息をゆっくりと吸い込むと、雨に濡れた草木の匂いと共に、凛とした清浄な空気が私の肺を満たした。
広々とした神苑を抜け、手水舎で身も心も清めた後、さらに奥へと進んでいくと、やがて左手に神楽殿と呼ばれる入母屋造の建物が見えてくる。
「ところで、いつき様」
「なに?」
「さきほど宿で耳にしたんですけど、ミヅハの若旦那が、なにやら面妖な歌を」
豆ちゃんが、よく知った名前を出した時だ。
「いっちゃん」
前方から声がかかり、豆ちゃんに落としていた視線を上げると、白い和傘をさし、おっとりとした笑みを浮かべ、私に小さく手を振る可愛らしい友人の姿があった。
「さくちゃん、お疲れさま」
白い小袖に朱色の袴。
後ろでひとつに結った長い黒髪を柔らかく揺らしながら、さくちゃんがこちらへと歩み寄る。
さくちゃんは、子供の頃から伊勢神宮の舞女になるのが夢だったらしい。
叶った今、毎日生き生きと伊勢神宮で働いている。
「いっちゃんもお疲れさま。今日はお墓参りだったのよね? お父さんとお母さんには会えた?」
「ううん」
ゆるりと頭を振ると、さくちゃんは顎に人差し指を添えて小首を傾げた。
「そう。おかしな話よね。神様やあやかしは視えるのに、幽霊は視えないなんて」
「そうだね。なんでだろ」
「今も、誰かあやかしさんがいるんでしょう?」
私の足元に視線を落としたさくちゃんの瞳には、小型犬ほどの大きさがある豆狸は視えていない。
けれど、彼女も昔から普通の人よりも霊感があるらしく、気配は感じられるとのことだ。