「……という訳なのよ、父さん」
「ふむ……」
父さんの書斎で、私と父さんは二人揃って事件の概要が書かれた紙をじっと睨めっこしながら雑談をしていた。
「なかなか面白そうな事件に巻き込まれましたね。私なら喜んで筆を取って一作書いてしまうような案件ですよ」
父さんも何だか嬉しそうに、万年筆を取り出し、紙に『動機』、『凶器』、『背景』というキーワードを書き込んでいく。
「父さんも楽しくなるなら、私がはしゃいじゃうのも無理は無いよね?」
私がそういうと、父さんはおでこにデコピンをかましてきたのだ。
「イタッ」
「ゆーちゃん、それとこれとは話が違いますよ。変に首を突っ込んでしまって、ゆーちゃん達に何かあったら、天国に居る沙織さんに顔向けできませんから」
沙織って言うのは、私が幼稚園に入りたての頃に病気で亡くなった母さんのことだ。父さんは今でも母さんのことを溺愛している。その証拠に、母さんの遺灰を加工したセラミックを練りこんでいる、ブレスレットを肌身離さず身につけているほどだ。
「危ないことをしないって。それに、もし私が死んじゃったら、誰も梨緒のことを止められないし」
髪の毛先を指で弄びながら言うと、父さんはため息をついた。
「ゆーちゃんは、りーくんを子どものように扱うのはそろそろ止めた方がいいと思いますよ?」
「え? なんで?」
私は父さんの言ったことを心底理解することは出来ず、聞き返す。
「りーくんはもう大人なんです。それなのに、いつまでもゆーちゃんがそうやって彼を縛り付けたままだと、いつまで経っても心の方が成長できませんよ」
「でもさ、今回の件だって、先輩の遺体を見た瞬間にヤバイ状態だったんだよ? そんな状況に陥ってしまう梨緒を野放しにしろって、父さんは言いたいの?」
私は納得がいかず、食い気味で父さんに質問を返す。父さんは、まぁまぁ落ち着きなさいと私を宥めながら答える。
「別に、今すぐ全部お世話するのをやめなさいと言っているわけではないんですよ。少しずつでいいのです。少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい。それが、りーくんの今後の為にもなるのですよ」
「梨緒は私が居ないとダメなのに……」
その考えがダメなんです。と再び父さんにデコピンと食らわされる。
「ゆーちゃんも、りーくんを守ろうとする余り、りーくんに依存している性格を治していかないといけないかもしれませんねぇ」
「嫌よ。だって、私は……」
“その為に生かされているのだから”という言葉を言いそうになって慌てて飲み込んだ。いざ言ったところで、どうせ父さんには理解できないだろう。
私と梨緒の約束なんて。
「ま、可能な限り努力してみるわ。それにしても、話は最初に戻るけど、先輩の相談事ってなんだったと思う?」
これ以上私と梨緒についての会話なんて不毛なので、話題を事件の方に切り替える。
「そうですねぇ、話でよくありそうなのは、恋愛関連のものでしょうかねぇ。偏に恋愛といってもバリエーションが豊かですから」
父さんはまた万年筆で、『浮気』・『痴情の縺れ』・『結婚適齢期』など恋愛に関するキーワードを書き込んでいく。
「恋愛関連かぁ。私達二人にするような話かしら?」
「傍からみれば、ゆーちゃんとりーくんは付き合っているように見えますからね。しかもかなりラブラブの。ブハッ」
父さんが嬉しそうに言っている中、私は父さんの顔面目掛けてクッションを投げつけ、見事に命中する。
「なんつー事を言ってるんだ。私は梨緒に恋愛感情なんて断じてない! 断じて!」
「あらあら、顔が真っ赤ですよー。例えばの話なのに、そんなに熱くなっちゃって。可愛いですねぇー」
息を荒げながら力説する私を見て、父さんは呑気に笑っている。この変人クソ親父が。
