綾乃が美奈のアパートで料理を作っている。
今日は水曜日でノー残業デーだから早めに退社してきた。飲みに行こうかって言ってたけど、綾乃が会社の付き合いとかで出費が多いからって言って、家で飲むことになった。今作っているのはブロッコリー、ニンジンと鶏のムネ肉の炒め物。それにコショウと塩を振って味付けしたシンプルな料理。味噌汁は美奈が作ってくれる。ご飯は少なめで。太ってしまうから。
美奈は綾乃の同期で、本社の研修や、社員旅行なども常に一緒にいることが多かった。他にも同期はいたけど、もう何人も辞めちゃったから生き残りは綾乃と美奈を含めて四人いる。他の二人も仲はいいけど、関西地方で勤務しているから会う機会は全体会議の時ぐらいだから、どこか心を許せるのは美奈だけだった。
最初は少し派手目の美奈が少し苦手だった。色気でクライエントを取れそうな感じだったから、綾乃が大学生だったら関わってないだろうなって思ってたけど、研修でうまく営業の話ができなくて落ち込んでいた時に美奈は、「明るくやろうよ」
って、声をかけてくれた。綾乃の失敗を笑い飛ばしてくれたからそれで気持ちが楽になった。
「私も器用じゃないから。でもそれを見せるのが悔しいから」
って言って綾乃を励ましてくれた。それでどこか打ち解けた二人は仕事終わりに飲みに行ったりするようになった。会社では言いにくいことも言って発散している。
前に「綾乃だったら何でも聞いてくれそうで話しやすい」って言ってた。なんとか仕事を続けてこれたのは美奈のおかげかもしれない。
最近、あの人は見かけていない。忙しくてカフェでくつろぐ時間もないのか、もしくは行ってるけど綾乃と入れ違いなのかもしれない。こういうことをしているとすごく疲れる。間違っても知らない人に好意にも似た興味なんか持たない方がいいって思った。もし仮に会ったとして何もできない。
「美奈、お皿出してもらっていい?」
「了解」
綾乃が盛り付けていく。SNSに投稿するつもりなのか、とてもきれいにご飯、味噌汁、野菜炒めを配置する。綺麗にできて嬉しい笑顔をも乗せて奥の部屋に運ぶ。
「お茶もいるね」
綾乃はそう言って冷蔵庫からお茶を取り出して二人分注いだ。
テレビでアナウンサーがニュースを読み上げている。でも明らかに読み間違いや詰まりが多い。新人なのだろう。初々しくてどこか微笑ましいけど、「ちゃんとやれよ」って思った。綾乃も今年から新卒の子を相手にしているからか微笑ましいだけでは済まなかった。
次のニュースに移る。綾乃はニュースをチラ見する。二度見した。目を丸くしてニュースに食い入った。
「そのぐらいでいいよ」
ギリギリまでお茶を注ぐ綾乃に美奈がそう言う。
「あっ……」
お茶のペットボトルを置いた綾乃だが、視線は依然としてブレない。
「どうかした?」
美奈の問いかけを無視してテレビを凝視する。何かなんだから分からず沈黙の中で立ち尽くす。
綾乃から放たれる視線を追いかける美奈。視界には同じ映像があるけど、素人らしき男性が単行本を両手で大事そうに持っている。カメラのシャッターを全面に受けて、少しだけぎこちない笑顔を見せた。
「この人……」
第二六回〇〇出版の新人文学賞のニュースだった。
「この人? 知ってる人?」
「……」
ニュースが終わってないから返事はまだお預けだった。
記者会見に出席した渉はスーツを着てプロジェクターに映し出された小説のタイトルをチラチラ見ながらコメントをしている。渉は緊張からだろう、うまく口が動いていないけど、なんとか聞き取れるレベルだ。素人ならこんなもんだろうと、開き直ってコメントを続けた。
「この度は、たくさんの方にお集まり頂きありがとうございます。自分なりに精一杯書きましたので、ぜひ読んでみてください。これが最初で最後の本になると思いますのでよろしくお願いします」
