この間の話、答えろってのか?」
「返事するって言ったのは、瞬一でしょ?」
 初生が、か細い声をあげた。
「えみちゃん、でも……」
 初生が声を呑み込んだのは、瞬一がこっちを向いたからだ。あたしでさえ、ハッとした。瞬一の両目は静かで薄暗くて、だけどひどく熱い。
「いろいろ考えてはみたよ。でも、やっぱり、自分の気持ちは曲げられない。嘘をついても、遠野さんに失礼だ」
「瞬一、それって……」
「ごめん、遠野さん。おれ、遠野さんとは付き合えない。ほかに好きな人がいるから」
 不意に、初生が腕を振った。乱暴な仕草だった。初生の手はあたしの手から離れていった。
 初生は、キッパリと顔を上げていた。唇は震えていた。
「わかってた。甲斐くんの気持ちは知ってた。わからないはずないよ。ずっと隣にいたわたしが、気付かないわけない」
「わかってたって? 初生、何のこと?」
「わかってないのは、えみちゃんだけ。誰も何も言わなければよかった。知らんぷりのままがよかった。壊れずに済んだのに」
 初生の声は震えながらも落ち着いている。覚悟というより、絶望してるみたいに聞こえた。
 瞬一が、もう1回、ごめんって言った。
「聞いてないふりすればよかった。だけど、黙ってられなかったんだ。こいつがバカすぎて」
 こいつっていう瞬一の独特の言い方は、あたしを指すときの。
「あたしが、何でバカ?」
「こんだけ状況わかってなかったら、バカだろ?」
「はい?」
 瞬一は吐き捨てた。
「おれが好きなのは、笑音だ。だから、遠野さんとは付き合えない」
 何を言われたのか、わからなかった。頭も体も固まって、息が止まった。
 初生の声が聞こえた。歪んだ声だった。
「えみちゃん、ほんとに、わかってなかったの?」
 泣いてるようにも笑ってるようにも聞こえた。
 瞬一が立ち去っていく。足音。後ろ姿。あたしの頭を揺さぶる残響。叩き付けられた言葉。
 あたしは立ち尽くしてる。
 初生があたしに背中を向ける。歩き出す。途中から走り出す。足音と後ろ姿が遠ざかる。ねえ、ちょっと待って。
 あたしは取り残されている。