「大量大量っと」
 警察署から歩いて10分のところにある喫茶店。
 その店の中で、さっき叔父さんの部下の人から貰ったコピーを広げながら有加はニヤニヤしていた。
 それにしても、簡単に遺留品のコピーが手に入ることに僕は未だに信じ難い気持ちだった。
「有加は、あの刑事さんと知り合いだったの?」
「いや。昨日が初対面だけど、どうしたの?」
 貰ったコピーから一切僕の方に目を向けることなく、有加が答える。
 では、なんで重要な証拠品のものをコピーとは言えど、易々と貰えたのだろうか?
「ちょっと、梨緒。折角資料を貰ったんだから、この半分を読むの手伝ってよ」
 そう言って有加は、僕に向かってコピーの束を寄越してきた。
 今は、先輩の事件のことが最優先なのだけれど、僕は先ほどの警察署の出来事ばかりが気になって仕方ない。
「あの部下の人、僕達にコピーなんか渡して、叔父さんに怒られないだろうか?」
 僕達のせいであの人の今後の仕事に影響してしまっては、本末転倒だ。
「大丈夫だと思うわよ。報告する前にきっと忘れちゃうだろうし」
「え?」
 呑気にアイスティーを飲みながら答える有加。忘れるってどういうことなのだろう?
「細かいことはどうでもいいのよ。全部丸く収まればそれで。さ、梨緒もノルマをこなして」
 ずずいっと、コピーの束を僕に押し付けられる。
「いいけど、今日、大学の講義あったよね? 確か、日本史と考古学が。そろそろ大学に向かわないと遅刻しちゃうよ?」
 僕は腕時計で時刻を確認する。時刻は11時すぎ。二つとも午後から講義だけど、そろそろ大学へ向かわないと間に合わなくなる時間になっていた。
「今さっき、大学からお知らせメールで臨時休講になったらしいから今日は講義無いわよ」
 有加は重大なことをさらっと言い放つ。
 僕も携帯でメールフォルダを確認する。有加の言うとおり、臨時休講のお知らせが入っていた。
「恐らく、報道陣が大学にでも押し寄せたんじゃない? だから、こうやって時間を気にすることなく、考察が出来るってわけよ」
 有加はカバンからペンケースを取り出し、気になっている言葉に黄色の蛍光マーカーペンで線を引き始める。僕も仕方なくコピーの束に目を通して、有加と同じ様にマーカーで線を引いていく。この一連の作業に何故か懐かしささえ覚えてくる。
「あ、コレ見て」
 有加は1枚の紙を僕に見せる。
「ん、コレ何?」
 僕は、紙にマーカーで線を引かれている箇所に注目する。そこには、先輩が書いたと思しき字で15箇所ほどの電話番号が記されていた。
「全部、芸能事務所の電話番号ね。有名どころや私の所属している事務所の電話番号も書かれているし、間違いないわね。あと、こっちには、スポーツ関連雑誌の編集部の電話番号も」
 有加はもう一枚の紙も僕に渡してきた。その紙の方には、雑誌名と電話番号が記載されていた。
「……先輩はスポーツ業界でも進出しようとしていた訳じゃないよね?」
 僕の質問に、冷ややかな目で有加が見つめる。
「梨緒、それ本気で言ってる? 本気だったら病院へ行ったほうがいいわよ?」
「いえ、冗談で言いました!」
 僕が慌てて答えると、有加はアイスティーを飲みきって、
「きっとこれは、先輩の彼氏の栗林に仕事を斡旋してあげるつもりだったのよ。総合格闘技の選手だったみたいだから、バラエティとかでも使えるし、例え精神的苦痛とかでテレビ出演は無理でも、スポーツ関連の雑誌とかのライターだったら在宅で出来るから、負担も軽くなる」
「仕事を斡旋? なんで?」
「そりゃ、ヒモだったからでしょ。先輩は栗林に依存を治して欲しかったんじゃないかしら。少しでも自分の力で働けることが出来るように」
 アイスティーを飲み干した有加は、今度は置かれていてぬるくなったお冷を口に含む。
「へー。で、僕らに相談したことはその斡旋の件なのかなぁ?」
「それはまだ探してるから、梨緒もモタモタしないでさっさと探しなさい」
 はい、と僕は視線を急いでコピーの方に向けて作業を続行する。
 それにしても、他人の日記帳や手帳を読むのはその人の心の中を読み取っているようで、悪い事をしている気がする。
 読み込んでいる内に、段々とその人になっていく気さえする。
「ううっ……」
 先輩の心に近くなる。
 書かれている言葉の一つ一つが僕の頭の中で溶け合い、僕の中に先輩が形成されていくような気がした。
 とても、苦しい。切ない。
「あー……、またか」
 有加がとてもまずそうな顔をするのが見えた。どうして、僕を見て君はそんな顔をするの?
 僕 が 何 か 悪 い 事 で も し た ?
「ゆかぁ……。苦しいよぉ……」
 ボロボロと涙を流す僕。幸い、喫茶店には僕達しか居なくて、僕のこんな姿を見ている人は他には居なかった。
「はいはい、梨緒に読ませたのが悪かったわね。よしよし、苦しいだろうけど、何か分かったことがあったなら教えて?」
「何かコレを読んでたら……、好きなのに、突き放さないといけないっていう気持ちが湧いてきて……それで……」
「それだけで十分よ。はい、コレで泣くのはオシマイ」
 有加が僕に言葉をかけると、不思議とさっきまで止め処なく流れていた涙がスッと止まった。
「あれ。止まった」
「気の持ちようの問題よ。さて、先輩の意思も汲み取ったことだし、家へ帰って父さんに手伝ってもらうわよ?」
 有加はそう言って、テーブルに広げていたコピー達を急いで片付ける。
「静さんに何を手伝ってもらうの?」
 僕の質問に有加はニヤリと笑い、
「ミステリーを1作仕上げてもらうのよ。梨緒が読める記念すべき第一作目の作品をね」


