2.ボクは黒ずくめの闇に呑まれる


 幸い――というか何というか――暴漢どもの動きは、お世辞にも連携が取れているとは言えなかった。
 単に徒党を組んでいるだけだ。
 専門の戦闘訓練を受けた精鋭部隊というわけではないらしい。そんなスパイ小説モドキな本格バトルアクションだとしたら、ボクの命なんていくつあっても足りやしないよ。助かった。
 ナミダ先生もそれは承知の上だったらしく、この数に囲まれても落ち着き払った冷笑を顔面に貼り付かせている。
「ま、多勢に無勢の僕が、唯一付け入る隙があるとすれば――」
 殴りかかって来た一番槍をステッキで払いのけ、すれ違いざまに相手の腰を打ち据えて横薙ぎに倒した。
 杖術、炸裂だ。
 横から力を加えられた暴漢はぐるんと天地を引っくり返り、そばに居たもう一人の暴漢も巻き込んだ。どちらも路上にしこたま頭を打ち付けて動かなくなる。
「――君たちが明らかに烏合の衆で、僕には護身術の心得があるっていう点かな、あるある。君たち、受け身もろくに取れないようだね」
「なめるなぁっ!」
 まだまだ暴漢どもはたくさん居る。
 ざっと見積もっても十名を下回らない。こんな数の暴力、普通ならナミダ先生が集団リンチに遭っちゃうんだろうけど、ステッキで敵陣を牽制する勇姿は凛々しく、とても負ける気がしなかった。
 背後から飛びかかる暴漢の喉笛に、ステッキの尖端を打突して黙らせる。
 うわぁ、あれは痛そうだ……。
 その一撃で暴漢は泡を吹いて昏倒した。その体を踏み越えて、新たな暴漢が掴みかかろうとする。
 ナミダ先生はくるりとステッキを手先で反転させると、暴漢の脇下へステッキを滑り込ませ、てこの原理で軽々と持ち上げた。暴漢が接近する勢いを利用して、ステッキで浮き上がらせたんだ。
 あとはステッキを振り下ろし、路面へ叩き落とせば処理完了。
 あおむけに倒れた暴漢のみぞおちをステッキで突き、呼吸困難で気絶させる。
 うわ、しっかりトドメ刺すのも怠らない入念っぷりだ。
(ナミダ先生、本気で強いぞ)
 瞬く間に暴漢の戦力を削いで行く辣腕は、奴らをたじろがせるには充分すぎた。
 ナミダ先生は敵の足が止まったのを見届けるや、フンと鼻で笑ってみせる。
「どうしたんだい? もうおしまいかな。あるある、人海戦術に頼り過ぎて、一人一人の練度がおざなりな編成、よくある」
「き、貴様、言わせておけば――うぎゃあ!」
 反駁した暴漢が間合いを詰めた瞬間、踏み出した奴の右足をすかさずナミダ先生がステッキでつまずかせた。
 あわれ暴漢は、顔面から突っ伏してしまう。
 思いきり鼻っ柱をアスファルトに打ち付けたそいつは、覆面を鼻血で赤黒く染めながら立ち上がろうとしたけど、間髪入れずナミダ先生の追い打ち――義足で顔面を踏み付ける――によって呆気なく白目を剥いた。
 容赦ないな、ナミダ先生。
 まぁ正当防衛だろうから問題ないと思うけど……この人数差だし。
「君たちのボスに伝えてくれないかい? 僕を闇討ちしても意味ないって。僕も人に恨まれる覚えはない……と言いたいけど、こうも立て続けに生活の邪魔をされると、さすがに傷付くなぁ」
 な、何度もこんな目に遭っているのか……。
 ナミダ先生、修羅場多すぎだろ。
 どんな人生を歩んだら、こんな状況にしょっちゅう出くわすんだ? ボクにはそっちの方が不思議だよ。世紀末のスラム街じゃあるまいし。
「大方、大学の対立派閥が、僕を失脚させたがってるんだろうけどね。准教授の推薦でさらに拍車がかかったかな? 権力争いの果てに暴力で脅すなんて、ありがちな悪党だ。呆れて物が言えないよ」
 いや、めちゃくちゃ言っていますよ。喋りまくりじゃないですか。
 ナミダ先生は訳知り顔で、暴漢どもに警告した。どうやらナミダ先生には、こいつらの黒幕がおぼろげながら見えているようだ。
 彼は、ボクら凡人には及びも付かない敵の思惑が、心の動きが、読めるんだ。
 全てを見透かす慧眼。
 いや、分析力?
