2.ボクは春休みに男の娘と泊まる


「まずは君の氏名から伺おうかな」
「ボクは……渋沢(しぶさわ)(しみる)です」
「しみる?」
「さんずいに心、と書きます。胸に()みるとか、心に訴えかけるという意味です」
「良い名前だ。心の機微を感じ取れる優しい人になりますように、っていう名付け親の気持ちがあるね。あるある」
「そうかな……」
 ボクはあからさまなお世辞に首を傾げた。
 名前の由来という他愛ない日常会話から話を広げて、徐々に打ち解けようとしているに違いない――。
「さっそく本題に入ろうか」
 ――あれっ?
「君は先月の春休みに、心の傷を負ったと聞いてるよ。思い出すのは辛いかも知れないけど、あらましを聞かせてくれるかな? もちろん、出来る範囲で構わない」
「ず、ずいぶんストレートに訊きましたね」
「僕が回りくどく雑談するだろうと君は予測して身構えたので、逆を突いたのさ」
「……ボクの心が読めるんですか?」
「読んでるわけじゃないよ。分析してるんだ。あるある」
 どう違うんだ、それ。
「虚を突かれると、人は心がほぐれるのさ。警戒がゆるんで、思わずポロッと心境を述べやすくなる。よくある話術(・・・・・・)だよ」
「ってボクに教えちゃったら意味ないじゃないですか」
「ま、無理に話さなくてもいいよ」あっさり身を引くカウンセラー。「今日中に解決する義務はないからね。気の向くままにやろう。君のように強情な相談者は珍しくないし、そういうときの対処やマニュアルも心理学にはあるんだよ。あるある」
「さっきから手の内を暴露しまくっていますけど大丈夫ですか?」
 ペラペラと口が軽い人だな。
 全ては話術、マニュアル通りだなんて、幻滅だよ。
 相談者はもっと親身に話を聞いて欲しいんだ。なのに、マニュアルに書かれた機械的な対応だと言われたら、失望してしまう。
(あるいは……相手がボクだから?)
 ボクのようなひねくれた人間には、逆に手の内をさらした方がフェアなんだろうか。
「普通のカウンセリングは『傾聴(けいちょう)』と言って、相談者に寄り添って話を伺うんだけど、僕はそんなやり方はしない。相手の心を覗き、さらして、解決策を直接えぐり出すんだ」
 ええー……理解できない。
 このカウンセラーの意図が、素人のボクには理解できない……。
「相談者との距離感や親密度なんて、どうとでもなるからね」
「そうなんですか?」
「そもそも僕は、ルイからすでに君のことをある程度聞きかじってる。正直、よくある不幸(・・・・・・)だと思ったよ」
「なっ!」
 それはボクの逆鱗に触れるか触れないかの、ギリギリの線を攻めて来る暴言だった。
 ――『よくある不幸』だって?
 ボクにとっては一大事なのに、そんな軽々しく断じるなよ!
 ていうか、泪先生を呼び捨てにするなよ……。
「学校側も、君の春休みに起きた一部始終は知ってたから、情報を提供してくれたよ」
「ぷ、プライバシーとか個人情報の守秘義務とか、ないんですか」
「ある程度の情報共有は容認されるべきだからね。スクール・カウンセラーは週イチしか出勤しないから、普段の様子を知るために担任教師から生徒のことを聞いたり、養護教諭と意見交換したりするのは日常茶飯事(よくあること)だ。あるある」
「~~~~~~……っ」
 言いくるめられた気がしなくもないけど、言いたいことは理解できた。悔しい。
 判った、判ったよ。
 ボクの負けだよ。
 ボクは肩を落としながら観念した。盛大に溜息をつく。
「仕方ない……話すだけ話しますよ……それで良いんでしょう?」
 この人に従って、本当に胸のつかえが取れればめっけもんだしね。
 駄目で元々だ。今回は泪先生の紹介に免じて、カウンセラーに乗っかってやろう。
「ああ、お願いするよ」
 にっこりと好青年風に破顔したカウンセラーが、ちょっと癪に障った。