最後に一礼ををして、カメラのフラッシュに身を小さくしながらも自身の小説を手に、胸を張った。頑張って書いてきた甲斐があった。
渉が書いた「心づくし」という小説。これは三角関係に悩まされた大学生の深沢宏紀(こうき)の苦悩と葛藤を描いたもので、彼に想いを寄せる永井未砂(みさ)の視点から描かれている。緑ヶ丘大学という架空の大学が舞台で、宏紀は中学時代に好きだった同級生の北川七海と大学で再会し、同じ学科に所属することになる。当時と変わらない七海にまた好意を寄せていくが、大学で友達になった園田真也も七海に好意を寄せ始める。その想いを聞いた宏紀は衝撃を受けて、三角関係の渦に巻き込まれていく。それをなんとなく悟った未砂は宏紀の苦しみを理解し、励ましいくことで内容は発展していく。最終的には宏紀と未砂が、真也と七海が付き合うことになり、完結を迎える。
あの人がテレビの中にいる。
突然射し込んだ希望の光。
どんなにまぶしくても、私はここにいる。
綾乃と美奈が夕食を食べながら、検索エンジンに「文学賞」、「ニュース」と入れて検索している。検索結果が表示されると無我夢中でニュースをタップした。
「どんな人どんな人?」
箸を指揮者のように揺らしながら美奈が綾乃を急かす。
「待って待って」
あの人が書いた小説が新人文学大賞を受賞した。彼の名前は春井俊太という。本名かペンネームかは分からない。年齢は二十七歳。写真を拡大すると確かにあの人だった。
「結構イケメンじゃん」
記事に夢中で美奈の話が入ってこない。
正面からまじまじと顔を見たことはないけど、あの人が持っている雰囲気はすぐに綾乃を認知させた。何か書き出していたのは本だったんだ。あの真剣で時に殺気さえも感じた眼差しは彼の作品に向けられたものだったんだ。彼は一般人だからこれ以上の情報はない。でも何も知らずにただ彼を待っている時に比べたら大きな進歩だったから綾乃の表情は自然に笑みへと変わった。とりあえず『しゅんたさん』ということは分かった。まさか『としふと』とは読まないだろう。綾乃の三つ年上だ。綾乃もそのぐらいだと思っていたけど、予想が一つ重なるとなんだか嬉しくて心の中の何かが騒いで落ち着かなかった。
「綾乃って面食いなんだね」
箸で綾乃の二の腕をツンツンしながら美奈が言った。
「うるさいな。これをきっかけに、話とかできたらいいな」
慎重に言葉を並べる綾乃。都合のいい未来の展望をゆっくり描いているようだった。
「次に見かけた時に、本のことを話して仲良くなればいいんじゃない? 『読みました。すごい良かったです』とか言って。自分の作品のことなら乗ってきてくれるよ、きっと」
今までよりずっと現実的だった。
「うん……それができたら一番いいね」
そんな期待も持ちながらも、綾乃にできるかどうか不安だった。
「もし心配なら、一緒に行って、待っててあげてもいいよ。変な意味で近づくわけじゃないし」
美奈の中にも少なからずストーカー的な意味合いがあるのだろう。『変な意味』という言葉が引っかかるけど、綾乃は、「本当?」と言った。
「もちろん。綾乃がいいって思った人なんでしょ? 仲良くなりたいよね?」
なんという助け舟。でもそういう言われると、綾乃自身だけで頑張りたい気持ちもふつふつと湧いてくるし、なんだかプレッシャーだった。『ミス出来ない』という包囲網が、綾乃を窮屈にさせる。一人でやってみようと思い直して、「いや一人で頑張ってみる」
「綾乃、私が何かするんじゃないかって、疑ってるでしょ?」
少し頬を膨らませて美奈が綾乃を見つめた。
「そんなんじゃないよ」
目を逸らして言う綾乃。それもないわけではない。
「どうかな……」
「本当に違うって!」
おのずと笑みを見せる綾乃。何かが、動き出すかもしれない。