 心理分析――普遍的無意識を介した、精神の伝心?
「くそっ……撤収だ!」
 暴漢どもは、周辺に倒れ伏す同胞を肩で担いだり抱き上げたりして、校門前から逃げ出した。
 見れば、向こうの車道にワゴン車が二台停められていて、そこに負傷者を運び込むなり急発進する。
(あれに乗って来たのか)
 今さらながらボクは合点が行った。
 そりゃそうだ。普通、あんな黒ずくめの覆面で、公道を歩けるわけがない。
 かくして再び静けさを取り戻した校門前は、夜の帳が降りたおかげもあて、人っ子一人見当たらなくなった。
 空は暗雲に覆われており、月明かりすら存在しない。
 目撃者なし、か。
 連中もそれを見計らっていたんだろう。
「やれやれ、逃げられちゃったね。ありがちな顛末だ、あるある」
「いや、わざと見逃しましたよね、先生?」
 くるくるとステッキをもてあそぶナミダ先生に、ボクは反論せざるを得ない。
 いや、これもまた、ボクがツッコミを入れやすいようわざと発言したんだろう。会話のきっかけを生むために。
 全く、この先生は抜け目ないね。何気ない言動ですら、人を心理操作する(すべ)に長けているんだ。
「これに懲りて、連中も僕にちょっかいかけなくなれば良いんだけど……ちなみに今の荒事、防犯カメラには映らないようにしておいたよ」
「えっ、先生も!?」
 ナミダ先生がステッキで指し示した先には、防犯カメラが街灯を照り返していた。
 敵がカメラを避けているのは察したけど、ナミダ先生まで?
 いくら敵が素人集団だとしても、そこまで配慮する必要があるんだろうか?
 むしろ映り込んだ方が、いざというときの証拠にもなるのに――。
「僕が揉め事を抱えてると知られたら、せっかくのスクール・カウンセラーが解雇される恐れもあるからね。うん、ありそうだ」
「そ、そんなこと――」
「あるんだよ。公的機関は特に、そう言った不祥事にはうるさいからね。ルイの勧めで始めた仕事を反故にしたくないし、君という逸材も失いたくない」
「は? ボク?」
 やにわ買いかぶられて、ボクはドギマギしてしまった。
 ボク、何かナミダ先生に認められるようなこと、したっけ?
 あ、ディアナ・コンプレックスだからかな? 貴重な心理サンプルと思われている?
 ボクはしどろもどろに髪を乱し、スカートのすそをもじもじといじっていると、ナミダ先生はボクの心を読み取ったのか一笑に付す。
「おおむねそんな感じだね、よくあるよくある」
「よ、よくあるってそんな……どうしてボクの思考が判るんだ、この人は……」
「全ての心は、普遍的無意識で繋がってるからね。感受性の強い人間ならば、他人の気持ちを共感し、同調し、以心伝心で思考が伝わるんだよ」
「そ、そんなテレパシーじゃあるまいし、荒唐無稽なこと――」
「あるのさ、あるある。普遍的無意識の概念は、心理学では常識だよ?」
「ええ~……」
「何にせよ、今日のことは忘れよう。僕も大袈裟に事を広めたくないから」
「警察に通報した方が良いですよ。こんなことが何回もあるなんて危険すぎます」
「あー、実はもう警察には相談してるんだ。極秘にね」
「へ?」
「警察に知り合いが居ると言っただろう? 水面下で根回しはしてるさ」
 浜里警部のことか。
 最低限の対策は練っているんだ。
 すぐに逮捕しないのは、尖兵を泳がせているからだろうか?