   *

「あたし、四月から引っ越すことになったの。親の仕事の都合で」
 ――春休みの、悲しい知らせ。
 近所に住む幼馴染・沼田洸(ぬまたひかる)ちゃんが、突然こんなことを切り出したんだ。
 ボクは心臓が飛び出るかと思ったよ。
 その子とは家族のように仲良しだったから……。
 洸ちゃんは昔から学区外の進学校へ通っていて、学園生活の様子は知らないけど、休日は頻繁に顔を合わせていたし、よく遊びに出かけていた。
 この子と離れ離れになるなんて、青天の霹靂以外の何物でもない。
「いきなり急すぎるだろう」うろたえるボク。「じゃあ高校はどうするんだ?」
「転校すると思う。実は転入試験も受けて来たばかりなの。で、問題なさそうだから、沁にも教えようと思って――」
「冗談じゃないっ。ボクたちは一心同体だったのに! そうだ、あいつは? 重治(しげはる)は何て言っているんだ?」
(しげ)くんにも言ったよ。そしたら、家の事情なら仕方ないって理解してくれたわ」
「そんな……あいつめ!」
 ボクは一人で歯噛みした。
 ボクと、洸ちゃんと、重治――水城(みずき)重治――は、大の仲良しだった。学校も性別もバラバラだったけど、ボクらには性差なんて関係なかった。
 重治はボクの隣家(りんか)に住む、同い年の偉丈夫だ。男らしい体格と言動がリーダーにふさわしくて信頼していたし、彼もボクや洸ちゃんに目をかけてくれた。
 重治とボクは、小学校から高校までずっと同じだ。登下校も二人で通学しているし、話題も洸ちゃんのことが多かった。
「じゃあ洸ちゃん、久し振りにウチ来なよ。泊まりにさ」
 ボクは居ても立ってもいられず、口からこぼれた。
 洸ちゃんは一瞬だけまごついたけど、すぐに表情を明るくし、手を叩き合わせる。
「わぁ。沁ん家でお泊まり会、昔はよくやってたよね」
 洸ちゃんも覚えていたようで何よりだ。ボクたちは近所だから、互いの家へ泊まりに行くなんてしょっちゅうやっていた。
 さすがに近年は、みんな部活だのアルバイトだの塾だので都合が付かなかったけど、決してお泊まり会に抵抗があったわけではない……と思う。多分。
(となり)()の重治も呼んで、騒ごう。最後の思い出作り……ってわけじゃないけど」
「あはは、沁ったら大袈裟。別に二度と会えないわけじゃないよ? ちょっと遠くに離れるだけ。夏休みとかの大型連休には、また遊びに来るし」
 洸ちゃんは屈託なく笑い飛ばした。
 その明るい相貌に、ボクや重治は幾度となく救われて来た。この子は三人のムードメーカーだったし、ボクたちのかすがい(・・・・)的な役割でもあった。
 帰宅したボクは、さっそく隣人の重治にスマホで電話した。
「もしもし、重治? 実はさ……」
『――あ? 高校生にもなってお泊まり会とかガキかよ』
 電話越しの重治は、とても高校生とは思えない胴間声(どうまごえ)の持ち主だった。
「そう言うなって重治。洸ちゃんの転居は聞いているだろう?」
『聞いてるけどよぉ、今どき男女が同じ屋根の下で寝食をともにするなんて――』
「意識しすぎだってば。ボクらは幼馴染だろ? 親だって気にしないよ」
『そ、そうか……ま、洸ちゃんとは最近あんまり話せてなかったしな。ちょうどいいか』
 お、喰い付いた。
 重治なら判ってくれると思ったよ。
「最近は三人全員の都合が合うことも少なかったからね。改めて親睦を深めておくのも悪くないよ」
『そんじゃあ、コンビニで食いもん調達して来るかぁ。今夜、お前ん家でだよな?』
「うん。待っているよ」
 話の段取りは、呆気なく整った。
 ボクと、洸ちゃんと、重治の、最後のお泊まり会。
 幼馴染の新たな門出。
 ――そうなる予定だったんだ。

