「俺、好きだった女の子の死体を見たんすよ……怖くなって、通報せずに逃げ出しちまったんす! 情けない話っすけど、思い出すだけで吐き気と立ちくらみが……おえっ」
なんてことを言う男子生徒が、保健室の養護教諭に押し掛けた。
長身の男子である。座っているのに、正面に立つ養護教諭と目の高さがさほど変わらない。色素の薄い長髪、ぶっきらぼうな大声、大袈裟な身振りなど、何もかも大きい。
対する養護教諭は小柄な美女で、滝のように流れる黒髪と真っ白な小顔が印象的だ。服装は白のブラウスと黒のタイトスカート、白いニーソックス、肩には白衣をかけている。
「ん~、それって今朝ニュースで流れてた事件かな?」
養護教諭はソプラノボイスでのんびりと語った。
「それっすよ、ルイ先生!」
「下の名前で呼ばないの~。私は湯島。湯島泪よ、泥川潔史くん?」
「じゃあ俺のこともキヨシって呼んでいいっすよ」
「駄~目」
ルイは人差し指をあてがって、キヨシの発言を制止した。
彼女は男子からの人気が高い。小柄で慕われやすいのか、名前で呼ぶ生徒も多かった。
「ネットのニュースにも載ってるっすよ!」
キヨシはスマートホンをポケットから出し、これ見よがしに提示した。
『JR実ヶ丘駅付近の路地裏で、都立高校に通う女子生徒・汽村治美さん(17)が発見された。警察は事件と事故の両面から捜査を進めている』
などと文章で記されている。
「都立~?」首を傾げるルイ。「うちは私立高だから、よその子よね~?」
「ええまぁ……これ、俺が第一発見者っすけど、気分が悪くなって通報しなかったんす」
「心因性の体調不良ね~。具合が悪くなって逃げ出す『逃避機制』ってゆ~心理だわ」
「俺、誰にも相談できなくて……それで、最後の手段でルイ先生に――」
「湯島よ」たしなめるルイ。「しょ~がないわね。状況をも~一度、話してくれる~?」
「はい! 実は――」
* * *
――俺は電車で、駅で、桜並木の通学路で、その子をよく見かけた。
着崩した都立高の制服、明るめの茶髪、素顔が見えないほどの厚化粧……とにかく目立つ女子なんだ。
派手なせいで、毎日必ず目にとまるうちに……いつの間にか惚れていたんだ。
ある日の帰り、駅の改札へ向かう彼女を眺めていた俺は、後ろから肩を叩かれた。
「君って、あの子のストーカー?」
そこには、見知らぬ女子が立っていた。
第三者の出現だ。
あの子と同じ制服を着ているが、見た目は正反対に地味だった。野暮ったい三つ編みの黒髪、黒ぶちのダサいメガネ、化粧なしのすっぴん、校則通りで面白みのない制服姿。身長も低くてちんちくりんだ。
あの子とは比べるべくもない、冴えない風采。何だこの女……?
「君はどうして、毎日あの子を付け回すの?」
見られていた!
地味な女は無遠慮に俺を睨む。
こいつ、あの子の友人か何かか?
「じ、実は俺、通学中に見かけるあの子が気になってて……」
「ふぅん……青春ね」鋭く光るメガネ。「春の訪れを見た気分」
まぁ春だしな。桜が綺麗だ。
地味な女は顎をしゃくって、俺に付いて来るよう促した。
桜並木の彼方、駅前商店街に古いバラック風の喫茶店があった。俺はコーヒーをおごらされ、正面に向かい合って座る。
「わたし、あの子と同じクラスなの。相談に乗ってあげるわ」
「マジで!」降って湧いたチャンスだった。「俺はキヨシって言うんだ、よろしくな!」
「わたしはサナエ。……あの子は、ハルミよ」
名前を教え合った俺たちは、毎日ここで会うようになった。
ハルミちゃんの情報を得るためだ。学校ではどんな子なのか、評判は、人気は? 彼氏は居るのか? 好みのタイプは? 趣味は? 特技は?