「でも、いつもくっついて行動しているのですから、周囲の目というものはそんなものですよ。ゆーちゃんがいくら否定しているとしてもね?」
フフフと笑いながら、父さんは用意していたブラックコーヒーをすすり、喉を潤してさらに話を続けた。
「まぁ、ゆーちゃんの場合、否定すればその通りになるかもしれませんが、それはとりあえず置いておきましょう。恐らく、睡眠薬というのは彼氏さんの所持物でしょう。彼の名前をテレビで一度拝見したことありますが、精神的負担の為に引退を決めたと当時のニュースで騒がれたので、今も通院されているのでないでしょうか。それに、ゆーちゃんの話をうかがう限り、彼はその三上さんにかなりの依存をなさっているみたいですねぇ。もしかすると、三上さんも彼に依存していたんじゃないでしょうか?」
父さんは“共依存の可能性”と書いて、ぐるぐると万年筆で丸を囲っていく。
共依存。自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存している状態。
まるで、私みたいじゃない。
「共依存ねぇ。だとしたら、それ関連の話題を私達に振ろうとしたのかもしれないってわけね。先輩もかなりの難題を私達に吹っかけようとしたわね」
ま、その難題も吹っかけられる前に露と消えてしまったわけだけども。
「あくまで私なりの予想です。捜査が進めば次第に明らかになるでしょうから、ゆーちゃんは大人しく見守っていればいいんじゃないですかねぇ?」
父さんはそう言って、テーブルに散乱した物を片付け始めた。
「さ、今日もそろそろ夜が深くなります。寝ましょう。夜更かしは役者には敵ですよ?」
「うん。そうする。父さん、話を聞いてくれてありがとう」
私も持ってきたマグカップを持って立ち上がる。
「親として当然ですから。おやすみなさい」
父さんは優しく笑った。
父さんからの書斎から自分の部屋へ向かう道中、自分なりに推理をしてみる。
栗林は先輩が私達に相談する内容を知り、逆上でもして先輩に手をかけた?
もしかして、相談事は関係ないもしれないけれど、私にしては結構いい線をいってるんじゃないかしら。
さて、明日は警察署へ行って情報収集してやろうかしらね。父さんは大人しくしてなさいって言っていたけど、大人しく待ってなんて居られない。
どうせなら、私達で解決してあげようかしら?
そんな事を思って廊下を歩いていると、梨緒の部屋から唸り声が聞こえる。
「まだ、梨緒のやつ起きているのかしら?」
私が軽くノックをして入ると、部屋は真っ暗で、ベッドでかなり魘されている梨緒の姿が見えた。
「あら、かなり魘されているみたいね」
無理も無いか、今日一日で沢山のことが起きたのだから。梨緒の脳内が上手く処理しきれていないのかもしれない。
私が物音を立てないように近づき、そっと梨緒のおでこを撫でようとした時、
「ゆぅちゃん、ごめんな……さい……、僕のせいで……僕のせいで……」
そう寝言を呟き、一筋の涙が流れる梨緒。
「またあの時の記憶か……」
私は、ゆっくりと屈み、梨緒の頭を優しく撫でながら囁く。
「私は気にしてないから大丈夫よ。今はゆっくり眠りなさい。朝まで、おやすみ」
すると、魘された梨緒の呼吸が次第に穏やかになってくる。そして、深い眠りへと入った。
「これで大丈夫ね。ん?」
暗い部屋に目が慣れたところで、梨緒の机の上に何かが置いてあるのを見つけた私は、そっと机へ近づき、ソレを手に取った。
よく見たら、今回の事件の概要を梨緒なりにまとめていたものだった。
「こんなものまで書いて、だから夢見が悪くなるのよ」
持った紙をクシャっと丸めて捨ててしまおうかと考えたが、朝起きたら梨緒が泣いて迫ってきそうな予感がして、元の場所へと紙を戻す。
「梨緒も梨緒なりに考えていると言うわけか……」