「やっほー沁、来ちゃったよー」

 夕刻になって、洸ちゃんが我が家を訪れた。
 背中にかかる黒髪を後ろで結び、ノンスリーブのセーターにアームウォーマー、風になびくロングスカートをまとった春らしい装いが、ボクの目を癒してくれる。
 玄関口に立った背丈はとても小さく、肩も細い。腰なんて、今にも折れそうだ。
 あとで気付いたけど、華奢な雰囲気が泪先生に似ている。
 ボクがあの先生に魅かれるのは、洸ちゃんの面影を見出しているから――?
「おう、お前ら早ぇな」
 隣家の垣根越しに声をかける重治が、かろうじて見えた。
 そりゃあ近所だからね、ものの数分で集まれるさ。
 重治に食料の仕入れを頼み、お金を渡してから、ボクと洸ちゃんは二階へ上がった。
 二階は三部屋あり、一つは親の寝室、一つはボクの個室で、残り一つは空き部屋になっている。昔はこの空き部屋を客間代わりにして、洸ちゃんを泊めていたっけ。
「あたしの荷物、ここに置かせてもらうね」
 洸ちゃんは、着替えやコスメ用品を詰め込んだバッグを両手で抱えながら、勝手知ったる所作で客間に滑り込んだ。
 客間はベッドと文机が置いてあるばかりの簡素な内装だ。
 窓の外は、隣に建つ水城家がすぐそこまで迫っている。
 向かい合う窓も、重治の個室だ。今はカーテンが引かれて室内を拝めないけど、重治らしい武骨かつ殺風景な内装なんだろうな。
 なんてことを考えていると、階下から重治の大音声(だいおんじょう)が轟いた。
「うーっす! お邪魔しまっす、水城重治でーっす! あっどうもオバサン、俺のことはお構いなく! 沁は二階っすかね? 上がらせてもらうっす!」
 ずかずかと階段を登って来る気配が察せられた。
 重治はいつも賑やかだなぁ。そんな直情的な率直さが、好漢の理由なんだけどさ。
「ほーら飯買って来てやったぞ! 騒ごうぜ!」
 両手いっぱいのコンビニ袋を掲げた重治が、宴の開催を宣言した。
 洸ちゃんも「おーっ」と手を挙げると、ボクの部屋に移動してお菓子を開封する。
 ボクの部屋は、重治から笑われるほど少女趣味で、宝塚のポスターが貼ってあったり、本棚の漫画も『リボンの騎士』とか『桜蘭高校ホスト部』とか『花盛りの君たちへ』と言った少女漫画が並べられていたりする。
 テレビゲームやトランプ、ボードゲームなどでひとしきり盛り上がったあと、テレビ番組を観たり、雑誌を読んだりして思い思いの時間を過ごした。好きなようにダラダラ過ごせるこの距離感が、三人のパーソナル・スペースなんだ。
「あ。あたしそろそろお風呂借りてもいいかな?」
 洸ちゃんがふと、体のあちこちをポリポリと指で掻きながら尋ねた。
 見れば、さっきからしきりに肌へ爪を立てている。
 場所によっては掻きむしりすぎて、うっすらと引っ掻き傷が残っているほどだ。
「ああ、いいけど」眉をひそめるボク。「どうしたの、それ?」
「んー。最近、体がかゆいのよねー。別にアレルギーだとかハウスダストとかじゃないんだけど。心因性のストレスかな。ムズムズして、落ち着かなくて」
 体がかゆい?
「引っ越しのストレスとかか?」
「判んない。でも、そうかも」
 ああ、やはり洸ちゃんも、本心ではこの町に(とど)まりたいんだ。
 ストレスが原因で体を掻きむしってしまう例は、聞いたことがある。落ち着かずに体がうずいたり、蕁麻疹(じんましん)が出たりして、無意識のうちに爪を立てるんだとか。
「おいおい、大丈夫なのかよ!」目くじらを立てる重治。「本当にアレルギーじゃねぇのか? さっき食べた菓子ん中に変なもん入ってなかったか?」
「それは平気よ。その程度はあたしも心得てるし」
「な、ならいいけどよ。気が気じゃねぇな、洸ちゃんに万が一のことがあったら――」
 重治の奴、思い詰めた顔をしている。
 へぇ……もしかして重治って、洸ちゃんのことを……?
 いや、だとしたら、幼馴染でありながら一線を越えることになるし、ちょっと重大な問題点(・・・・・・)を抱えることにもなるけど――。
 洸ちゃんが着替えを携えて風呂場へ降りて行くと、重治はボクに弱音を吐いた。
「あーくそ。やっぱ辛ぇわ。表面上は笑って送り出してぇのに、別れたくねぇよ……」