いろいろ聞いて、どうやって告白するか算段を練る。しかしサナエは、だんだんと難色を示すようになった。
「わたしは春を見た。けど、君の春は見納めね」
「は?」
「告白はやめときなさい。話を聞く限り、あんたとじゃ釣り合わない気がする」
「何だと!」
「ハルミはあの通り派手で、柄が悪いわ。夜遊びも多いみたいだし」
「おいおい、級友の悪口を言うなよ」
「事実だもの。都立高の勉強に付いて行けず、落ちぶれちゃったのよ」
そんなの知るか。俺は納得できなかった。駄目で元々だ、告白して玉砕したい。
「サナエの仲介でハルミちゃんに会えないか? せめて気持ちを伝えるだけでも!」
「……無謀な奴」コーヒーを一気に飲み干すサナエ。「いいわ。呼んであげる」
ついに対面するときが来た。
翌日、俺は喫茶店で待ちぼうけていると、何とその日はサナエではなく、ハルミがじきじきに入店したんだ!
「あんたがぁ、キヨシくぅん?」
蓮っ葉な低い声色。
茶髪のロン毛に派手な衣装、着崩した制服――まさしくハルミちゃんだ。
「は、初めまして! って、ハルミちゃん一人? まさかの一対一かよ……!」
サナエは気を遣って退席したらしい。
俺は改めてハルミちゃんを凝視した。遠くで見るのと近くで対面するのとでは、印象がだいぶ違う。
「思ったより背、低いんすね! 近くで見ると違うなぁ。化粧もスッキリして大人しめだ」
「……そりゃどぉも」
機嫌悪そうにハルミは着席した。コーヒーを頼んで沈黙する。
ん? 俺の言い方まずかったか? 険悪な空気だ……。
「あのさぁ」けだるく開口するハルミちゃん。「サナエから聞いたけどぉ、片想いとか迷惑だからやめてくんなぁい?」
――速攻で振られた。
そうか……彼女は俺を知らないんだ。赤の他人に好かれても鬱陶しいだけだろう。
「せ、せめて友達からでも無理っすか?」
「んー駄目。あんた好みじゃなぁい。サナエはまだ相談に乗るつもりらしいけど、アタシは応じる気ないから。まぁ二人で話し合ってれば?」
ハルミちゃんはコーヒーを一気に飲み干して、そそくさと立ち去った。
余韻もへったくれもない。コーヒー代すら置いて行かなかった。嫌われ過ぎだろ俺。
……あまりにも、あっさりした失恋。
次の日は、またサナエが喫茶店に現れた。テーブルに突っ伏した俺を見下ろし、呆れた顔で苦言を呈する。恋に玉砕した俺はさぞかし滑稽だったろう。
「今、わたしはひどい春を見た。青い春が散華したようね。それで、今日の相談は――」
「……もういい」
「え?」
「今までありがとな。恋の相談はおしまいだ。今日は礼を言いたくて待ってたんだ」
「……そう」
心なし、サナエの言葉に剣呑さがこもっていた。
いつも通りコーヒーを頼んで一気に飲み干すと、すぐに出て行ってしまった――。
* * *
「――ハルミちゃんの死体を見付けたのは、その翌日っす」
保健室の診察席で頭を抱えたキヨシは、途切れ途切れに話し終えた。
「下校中にハルミちゃんを見かけたんすけど、無視されて……その後、路地裏で血まみれの死体を発見したんす……うっぷ、おえっ……」
「じゃ~その子がなぜビルの非常階段から転落したのかは知らないのね~?」
「ニュースによると、雑居ビルの三階が喫茶店で、アルバイトしてたそうっす。スタッフは非常階段を登った裏口から出勤する決まりだったらしくて。でも建て付けが古くて手すりも錆びてたから、足を踏み外すと危ないって――くそっ」
「なら事故死の線が濃厚ね~……サナエさんとは連絡取れないの~?」
「メアドも番号も知らないっす。喫茶店で相談するだけの間柄っすから……」
げんなりと落ち込んだキヨシには、まるで生気がなかった。
いよいよ心因性の症状が悪化しかねない。下手したら心療内科が必要になる。
察したルイは、一つの提案をキヨシに下した。
「ね~泥川くん、これは保健室じゃ解決しそ~にないから、よそへ移動しましょ~」
ルイはのんびりした口調とは裏腹に、機敏な歩調で保健室から退出した。
キヨシに追従するよう手招きをする。キヨシは誘われるまま、ふらふらと頼りない足取りで重い体を運んだ。
「先生、どこ行くんすか?」
「心の悩みは、心の専門家に任せるべきでしょ~?」
「だからそれって――」
廊下をひたすら直進すると、職員室のさらに奥、行き止まりの壁際にある寂れた部屋とぶつかった。
ドアの前には『心理相談室』という立て札が掲げられている。
「心理……相談室?」
「スクール・カウンセラーって知ってる~?」天使もかくやの笑顔で語るルイ。「週イチで生徒や教師の悩みを解決してくれる、心理学の先生なのよ~」
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