相談室内は十畳ほどで、手前に応接用のソファとガラステーブル、奥に執務用のデスクと安楽椅子、壁際には本棚が見て取れた。
 安楽椅子から一人の男性がすっくと立ち上がり、キヨシとルイを迎え入れる。
「やぁ、相談者のお出ましかい?」
 成人男性の平均身長よりやや低い、華奢(きゃしゃ)優男(やさおとこ)だ。
 中性的で恐ろしく秀麗な眉目(びもく)である。流れるような黒の前髪を手で払い、毛先の合間から切れ長の眼光をキヨシに差し向けた。
 細い顎のライン、すらりと伸びた手足は、どことなくルイに似ている。春用のセーターとスラックス、その上に白衣をまとっていた。
「僕は湯島(ナミダ)。よろしく」
「湯島……?」
 キヨシが(いぶか)る間もなく、隣に居たルイが床を蹴った。
 カウンセラーめがけて突進したかと思うと、首ったけに抱き着いたではないか。
「やっほ~お兄ちゃん(・・・・・)! 今日も保健室からワケアリ生徒を連れて来たよ~!」
 お兄ちゃん。
 兄妹なら同じ苗字も頷ける。
 外見が似ているのも得心が行った。
(けど普通、兄妹で抱き着いたりするか?)
 キヨシが呆然と眺める間も、ルイは兄にむしゃぶり付いて離れない。
 ナミダは妹をいさめつつ、とりあえずキヨシをソファに座るよう手で促した。
「ルイは僕の二卵性双生児で、重度のブラコンなのさ……よくある設定だね、あるある」
「いや、設定って……」
 突っ込もうとしたキヨシは、しかし途中で絶句する羽目になった。
 ナミダの全身像、特に足元が目に入った瞬間、異様なものを感じたからだ。
 ――機械の駆動音。
 ナミダの左足首は、義足(ぎそく)だった。
 彼の左手には、歩行補助用のステッキが握られている。
「義足……っすか?」
「結構インパクトあるだろう? あるある」
 ナミダは、密着するルイを引きずりながらソファに腰かけた。
 キヨシも対座に尻を落とし、改めてナミダを正視した。いかにも奇怪なカウンセラーだが、本当に信用できるのだろうか。
「あははは、僕のこと疑ってるね?」
「な、なんで判るんすか!」
「仕草や目線で判るよ、僕は心の専門家だからね。よくある読心術さ、あるある」
 人を食ったように飄々(ひょうひょう)と話すナミダが測り知れない。
 キヨシは『義足』の詳細について聞いてみたかったが、曖昧にはぐらかされそうだ。どうにか場をつなぐために出た言葉は、次のような質問だった。
「き、兄妹とはいえ、よく似てるっすね」
「双子だからね……ほらルイ、そろそろ離れて」
「は~い」名残惜しそうに居住まいを正すルイ。「私たちの名前も『涙』と『泪』で共通のモチーフなのよ~。遺伝子もお兄ちゃんと一緒! 一心同体! も~最高!」
 さすがブラコン、はしゃぎ方がおかしい。
 家族が同じ題材で命名をすることは多い。同じ漢字を分け与えたり、読み仮名を共有したりすることも、ままある。
「ナミダって名前は珍しいっすね」
「まぁね。たまに『波田(なみだ)さん』って苗字と勘違いされることもあるよ、あるある」
 柳のようにのらりくらりと答えるナミダは、キヨシの調子を狂わせた。
 彼の語り口に飲み込まれる。斜に構えた挙動は、対話の主導権を握ろうとするカウンセラー特有の手練手管が盛り込まれている。
「ナミダ先生って本職もカウンセラーなんすか?」
「いや、大学で心理学の講師をしてるよ。准教授に昇進するための実績作りも兼ねて、スクール・カウンセラーの要請を引き受けたのさ。よくある副業だよ、あるある」
「私が校長にお兄ちゃんを推薦したの~! 私って出来た妹よね~! 内助の功だわ!」
 ルイは恋するような眼差しで、兄に媚びを売っている。
 何が彼女をここまで(とりこ)にするのだろう?
 ナミダの義足に何か秘密でもあるのだろうか――?
「いいんすか? 保健室に来た生徒を、他人に任せても」
「スクール・カウンセラーは週イチ出勤で馴染みが薄いから~、普段は保健室が受付窓口になってるだけよ~。出勤日は文科省の規定だから逆らえないのよね~」
 ルイが唇を尖らせる。
 毎日出勤すればもっと兄に会えるのに、と考えていそうだ。
 スクール・カウンセラーは週イチの非常勤扱いだ。ゆえに本職を別に持つカウンセラーが大多数である。
「そろそろ本題に入ろうか」ステッキを床に突くナミダ。「君の悩みは何だい?」
「あっはい、実はっすね――」
 キヨシはもう一度あらましを説明した。
 他校に通う派手な女子と、級友の地味な女子。キヨシは派手な女子に想いを寄せるが、あえなく失恋してしまう。その後間もなく、派手な女子が死体で見付かった――。
 語り終えると、ナミダは大きく膝を叩いた。
「なるほど! よくある恋の話だね、ありがちありがち」
「…………は?」
 思いのほか軽く流されてしまい、キヨシはへそを曲げた。
 よくある恋?