父さんに言われた、『少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい』という言葉が脳裏をかすめた。
そんな事を考えながら私は欠伸を漏らす。いけない、そろそろ本当に寝なきゃ。
私はそっと梨緒の部屋から抜け出す。
「そんなに考え込まなくていいのよ、梨緒。私が貴方を絶対に不幸にさせないから」
私はそう呟いて、梨緒の部屋から出て行った。
「さぁ、絶好の捜査日和ね!」
朝、雲ひとつない青空。絶好のお出かけ日和。
意気揚々と紺に赤色チェックのチュニックワンピにベージュのキュロットパンツでキメた私は、警察署に向かって歩いていく。
「え、警察署に行くの?」
今、今日の予定を聞かされた梨緒は嫌そうな声をだした。
「行くわよー。進展を聞かなきゃいけないし」
私は大きな籠バックをブンブンと振り回しながら軽い足取りで歩いていく。
「進展って。今朝、静さん言っていたじゃない。警察の動向を見守りましょうって」
「そんなこと言ってたかなぁ? 私は知らないなぁー」
私はとぼけた様な声で笑った。
確かに、朝、父さんは『くれぐれも督くんのお仕事の邪魔をしに行こうだなんて考えちゃダメですよ。警察の動向を見守りましょう』と念を押された。
しかし、そんな事知ったこっちゃない。
「叔父さんにバレなきゃいいのよ」
「えー、バレ無きゃいいの? そんなに上手くいくのかなぁ……」
「大丈夫だって」
私は、そう言いながらスマホである画面を梨緒見せる。
「叔父さんは、今聞き込みの真っ最中だから!」
画面には先輩のマンションの付近の地図に浮かぶ赤い印が一つ表示されていた。
「……まさか、発信機か何かつけたの?」
「ご名答。昨日叔父さんのベルトに忍ばせておいたの」
昨日、警察署へ取り調べする前にコッソリと叔父さんの背中に回りこんでベルト部分に貼り付けておいたのだ。事件が起こればなかなか家に帰れない。だから、まだズボンに付いたままだと予想したら、ちゃんと発信機は叔父さんの場所を克明に知らせてくれていた。
「さて、叔父さんが帰ってこないうちに仕事をしないとねぇ」
私が企むような笑みで笑うと、梨緒が若干だが引いたように見えた。
「有加、怖い」
「え、怖く見える? 演技が身に付いたと捉えて、私もそろそろ生身の人間の役でも挑戦しようかしら?」
私がそういうと、事務所の人に許可取らなきゃダメだよー、梨緒は焦っていた。もちろん、冗談だ。
梨緒は私が死体役専門しか許されていないという本当の理由を知らない。事務所が余りにも私の演技が下手だから許可をしていないと思っているのだが、実は違う。
梨緒は一生知らない方がいい話だ。
「さて、そうこうしている内に、着いたわね」
警察署。受付で、叔父さんではなく、叔父さんの部下の人を呼んでもらう。
数分後、待合室へ叔父さんの部下の一人である妹尾さんが出てきた。
「すいません、司馬先輩も同期の児島もちょっと聞き込みに出払っていて、代わりに僕が。今日は何の御用でしょうか?」
目を爛々と輝かせて私達に挨拶をする妹尾さん。これは、すぐにバラしてくれそうな人だわ。
「叔父さんにちょっと昨日の御礼を言いに来たのですが、そうですか。居ないですか……、ちょっと残念です。ちょっと、頼みたいこともあったのに……」
私がしゅんとした顔をすると。妹尾さんは、
「ぼ、僕でよければ、聞きますが」
と食い気味に答える。
かかった。
「えっと、事件のことについてなんですけど、先輩の日記帳か手帳のコピーなんか貰えませんか? お願いします」
私が両手を合わせて頼み込む姿を梨緒は驚愕しつつ止める。
「ダメだよ。そんな、事件に関連する資料を貰うだなんて……」
「いいですよ。コピーですね」
妹尾さんはニッコリと承諾する。その状況を目の当たりして梨緒は
「え? どうして?」