 連中は所詮、末端のチンピラだ。そいつらを露払いするよりは、大元であるボスキャラを突き止めた方がよっぽど利口だもんね。
「浜里警部によると……管轄や担当が違うから手こずってるそうだけど、少しずつ調査は進んでる。そして、僕自身に被害がない限り、警察も静観するよう念を押してる」
「どうしてですか! 明らかな傷害未遂事件なのに――」
「僕の出世にも響くから、黒幕の正体を暴くまでは騒げないのさ」
「気持ちは判りますけど……」
「どうも黒幕が、僕の大学に関係あるのは間違いないんだ。僕がこの若さで講師を経て、あまつさえ准教授にまで推薦されたのが気に食わないらしい」
 ああ、さんざん言われていたね。
 対立派閥がどうのこうのって。
 相談室の交換殺人も、それが犯人の動機だったっけ。
「大学は派閥争いや足の引っ張り合いがあるからなぁ、あるある。教授への道は狭き門だ……助手やポスドクから成り上がれず、人生を棒に振る博士の多さたるや、社会問題になってもおかしくないよ」
 ナミダ先生が、寂しそうに肩をそびやかした。
 ステッキを力なく路面に突いて、夜空を見上げる。
 派閥争いか……。
 今一つ判らないけど、おぼろげには想像が付く。
 自分の研究チームから教授や准教授が生まれれば、大学内で発言力も向上するし、待遇も予算も上がるし、学会で幅を利かせることも出来るだろう。
 同門内でも、自分を差し置いて他人が出世するのが許せず、嫉妬して、妨害を仕掛けて来る恐れだってある。醜い大人の世界だ。
「現在は、心理学部の汐田教授と、精神医学部の渦海(うずみ)教授による対立が激化してる」
「はい……世知辛いですね」
「でも、精神医学部といえば天下の『お医者様』だ。どこへ行っても引く手あまただろうから、いつまでも大学に残って派閥争いするとは思えないけどね……」
「交換殺人の清田(きよだ)が妄執的だっただけで、実は渦海教授は無関係とか?」
「判らない。とにかく、君も気を付けて帰るんだよ。奴らの狙いは僕だけど」
「はい……先生もお気を付けて」
 ボクは考えあぐねつつ、ナミダ先生に手を振った。
 一人で帰宅するのは不安だったけど、姿が見えなくなるまでナミダ先生はボクに手を振り続けてくれた。
(ナミダ先生が准教授になったら、スクール・カウンセラーも辞めちゃうのか……)
 当たり前のことを、今さらのように思い知る。
 スクール・カウンセラーは非常勤だから、本業が忙しくなれば辞職するのは当然だ。
 ナミダ先生は大学講師だ。博士号も取得しているから、大学に残って教鞭を取るくらいしか進路がないんだろう。
(単なる講師や助教だと、あんまり待遇も良くないんだっけ)
 赤信号で立ち止まる間、スマホで手早く検索してみる。
 うん、やっぱりそうだ。
 大学に残った研究者や助手は、いわば定職でありながらフリーターに近いという微妙な待遇のようだ。もちろん学振などできちんと収入を確保する学者も居るけど、下手すると下っ端のまま生涯を終えるらしい。そりゃ他人の推薦に嫉妬するわけだよ。
(准教授の椅子をめぐって、ドロドロした怨念が渦巻いている……)
 かと言って、医学部のエリートがそんな抗争に加担するとも思えない。
 信号が青に変わったので、スマホをスカートのポケットに突っ込んで歩き出す。
 横断歩道を渡り終え、対岸の歩道に足を乗せようとしたとき――。

「居たぞ、あの女だ!」

 キキキキ――――。
 けたたましいブレーキ音と叫び声が、ボクの背後から迫って来た。
 何だ、と警戒して振り返ったときには、もう遅い。
 スカートのすそを翻したボクが見たのは、眼前に急停車するワゴン車だった。
(さっきの暴漢どもの車!)
 黒ずくめの覆面連中が、ぞろぞろと車から飛び出した。一瞬でボクを取り押さえ、抵抗する間もなく担ぎ上げて、ワゴンの中に収納する。
(連れ去られるっ……!)
 これって誘拐? 拉致監禁?
 まずいな、という認識だけがボクの脳裏で警鐘を鳴らした。
 けど、この数じゃどうしようもない。
 やっぱり人海戦術って有効なんだな……。
 ボクは男勝りなだけの、ただのか弱い女子高生だった。この人数差を覆せる戦力は何もない。だからこそ、こいつらはボクに矛先を変えたんだろう。
 ワゴン車が走り出す。どこへ向かっているのかは不明だ。
「こいつ、湯島涙と一緒に居た生徒だ。人質に使えるぞ」
 暴漢どもが口々に呟く。
「だが、ただの在校生だろう? 湯島に近しい人間じゃないと駄目じゃないか?」
「それはそうだが、例えば奴の妹もあの高校に勤めてるが、手を出しづらくてな。あの女も結構強そうだぞ。謎のオーラ出してるしな」
「あー。近寄りがたい雰囲気はあるよな、人を寄せ付けない魔性っつーか」
 ……何の話をしているんだ、こいつらは。
 ともかく、ボクがナミダ先生のダシとして誘拐されたのは間違いない。
 くそっ。あの人はボクのことを気に入っていた。ボクを人質にするのは有効なんだ。
 足手まといには、なりたくないな……。
 なんてことを考える間も、ボクは暴漢どもに手足を縄で縛られ、口に猿ぐつわを結ばれて、夜の闇へと消えて行った。

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