()れた女の死体が、よくあってたまるか!!)
 こめかみに青筋が浮かぶ。
 ナミダはお構いないしに、ずいっとテーブルの上へ身を乗り出した。顔が(せま)る。近い。
「カウンセリングは通常、相談者の言い分を尊重する『傾聴(けいちょう)』が基本だけど、僕は違う。相談者の意表を突き、心障や原因をズバリ指摘して、ショック療法的に解消するのさ」
「は、はぁ……?」
「君の恋路は、実にありきたりだ。通学中に見かけた異性へ好意を持つ……これは心理学の『単純接触効果』という作用だよ」
「た、単純接…………何?」
「人間は、出会った頻度に比例して親しくなる(・・・・・・・・・・・・・・・・)のさ。何度も遭遇するうちに警戒が薄れ、見慣れた顔に親近感が湧くんだよ。うん、あるある」
「つ、つまり俺がハルミちゃんに惚れたのは、恋じゃなくて心理作用なんすか?」
「ハルミ?」
 ナミダは女子の名を反復するや、テーブルから身を引いた。
 元通りソファに座り直す。隣席のルイが再び抱き着いたが、ナミダは気にせずポケットから自分のスマートホンを引っ張り出した。
 ニュースサイトを閲覧する――死亡したのは汽村(きむら)治美(・・)。顔写真も載っている。
「なるほど、治美(ハルミ)か」画面を指でなぞるナミダ。「……君はどうやら、重大な見落としがあるようだ。あるある」
「へ?」
「死んだ女子高生は、ハルミさんではないよ」
「はぁ? どう見てもハルミちゃんっすよ!」
そういう意味じゃない(・・・・・・・・・・)。これに気付けば、君の悩みも解決するだろうね」
「言ってる意味が判んないっすよ! ……失礼します!」
 苛立(いらだ)ったキヨシは乱暴に席を立ち、大股で相談室を飛び出した。
 バタン、とけたたましくドアを閉める。
「怒らせちゃったか……まぁ僕のカウンセリングは人を選ぶからなぁ」
「む~、呼び戻して来るね」腰を上げるルイ。「彼を紹介した責任は私にあるし」
 妹が俊敏な足取りで退室した。キヨシを求めて廊下をさまよい、校舎と体育館を結ぶ渡り廊下にさしかかったとき、中庭へ出ようとするキヨシの後ろ姿を捕捉した。
「待ってよ~泥川くん」
「……何すか? あのカウンセラーは相談者(おれ)を否定したんすよ! 非常識っすよ!」
「心の先入観や固定観念を取り払うには、お兄ちゃんの破天荒な荒療治が有効なのよ~」
 ルイは優しく寄り添った。キヨシの肩に手を添えて、遠く中庭のしだれ桜を眺望する。
 嗚呼(ああ)――春だ。二人は今、春を見ている。
「お兄ちゃんは昔、左足首を失って心が荒んでたの。だからこそ、心を癒すには一筋縄じゃ行かないことを痛感してるのよ~」
「はぁ……あの義足って何なんすか?」
「高校生の頃、私をかばって交通事故に遭ったの」
「えっ!?」
「飲酒運転したトラックから私を守るために……以来、私はお兄ちゃんに恩を返したくて付き従ってるのよ~」
(それがブラコンの起源か!)
 キヨシは悟った。ルイは兄に対する恩情と負い目から、コンプレックスを宿したのだ。
「お兄ちゃんに言わせれば、私のブラコンは所詮『ペルソナ・ペインティング』を演じてるだけらし~けどね」
「ペル……?」
「何かを演じることで本来の自分を忘れて、精神の安定を図ろ~とする心理よ。私はお兄ちゃんへの贖罪(しょくざい)でブラコンの振りをしてるだけなんだって。そんなことないのに~」
 ぷんすかとほっぺを膨らますルイが可愛らしい。
 湯島兄妹の壮絶な過去に圧倒されて、キヨシは落ち着きを取り戻した。
 心には荒療治が必要。ナミダはその先駆者――。
「じゃあ、ナミダ先生には考えがあるんすね? ハルミちゃんのことも――」
「そ~よ。お兄ちゃんは冷徹に、冷静に、冷淡に、心理学的見地から事実だけを導くの」
「そうっすか……」不器用に頭を下げるキヨシ。「何か、すんませんでした」
「判ればい~のよ」笑顔で手を引くルイ。「相談室に戻りましょ~! お兄ちゃんの話を聞いてから、目玉の事故現場へ乗り込みましょ~か! 解答編の始まりよ~!」

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