驚きの表情のまま、硬直していた。
「ふむ……」
父さんの書斎で、私と父さんは二人揃って事件の概要が書かれた紙をじっと睨めっこしながら雑談をしていた。
「なかなか面白そうな事件に巻き込まれましたね。私なら喜んで筆を取って一作書いてしまうような案件ですよ」
父さんも何だか嬉しそうに、万年筆を取り出し、紙に『動機』、『凶器』、『背景』というキーワードを書き込んでいく。
「父さんも楽しくなるなら、私がはしゃいじゃうのも無理は無いよね?」
私がそういうと、父さんはおでこにデコピンをかましてきたのだ。
「イタッ」
「ゆーちゃん、それとこれとは話が違いますよ。変に首を突っ込んでしまって、ゆーちゃん達に何かあったら、天国に居る沙織さんに顔向けできませんから」
沙織って言うのは、私が幼稚園に入りたての頃に病気で亡くなった母さんのことだ。父さんは今でも母さんのことを溺愛している。その証拠に、母さんの遺灰を加工したセラミックを練りこんでいる、ブレスレットを肌身離さず身につけているほどだ。
「危ないことをしないって。それに、もし私が死んじゃったら、誰も梨緒のことを止められないし」
髪の毛先を指で弄びながら言うと、父さんはため息をついた。
「ゆーちゃんは、りーくんを子どものように扱うのはそろそろ止めた方がいいと思いますよ?」
「え? なんで?」
私は父さんの言ったことを心底理解することは出来ず、聞き返す。
「りーくんはもう大人なんです。それなのに、いつまでもゆーちゃんがそうやって彼を縛り付けたままだと、いつまで経っても心の方が成長できませんよ」
「でもさ、今回の件だって、先輩の遺体を見た瞬間にヤバイ状態だったんだよ? そんな状況に陥ってしまう梨緒を野放しにしろって、父さんは言いたいの?」
私は納得がいかず、食い気味で父さんに質問を返す。父さんは、まぁまぁ落ち着きなさいと私を宥めながら答える。
「別に、今すぐ全部お世話するのをやめなさいと言っているわけではないんですよ。少しずつでいいのです。少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい。それが、りーくんの今後の為にもなるのですよ」
「梨緒は私が居ないとダメなのに……」
その考えがダメなんです。と再び父さんにデコピンと食らわされる。
「ゆーちゃんも、りーくんを守ろうとする余り、りーくんに依存している性格を治していかないといけないかもしれませんねぇ」
「嫌よ。だって、私は……」
“その為に生かされているのだから”という言葉を言いそうになって慌てて飲み込んだ。いざ言ったところで、どうせ父さんには理解できないだろう。
私と梨緒の約束なんて。
「ま、可能な限り努力してみるわ。それにしても、話は最初に戻るけど、先輩の相談事ってなんだったと思う?」
これ以上私と梨緒についての会話なんて不毛なので、話題を事件の方に切り替える。
「そうですねぇ、話でよくありそうなのは、恋愛関連のものでしょうかねぇ。偏に恋愛といってもバリエーションが豊かですから」
父さんはまた万年筆で、『浮気』・『痴情の縺れ』・『結婚適齢期』など恋愛に関するキーワードを書き込んでいく。
「恋愛関連かぁ。私達二人にするような話かしら?」
「傍からみれば、ゆーちゃんとりーくんは付き合っているように見えますからね。しかもかなりラブラブの。ブハッ」
父さんが嬉しそうに言っている中、私は父さんの顔面目掛けてクッションを投げつけ、見事に命中する。
「なんつー事を言ってるんだ。私は梨緒に恋愛感情なんて断じてない! 断じて!」
「あらあら、顔が真っ赤ですよー。例えばの話なのに、そんなに熱くなっちゃって。可愛いですねぇー」
息を荒げながら力説する私を見て、父さんは呑気に笑っている。この変人クソ親父が。