今日は水曜日でノー残業デーだから早めに退社してきた。飲みに行こうかって言ってたけど、綾乃が会社の付き合いとかで出費が多いからって言って、家で飲むことになった。今作っているのはブロッコリー、ニンジンと鶏のムネ肉の炒め物。それにコショウと塩を振って味付けしたシンプルな料理。味噌汁は美奈が作ってくれる。ご飯は少なめで。太ってしまうから。
美奈は綾乃の同期で、本社の研修や、社員旅行なども常に一緒にいることが多かった。他にも同期はいたけど、もう何人も辞めちゃったから生き残りは綾乃と美奈を含めて四人いる。他の二人も仲はいいけど、関西地方で勤務しているから会う機会は全体会議の時ぐらいだから、どこか心を許せるのは美奈だけだった。
最初は少し派手目の美奈が少し苦手だった。色気でクライエントを取れそうな感じだったから、綾乃が大学生だったら関わってないだろうなって思ってたけど、研修でうまく営業の話ができなくて落ち込んでいた時に美奈は、「明るくやろうよ」
って、声をかけてくれた。綾乃の失敗を笑い飛ばしてくれたからそれで気持ちが楽になった。
「私も器用じゃないから。でもそれを見せるのが悔しいから」
って言って綾乃を励ましてくれた。それでどこか打ち解けた二人は仕事終わりに飲みに行ったりするようになった。会社では言いにくいことも言って発散している。
前に「綾乃だったら何でも聞いてくれそうで話しやすい」って言ってた。なんとか仕事を続けてこれたのは美奈のおかげかもしれない。
最近、あの人は見かけていない。忙しくてカフェでくつろぐ時間もないのか、もしくは行ってるけど綾乃と入れ違いなのかもしれない。こういうことをしているとすごく疲れる。間違っても知らない人に好意にも似た興味なんか持たない方がいいって思った。もし仮に会ったとして何もできない。
「美奈、お皿出してもらっていい?」
「了解」
綾乃が盛り付けていく。SNSに投稿するつもりなのか、とてもきれいにご飯、味噌汁、野菜炒めを配置する。綺麗にできて嬉しい笑顔をも乗せて奥の部屋に運ぶ。
「お茶もいるね」
綾乃はそう言って冷蔵庫からお茶を取り出して二人分注いだ。
テレビでアナウンサーがニュースを読み上げている。でも明らかに読み間違いや詰まりが多い。新人なのだろう。初々しくてどこか微笑ましいけど、「ちゃんとやれよ」って思った。綾乃も今年から新卒の子を相手にしているからか微笑ましいだけでは済まなかった。
次のニュースに移る。綾乃はニュースをチラ見する。二度見した。目を丸くしてニュースに食い入った。
「そのぐらいでいいよ」
ギリギリまでお茶を注ぐ綾乃に美奈がそう言う。
「あっ……」
お茶のペットボトルを置いた綾乃だが、視線は依然としてブレない。
「どうかした?」
美奈の問いかけを無視してテレビを凝視する。何かなんだから分からず沈黙の中で立ち尽くす。
綾乃から放たれる視線を追いかける美奈。視界には同じ映像があるけど、素人らしき男性が単行本を両手で大事そうに持っている。カメラのシャッターを全面に受けて、少しだけぎこちない笑顔を見せた。
「この人……」
第二六回〇〇出版の新人文学賞のニュースだった。
「この人? 知ってる人?」
「……」
ニュースが終わってないから返事はまだお預けだった。
記者会見に出席した渉はスーツを着てプロジェクターに映し出された小説のタイトルをチラチラ見ながらコメントをしている。渉は緊張からだろう、うまく口が動いていないけど、なんとか聞き取れるレベルだ。素人ならこんなもんだろうと、開き直ってコメントを続けた。
「この度は、たくさんの方にお集まり頂きありがとうございます。自分なりに精一杯書きましたので、ぜひ読んでみてください。これが最初で最後の本になると思いますのでよろしくお願いします」
