「ミヅハ、あの時はありがとう」

 マドレーヌをようやく受け取ったミヅハは緩く頭を振った。

「礼なら瀬織津姫に。俺は見つけただけだ」
「それだけじゃなく、母様に頼んでくれたでしょう? 何より、ミヅハと出会えたから、私は今ここにいる。きっかけをあなたがくれたの。だから、ありがとう」

 伝えると、ミヅハはまた「別に」とそっけなく口にした。
 けれど、今度はその眦が少しだけ優しさを纏い下がっているのに気づき、私の目元も自然と緩む。

 昔はもっと優しい声で『いつき』と呼んで、よく笑顔を見せてくれていたミヅハ。
 いつの頃からかどことなく距離を置くようになって、そっけない素振りを見せることが多くなった。
 そんな彼の変化を、時々寂しく思うこともあるけれど、本来の優しさを知っているのであまり気にせずに接している。
 ミヅハは神様だけど、母様と同じく命の恩人であり、一緒に成長してきた幼馴染のような大切な存在だから。

 黙って様子を見守っていた豆ちゃんが、私を見上げて「十四年前に、何かあったんですか?」と首を傾げた。

「十四年前の今日は、私がこのお宿に初めて来た日なの」

 私が事故に遭ったことは、当時から天のいわ屋で働く従業員しか知らない。
 特別隠しているわけでもないけれど、豆ちゃんはお宿に癒されにきたお客様だ。
 辛気臭い話はせずに答えると、「そうなんですね!」と瞳を輝かせた豆ちゃんは、目出度いとばかりに肉球でむちっとした手を叩く。
 彼の愛らしい仕草にキュンとして微笑むと、私は傘をたたんでミヅハの立つ屋根下に入った。