「でも、いつもくっついて行動しているのですから、周囲の目というものはそんなものですよ。ゆーちゃんがいくら否定しているとしてもね?」
フフフと笑いながら、父さんは用意していたブラックコーヒーをすすり、喉を潤してさらに話を続けた。
「まぁ、ゆーちゃんの場合、否定すればその通りになるかもしれませんが、それはとりあえず置いておきましょう。恐らく、睡眠薬というのは彼氏さんの所持物でしょう。彼の名前をテレビで一度拝見したことありますが、精神的負担の為に引退を決めたと当時のニュースで騒がれたので、今も通院されているのでないでしょうか。それに、ゆーちゃんの話をうかがう限り、彼はその三上さんにかなりの依存をなさっているみたいですねぇ。もしかすると、三上さんも彼に依存していたんじゃないでしょうか?」
父さんは“共依存の可能性”と書いて、ぐるぐると万年筆で丸を囲っていく。
共依存。自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存している状態。
まるで、私みたいじゃない。
「共依存ねぇ。だとしたら、それ関連の話題を私達に振ろうとしたのかもしれないってわけね。先輩もかなりの難題を私達に吹っかけようとしたわね」
ま、その難題も吹っかけられる前に露と消えてしまったわけだけども。
「あくまで私なりの予想です。捜査が進めば次第に明らかになるでしょうから、ゆーちゃんは大人しく見守っていればいいんじゃないですかねぇ?」
父さんはそう言って、テーブルに散乱した物を片付け始めた。
「さ、今日もそろそろ夜が深くなります。寝ましょう。夜更かしは役者には敵ですよ?」
「うん。そうする。父さん、話を聞いてくれてありがとう」
私も持ってきたマグカップを持って立ち上がる。
「親として当然ですから。おやすみなさい」
父さんは優しく笑った。
父さんからの書斎から自分の部屋へ向かう道中、自分なりに推理をしてみる。
栗林は先輩が私達に相談する内容を知り、逆上でもして先輩に手をかけた?
もしかして、相談事は関係ないもしれないけれど、私にしては結構いい線をいってるんじゃないかしら。
さて、明日は警察署へ行って情報収集してやろうかしらね。父さんは大人しくしてなさいって言っていたけど、大人しく待ってなんて居られない。
どうせなら、私達で解決してあげようかしら?
そんな事を思って廊下を歩いていると、梨緒の部屋から唸り声が聞こえる。
「まだ、梨緒のやつ起きているのかしら?」
私が軽くノックをして入ると、部屋は真っ暗で、ベッドでかなり魘されている梨緒の姿が見えた。
「あら、かなり魘されているみたいね」
無理も無いか、今日一日で沢山のことが起きたのだから。梨緒の脳内が上手く処理しきれていないのかもしれない。
私が物音を立てないように近づき、そっと梨緒のおでこを撫でようとした時、
「ゆぅちゃん、ごめんな……さい……、僕のせいで……僕のせいで……」
そう寝言を呟き、一筋の涙が流れる梨緒。
「またあの時の記憶か……」
私は、ゆっくりと屈み、梨緒の頭を優しく撫でながら囁く。
「私は気にしてないから大丈夫よ。今はゆっくり眠りなさい。朝まで、おやすみ」
すると、魘された梨緒の呼吸が次第に穏やかになってくる。そして、深い眠りへと入った。
「これで大丈夫ね。ん?」
暗い部屋に目が慣れたところで、梨緒の机の上に何かが置いてあるのを見つけた私は、そっと机へ近づき、ソレを手に取った。
よく見たら、今回の事件の概要を梨緒なりにまとめていたものだった。
「こんなものまで書いて、だから夢見が悪くなるのよ」
持った紙をクシャっと丸めて捨ててしまおうかと考えたが、朝起きたら梨緒が泣いて迫ってきそうな予感がして、元の場所へと紙を戻す。
「梨緒も梨緒なりに考えていると言うわけか……」
