「よっし! じゃあ瀬織津、いくわよ」

 どうやら母様の力も必要らしい。
 天照様の呼びかけに母様が頷くと、八咫鏡がふわり、天照様の手から離れて母様との間で浮く。

「我は汝なり」

 凛とした天照様の声が室内に通ると、八咫鏡は光を纏い輝き出した。
 母様が八咫鏡に向かってそっと右腕を伸ばし、集中しながら口を開く。

(あまね)天空(そら)より万物を映せし鏡よ。(こう)の魂を持ちて(とき)を廻せ」

 母様の声を受けて八咫鏡から発せられる光が増し、次いで天照様が言葉を紡ぐ。

「和の魂を持ちて融を成せ。求めしは野々宮いつきの魂の記憶。繋ぎここに蘇らん」

 詠唱を終えた刹那、鏡から放たれた光が一つの柱となり、花を咲かせるように過去を開いた。

 まるでそこにスクリーンでもあるように、空中に映像が浮かんでいる。
 山々に囲まれた集落、流れる川から引かれた水路の先に広がる水田、その脇の細い道を行くひとりの少女。
 年の頃は十五、六か。
 ひとつに編まれた長い黒髪を揺らし、籠を抱えて歩くその少女の背後から近づくのは甲羅を背負った河童。

「あれって、もしかして」

 いつかの夢に現れた河童を思い出し、口にした直後、どくりと心臓が重く打った。

「っ……あ……」

 突如襲う息苦しさに、私は胸をかきむしるようにして膝をつく。

「いつき!」

 母様の慌てふためく声と共に、背中に手が添えられる感覚。
 それが母様のものだろうなどと考える余裕も、確かめる力もない。
 ただ、不思議なほどはっきりと、河童の話す声が両の鼓膜に届く。

『おーい、姫さーん』
『もう、私は姫じゃないってば』
『でも、オレにとっては姫様みたいな存在だからさ。そんなことより、龍芳が呼んでるぜ』

 龍芳という名に反応するかの如く、胸に痛みが走った。
 声も出せず、絞り出すような息を吐いても痛みは逃せない。

 次第に眩暈が始まり、視界が明滅する。

『龍芳が? 畑の方かしら?』
『いや、家だ。なんでも誰かが姫さんに会いに来たらしい』

 会話が、近い。
 まるで目の前で繰り広げられているほどに。
 まるで、私自身が声を発したかのように。

 私は……野々宮いつきは、今どこにいるのだろう。
 苦しみの中、そんな疑問が浮かぶと同時……。

「いつきっ!?」

 ミヅハの声がした。
 その直後、頭の中に声が響く。

『 永久ニ ワタシノモノダ 』

 身がよだつほどの邪気が内側から膨れ上がると、爆発するようにぶわりと視界が闇に覆われて。

「ミヅ……」

 彼の名を紡ぎきる前に、私の意識は漆黒の闇へと引きずり込まれた。