「いけない。男の話のせいで肝心なこと忘れてたよ。まかないもらっておいで」
「え、もうそんな時間?」
「昼時だよ。いつきちゃんがなかなか来ないから、若旦那に呼んでくるように頼まれたのよ」

 考え事をしながら部屋の掃除をしていたせいで、昼食の時間を失念していた。

「ごめんなさい。すぐ行きます。朝霧さんはもう食べました?」
「あたしはもうもらったわよ。今から休憩。ほら、行ってきなさい」
「はーい!」

 宿で働く私たちは、お客様の朝食が終わると片付けや清掃をし、昼食をとった後は十四時半まで中抜けと呼ばれる長い休憩時間がある。
 時間の使い方はそれぞれ違い、仮眠をとる者もいれば、買い物に出たりと所用を済ませる者もいる。
 朝霧さんはいつも自分磨きの時間に当てているようで、私にもたまに化粧の仕方を伝授してくれるのだ。
 彼女曰く、仲居は心配りだけでなく見目も重要、とのこと。
 私もたまにはファッション雑誌でも買って勉強しようかなどと考えながら、昼食をとる為に従業員休憩室へ向かう。

 一階フロントの後ろに下がる目隠し用の丈の長い暖簾をくぐると、厨房との間に誂えられたカウンター席にミヅハとカンちゃんが座っていた。

「お、きたきた。豊受比売(とようけびめ)さん、姫さん来ましたよー」

 もう閉店しましたとばかりにピッチリと簾が下げられたカウンター。
 その向こうにいる豊受比売様にカンちゃんが声をかけると「は、はい~」と、小さくて可愛らしい声が聞こえた。