最後に一礼ををして、カメラのフラッシュに身を小さくしながらも自身の小説を手に、胸を張った。頑張って書いてきた甲斐があった。
渉が書いた「心づくし」という小説。これは三角関係に悩まされた大学生の深沢宏紀(こうき)の苦悩と葛藤を描いたもので、彼に想いを寄せる永井未砂(みさ)の視点から描かれている。緑ヶ丘大学という架空の大学が舞台で、宏紀は中学時代に好きだった同級生の北川七海と大学で再会し、同じ学科に所属することになる。当時と変わらない七海にまた好意を寄せていくが、大学で友達になった園田真也も七海に好意を寄せ始める。その想いを聞いた宏紀は衝撃を受けて、三角関係の渦に巻き込まれていく。それをなんとなく悟った未砂は宏紀の苦しみを理解し、励ましいくことで内容は発展していく。最終的には宏紀と未砂が、真也と七海が付き合うことになり、完結を迎える。
あの人がテレビの中にいる。
突然射し込んだ希望の光。
どんなにまぶしくても、私はここにいる。
綾乃と美奈が夕食を食べながら、検索エンジンに「文学賞」、「ニュース」と入れて検索している。検索結果が表示されると無我夢中でニュースをタップした。
「どんな人どんな人?」
箸を指揮者のように揺らしながら美奈が綾乃を急かす。
「待って待って」
あの人が書いた小説が新人文学大賞を受賞した。彼の名前は春井俊太という。本名かペンネームかは分からない。年齢は二十七歳。写真を拡大すると確かにあの人だった。
「結構イケメンじゃん」
記事に夢中で美奈の話が入ってこない。
正面からまじまじと顔を見たことはないけど、あの人が持っている雰囲気はすぐに綾乃を認知させた。何か書き出していたのは本だったんだ。あの真剣で時に殺気さえも感じた眼差しは彼の作品に向けられたものだったんだ。彼は一般人だからこれ以上の情報はない。でも何も知らずにただ彼を待っている時に比べたら大きな進歩だったから綾乃の表情は自然に笑みへと変わった。とりあえず『しゅんたさん』ということは分かった。まさか『としふと』とは読まないだろう。綾乃の三つ年上だ。綾乃もそのぐらいだと思っていたけど、予想が一つ重なるとなんだか嬉しくて心の中の何かが騒いで落ち着かなかった。
「綾乃って面食いなんだね」
箸で綾乃の二の腕をツンツンしながら美奈が言った。
「うるさいな。これをきっかけに、話とかできたらいいな」
慎重に言葉を並べる綾乃。都合のいい未来の展望をゆっくり描いているようだった。
「次に見かけた時に、本のことを話して仲良くなればいいんじゃない? 『読みました。すごい良かったです』とか言って。自分の作品のことなら乗ってきてくれるよ、きっと」
今までよりずっと現実的だった。
「うん……それができたら一番いいね」
そんな期待も持ちながらも、綾乃にできるかどうか不安だった。
「もし心配なら、一緒に行って、待っててあげてもいいよ。変な意味で近づくわけじゃないし」
美奈の中にも少なからずストーカー的な意味合いがあるのだろう。『変な意味』という言葉が引っかかるけど、綾乃は、「本当?」と言った。
「もちろん。綾乃がいいって思った人なんでしょ? 仲良くなりたいよね?」
なんという助け舟。でもそういう言われると、綾乃自身だけで頑張りたい気持ちもふつふつと湧いてくるし、なんだかプレッシャーだった。『ミス出来ない』という包囲網が、綾乃を窮屈にさせる。一人でやってみようと思い直して、「いや一人で頑張ってみる」
「綾乃、私が何かするんじゃないかって、疑ってるでしょ?」
少し頬を膨らませて美奈が綾乃を見つめた。
「そんなんじゃないよ」
目を逸らして言う綾乃。それもないわけではない。
「どうかな……」
「本当に違うって!」
おのずと笑みを見せる綾乃。何かが、動き出すかもしれない。