妖狐が辿った哀しい結末に、私が「とても辛いですね」と眉を下げた直後、頬に痛みが走った。
『オマエモヒトダ』
つつつ、と頬から温かな血が流れ落ちるのを感じ、しかし私は構わずに答える。
「そうですね。私も人です。けれど、私はあなたを傷つけない。絶対に」
さらに、右足に黒い塊が掠めると、小袖が切れてじわりと血が滲んだ。
まるで鋭い爪に裂かれるようだが、痛みを堪えてまた口を開く。
「妖狐様、とても悔しかったでしょう。恨めしいはずなのに、あなたは今も優しいまま」
こうして無理矢理接する私に傷を負わせはした。
けれど、決して殺めようとはしていない。
やろうと思えばいつでもできるだろうにそうしないのは、村の人が犯した過ちをどこかで許しているからなのだろう。
なにせ妖狐は、呪詛を放ちはしたが、人を襲ってはいない。
それに、彼が目指すのは村ではなく川だ。
川の向こうに山はあれど村はない。
ならばなぜ、妖狐は五十鈴川を目指すのか。
「恨みはあれど、傷つけるつもりはない。だから、ミツ様に縋っていた」
妖狐はもう、傷つけてはこなかった。
ただ、悲しそうにすすり泣く声が聞こえていた。
「今、五十鈴川の水神様は弱っています。私が代わりにあなたの穢れを祓いますので、お札を使ってもいいですか?」
『……スマナイ』
世話をかけるということか、傷つけてしまったことか。
どちらかもしれないと思いつつ、微笑みを浮かべた。
「いえ……どうか、ゆっくり休んでくださいね」
もう、十分苦しんだのだ。
早く楽にしてあげたいという思いを胸に、私は一枚の霊符を掲げた。
「急急如律令、呪符退魔」
縁様から教えられた呪文を唱えると、体の奥から何かが吸い取られていく感覚に襲われる。
霊力と言われるものなのかもしれないが、初めてのことでとにかく必死に足を踏みしめて最後の時を待った。
札から発生した青白い光が黒いモヤを中和するように少しずつ白く染めていく。
『ああ……温かい……ありがとう……』
染め上げられた光が雪の結晶のごとく輝き舞い散る中、穏やかな声が聞こえた。
そうして、姿を現した黒い妖狐は優しく目を細めると光に導かかれるように姿を消した。
──願わくば、彼が輪廻の輪から外れることなく、来世で幸せになれますように。
祈り、最後の光が空気に溶けたのを見届けると、私は尻餅をついてへたり込んだ。