父さんに言われた、『少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい』という言葉が脳裏をかすめた。
そんな事を考えながら私は欠伸を漏らす。いけない、そろそろ本当に寝なきゃ。
私はそっと梨緒の部屋から抜け出す。
「そんなに考え込まなくていいのよ、梨緒。私が貴方を絶対に不幸にさせないから」
私はそう呟いて、梨緒の部屋から出て行った。
「さぁ、絶好の捜査日和ね!」
朝、雲ひとつない青空。絶好のお出かけ日和。
意気揚々と紺に赤色チェックのチュニックワンピにベージュのキュロットパンツでキメた私は、警察署に向かって歩いていく。
「え、警察署に行くの?」
今、今日の予定を聞かされた梨緒は嫌そうな声をだした。
「行くわよー。進展を聞かなきゃいけないし」
私は大きな籠バックをブンブンと振り回しながら軽い足取りで歩いていく。
「進展って。今朝、静さん言っていたじゃない。警察の動向を見守りましょうって」
「そんなこと言ってたかなぁ? 私は知らないなぁー」
私はとぼけた様な声で笑った。
確かに、朝、父さんは『くれぐれも督くんのお仕事の邪魔をしに行こうだなんて考えちゃダメですよ。警察の動向を見守りましょう』と念を押された。
しかし、そんな事知ったこっちゃない。
「叔父さんにバレなきゃいいのよ」
「えー、バレ無きゃいいの? そんなに上手くいくのかなぁ……」
「大丈夫だって」
私は、そう言いながらスマホである画面を梨緒見せる。
「叔父さんは、今聞き込みの真っ最中だから!」
画面には先輩のマンションの付近の地図に浮かぶ赤い印が一つ表示されていた。
「……まさか、発信機か何かつけたの?」
「ご名答。昨日叔父さんのベルトに忍ばせておいたの」
昨日、警察署へ取り調べする前にコッソリと叔父さんの背中に回りこんでベルト部分に貼り付けておいたのだ。事件が起こればなかなか家に帰れない。だから、まだズボンに付いたままだと予想したら、ちゃんと発信機は叔父さんの場所を克明に知らせてくれていた。
「さて、叔父さんが帰ってこないうちに仕事をしないとねぇ」
私が企むような笑みで笑うと、梨緒が若干だが引いたように見えた。
「有加、怖い」
「え、怖く見える? 演技が身に付いたと捉えて、私もそろそろ生身の人間の役でも挑戦しようかしら?」
私がそういうと、事務所の人に許可取らなきゃダメだよー、梨緒は焦っていた。もちろん、冗談だ。
梨緒は私が死体役専門しか許されていないという本当の理由を知らない。事務所が余りにも私の演技が下手だから許可をしていないと思っているのだが、実は違う。
梨緒は一生知らない方がいい話だ。
「さて、そうこうしている内に、着いたわね」
警察署。受付で、叔父さんではなく、叔父さんの部下の人を呼んでもらう。
数分後、待合室へ叔父さんの部下の一人である妹尾さんが出てきた。
「すいません、司馬先輩も同期の児島もちょっと聞き込みに出払っていて、代わりに僕が。今日は何の御用でしょうか?」
目を爛々と輝かせて私達に挨拶をする妹尾さん。これは、すぐにバラしてくれそうな人だわ。
「叔父さんにちょっと昨日の御礼を言いに来たのですが、そうですか。居ないですか……、ちょっと残念です。ちょっと、頼みたいこともあったのに……」
私がしゅんとした顔をすると。妹尾さんは、
「ぼ、僕でよければ、聞きますが」
と食い気味に答える。
かかった。
「えっと、事件のことについてなんですけど、先輩の日記帳か手帳のコピーなんか貰えませんか? お願いします」
私が両手を合わせて頼み込む姿を梨緒は驚愕しつつ止める。
「ダメだよ。そんな、事件に関連する資料を貰うだなんて……」
「いいですよ。コピーですね」
妹尾さんはニッコリと承諾する。その状況を目の当たりして梨緒は
「え? どうして?」
驚きの表情のまま、硬直していた。