「重治、やっぱり君は洸ちゃんを――」
「好きだぜ。あんなに可愛いし、昔から俺に懐いてたら、惚れるに決まってるじゃん」
 うわ……やっぱりそうなのか……それはマズイ(・・・)な……。
「重治、そのことなんだけどさ」
「あぁん? 何だよ?」
「洸ちゃんは確かに、そこら辺の女子より女の子らしい外見しているよね。身なりやお化粧にも気を遣っているし、言葉遣いも垢ぬけた女の子っぽく振る舞おうとしているし」
「? 何が言いてぇんだ沁? そんなの、女の子なら当たり前――」
 女の子なら。
 ――でもボクは、一度も洸ちゃんが女性だとは明記していない(・・・・・・・・・・・・)
「女の子じゃないからこそ、女の子らしく振る舞って、コーディネートして、化粧して、補おうとしていたらどうする? 今は女装用メイクだって発達しているんだ」
「はぁ? お前、何言って――……」
 ……重治の台詞が途切れた。
 ざわつく予感。ボクのさり気ない助言で気付いた事実。
「ヒカルって名前は、男性にも女性にも名付けられることの多い、中性的な響きだよね」
「ま、さ、か!」
 重治が部屋を飛び出した。
 しまった、速い。ボクが止める暇さえなかった。
 重治が階段を駆け下りる音。
 風呂場の脱衣所から轟く、叫び声。
「洸って男だったのかよ!」
 我が家を、重治の絶叫がつんざいた。
(洸ちゃんは『性同一性障害』で、性別を偽る『男の()』だった)
 だから洸ちゃんは、学区外の学校に進んだのだ。
 男女を明確に区別される制服がない、私服の学校を探していたらしい。そういう所はジェンダーにも理解があるしね。
 お泊まり会は一変して、辛気臭くなった。
 重治は逃げるように隣家へ撤退し、電話にすら出てくれない。
 相当ショックだったようだ。
 まぁ、無理もないか……ボクのせいかなとも省みたけど、二人の幼馴染として言わずには居られなかったんだ。
 洸ちゃんだって勘違いされたまま過ごすのは嫌だろうし、重治だって性別を誤認したまま恋心を引きずるのは、禍根を残すに決まっている。
「沁、どうしよう。あたし重くんに嫌われちゃった?」
 廊下の片隅で、泣き腫らして真っ赤になった瞳をこすりつつ、洸ちゃんはボクに助けを求めた。
 風呂上がりの寝巻き姿も、本物の女の子みたいで可愛らしい。
「洸ちゃん、今日はもう寝よう。明日になれば、重治もいくらか落ち着くだろうし」
「でも――」
「冷却期間が大事だよ、今は」
 ボクは洸ちゃんを客間に連れて行く。不服そうにしかめ面をかたどる洸ちゃんだけど、今はどうしようもないことを悟ったのか、おずおずと室内へ引っ込んだ。
「この部屋の向かいの窓って、重くんの個室よね?」
「そうだけど、呼びかけても無駄だと思うよ。無論、窓伝いに押しかけるのもね」
「わ、判ってるよぉ……聞いてみただけ……お休みなさい」
「お休み」
 ボクは客間を出た。静かにドアを閉める。
 そして僕も、自室にこもって溜息をついた。
(ボクも寝よう……もう疲れた)
 ――その後、事件は起こったんだ。
 夜は更け、やがて明けて、日が昇る。
 ボクは雀の鳴き声で目を覚まし、自室から出ると、迷わず客間をノックした。
 ……返事がない。
「洸ちゃん?」
 ドアを押し開けると、中はすでに無人だった。
 バッグは置いてあるけど、ベッドから洸ちゃんの姿が消えている。
 びゅうっと風が吹き込んだので、ボクはそっちを振り向いた。
(窓が開いている!)
 重治の部屋に面した窓だ!
 妙な胸騒ぎに見舞われたボクは、窓際へ飛び付いた。
 重治の部屋の窓は閉まったままだけど――。
 ごくり、と息を呑み、窓の下を覗き込む。

「洸ちゃんが転落している!」

 隣り合う水城家と我が家との隙間――敷地の側庭(そくてい)だ――に、洸ちゃんが倒れていた。
 窓から真っ逆さまに。ゆうべの寝巻き姿のままで。
 頭を強打し、首の骨を折って、出血を地面ににじませながら。
 大急ぎでボクは廊下へ戻り、階段を駆け下り、裸足のまま側庭へ回り込む。
 洸ちゃんはすでに息を引き取り、死体は硬直し、肌には死斑(しはん)が浮き上がっていた。

   *