 僕は今、静さんの書斎の扉の前にいる。
 普段は有加から入っちゃダメと釘を刺されて、滅多に入ったことが無いのだが、今日は珍しく有加からの許可が下りたので、来たわけなのだが……、
 絶対に有加自身が静さんに言い難い要求だから僕に押し付けたんだ。
「でも、頼まないと、ミステリーがやっと読めるのに……」
 今まで禁止されていたミステリーを、ずっと憧れていた静さんが書いたミステリーを読めるチャンスなのだ。この機会を逃すわけにはいかないんだ。
「でもなぁ、静さんだって仕事で忙しいだろうし」
 年に1冊のペースで刊行しているような人だ。きっと、今だって新作の執筆の真っ最中のハズだ。それを投げ打って僕のために書いてくれるのだろうか?
 そんな事を考えてはノックする手が止まり、僕は入り口の前でウロウロとしてしまう。
 どうやったら中に入れる口実が作れるのだろうか、と頭を抱えていると、
「物音がしたと思って来てみれば……、りーくん、どうされましたか?」
 急に扉がガチャと開き、中から作務衣姿の静さんが僕の方を見てきたのだ。僕は突然のことで、まるで心臓を鷲づかみされたような心地で扉の前にへたり込む。
「ど、どうしましたか! 何処か調子が悪いのですか!?」
 僕の様子に静さんも驚いて、僕の許へと駆け寄ってくれた。
「いえ、ちょっと緊張が解けたら腰が抜けて……」
 僕は真顔でそう答えると、静さんはプッと噴き出した。
「おっと、笑ってしまうのは失礼でしたね。さ、中にお入り。用件を聞きましょう」
 静さんは僕を介抱しつつ、書斎の中に入れてくれた。
 中央に配置してある椅子に僕は座らされる。
「で、何か私にご用件でしょうか?」
「あ、あの……」
 用件を言い出せない僕は、静さんの前でモジモジとしてしまうだけで、なかなか話が前に進まない。
「その手に持っているものが、用件に関連するものですかね?」
 静さんは僕の手に持っている紙類を指差す。
 この人には何でもお見通しなのだろうか?
「そ、そうなんです。実は、静さんにミ、ミ……」
 僕は居ても経っても居られず、椅子から降りて、土下座をしながら、
「この設定でミステリーを書いてください! お願いします!」
 もう、ほぼヤケの状態で、僕は静さんに頼み込む。
「とりあえず、りーくん。一先ず落ち着きましょう。貴方も私の家族の一員なのですから、そんなに他人行儀に土下座しなくていいのですよ? それをやって、大いに喜ぶのはゆーちゃんくらいですから」
 静さんはそう諭しながら、僕に椅子に座るように促した。確かに、僕が土下座したら有加はテンションが上がりそうな気がした。
「静さんのお手間を取らせるのは分かっていますが、僕の憧れである静さんの話が読みたいのです、大丈夫でしょうか?」
 僕のお願いに静さんは優しく微笑む。
「ちょうど新作原稿を書き終えて校正待ちなので、私でよければ書きますよ?」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」
 僕はペコペコとお辞儀を何度も繰り返し、静さんに感謝の意を示す。
「りーくんは、家族ですから。頼みたいことがあったのなら、いつでも私を頼っていいんですよ? ところで……」
 静さんは、僕から渡された紙の束をチラッと見ただけで、
「この話を持ちかけて来たのは、りーくん自身ではなく、ゆーちゃんですね?」
 ギクッ。
 僕は、静さんに有加が書いてもらうように提案したことが瞬時にバレて、ぴたっと動きが止まる。
「え、あ……、誠もってその通りでございます」
 僕はこれ以上の言い訳は無謀だと悟り、素直に有加が実行犯だってことを認めた。
 すると、おじさんはハァと息をつく。
「あの子も仕方ない子ですね。りーくんも、ゆーちゃんの言いなりばかりで大変でしょうに……、いいんですよ? 嫌なら断っても」
「いいえ、いいんです。有加が僕みたいなちっぽけな存在と一緒に居てくれるだけで、それだけで嬉しいから」
 有加が僕と一緒に話し、遊んで、行動してくれる。だから、毎日が楽しいし、幸せな気分になれた。

 有加が僕を生に繋ぎとめてくれる。それだけで僕は満足だ。

「そうですか。でも、無理は禁物ですよ。君には君の人生がある、誰もソレを阻害することなんて出来ないのだから。おや、これは?」
 静さんは一通の封筒を紙の束の中から発見した。
「あ、それは、有加からです。女優としてのリクエストを記してあるって言ってました。僕は見てないので、全然分からないのですが」
 静さんは封筒をあけ、中に入っていた手紙に目を通して目を細めた。
「あの子らしい面白い発想ですね。なるほど、これは興味深いですね。流石、私の子」
 静さんはそう笑いながら言うので、僕は手紙の内容が気になって仕方ない。
「なんて書いてあるんですか?」
「有加は私の書いた小説で、事件を解決するそうだよ。いやぁ、フィクションとノンフィクションの融合というわけですか。これは、腕が鳴りますねぇ」
 静さんは楽しそうに万年筆を走らせる。
 フィクションとノンフィクションの融合? 静さんの小説で事件を解決?
 僕は静さんの言っている意図がまったく読めない。
「つまり、どういうことなんですか?」
「そうだねぇー、アリナシコンビが私の書いた小説で犯人をコテンパンにするって言ったほうが早いですかね」
「え? えぇぇぇぇえええええええ!?」
 静さんの言葉に僕は椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったのは言うまでも無い。