「なんや、困っとるから来たんやないんか? 言うてみ」
「いいんだ、お前だってそれどころじゃねえだろ」
「話を聞いたからと言って事態が変わるわけやなし、妙に気回さんと、言ったれ」
「しかし……」
「いいから言え!」
 あまり遠慮されるので、お前ではダメだと言われている気分になり、つい焦れた。怒鳴り返すと、飛田も黙る。そして迷いに迷った末、ぼそぼそと話し出した。
「お前、アッパーフラッパーって、知ってるか?」
「そら……物騒な名前やな」

 アッパーフラッパー、通称フラッパー。
 名前どおり、ハイで淫乱になるセックスドラッグだ。値段が安いことから、一昔前、若年層に流行った。中高生でも手に入る安価で気楽な合法ドラッグというのが、その頃の売りだ。
 だがフラッパーには厄介な裏がある。中毒性が高く、ひとたび溺れたらなかなか抜け出せない。そして……許容量を超えると即死だ。
 中毒性が高ければ高いほど、抜け出せなくなった少年少女に高値で売りつけられて儲かる。だから大歓迎のはずだったが、問題はその危険性のほうだ。中毒者の殆どが、売り手を儲けさせる前に死んでしまう。それでは役に立たない。
 つまり、儲からないという理由で、販売組織はフラッパーから手を引いた。今は昔の薬であり、現在市場には出回っていない……はずだ。

「それが?」
「最近な、そいつを密造して儲けようって輩が出てきたんだよ」
「は、物好きやな、儲けるまえにガキは死ぬ、たいして金にはならんやろ」
「そういうリスクはあんまり知られてねえんだろうさ、手っ取り早く作れて儲かる、そんな安易な考えの馬鹿どもってことさ」
 馬鹿はどの時代にもいるものだなと半分呆れながら、ユキは視線を下げた。
 薬は嫌いだし、鬼門だ。出来れば関わりになりたくない。それは飛田も知っている。それでもこの話を持ってきた……ということは、なにか重大な裏があるのだろう。聞くべきだと思ったが、聞いたら後に引けなくなる恐れがある、そう思えば簡単には聞けない。
 ユキが迷っていると、それを待ちきれず、飛田のほうから話し出した。
「実はその現場を高山が見ちまったらしい」
「高山? 美幸がか?」
「ああ」
 飛田の古くからの友人、高山美幸は、ちょっと名の売れてきている写真家で、いい撮影場所を探して、山奥の廃墟へ入り込み、そこで偶然フラッパーの密造現場を発見してしまったらしい。そしてつい、撮った。それが密造者たちに知られ、今、彼は命を狙われているという。
「アホやな、なんでそんなん撮ったんや」
「性分だろ、探究心ってヤツさ」
「探究心で命を落とす気か? アホくさ」
 言っても始まらない、もう撮ってしまったのだ。そして狙われている。
「……で?」
 高山が狙われているとなれば、飛田は動くだろう。そして今回は自分だけでは手に負えないと踏んだ。だからここへ来た。
 だが来て見れば、頼みの蒼太は女性化していた……だから彼は、その次が言い出せないのだ。
 できるなら関わりたくない。しかし、それでは高山はどうなる……? 考えに考えた末、ユキは憂鬱な口を開いた。
「俺になにをさせたいんや?」
 低くなった声で訊ねると、彼は気まずそうに視線を反らせた。女には任せられないとでも思っているのだろう、そう思えば腹も立つ。自分からやるとは言いたくないが、話されないのも気に障るではないか。
 早く言えと視線で促すと、飛田は視線を反らせたまま、もういいんだと答える。
「奴らの本拠地に突っ込んで、密造所をぶち壊す、幸い場所は人里はなれた山奥だ、焼き払えば使い物にならなくなるだろ……で、ついでに連中も黙らせる」
「殺る気か? 探偵のお前が?」
「アレ(フラッパー)には遺恨があんだよ、復活させようなんざ、許せねえのさ」
 小さく呟く飛田には、深く重い後悔が滲んで見えた。知人か関係者か、フラッパーの犠牲になった者がいるのかもしれない。
 個人的な遺恨、それは時として判断を鈍らせる。ましてや殺しは探偵の仕事ではない、自分の領分だ。ユキはあくまでも一人でやろうとしている飛田の、いつになく真剣な横顔を見つめて小さく息を吐いた。
「裏はあるのか? 連中は何人だ?」
「高山が見たのは四人、俺の調べではそのバックにさらに三人、大掛かりな組織はくっ付いてなさそうだが、連中の中には暴力団の準構成員がいる、組に知れれば乗り出してくるかもしれんな」
「なら知れる前に叩いとかんとな」
「ああ、だがお前は関わるな、(今のお前には)荷が重い」
「アホか、素人一人でなにが出来る、殺しはただの破壊工作とちゃうで? そういうんはプロに任すもんや」
「けどお前……っ」
 女じゃないか……とでも言いそうな飛田の顔を見て、ついブチ切れた。だからどうした、そんなことで俺がダメになるとでも思うのかと、怒鳴り返したくなる。
 そこを抑え、こんな返事をする気じゃなかったと半分以上後悔しながら、ユキは自分がやると話した。
「相手は七人、多く見積もっても十人やろ、楽勝や、そっちは俺がやる、お前は施設の破壊工作と、証拠隠滅に徹しとけ」
「しかし……」
「しかしやないわ! 証拠隠滅と退路確保は必須やで、捕まるわけにはいかんやろ」
「だからお前を巻き込みたくないっつってんだろ!」
「もう巻き込まれとるわ、これでお前の死体なんぞ見せられたら寝覚め悪いやんか、いから腹括れ!」
「風祭……」
 普段なら絶対に自分からやるとは言い出さない。それなのに、言ってしまった。女性化し、苛々が募り、精神不安定が続いていたせいかもしれない。ユキはもう一度、連中の始末は自分がつけると告げた。
 その返事を聞いた飛田は、まだ少し心配そうながらも、どこかホッとした顔をしていた。
「美幸にはいろいろ借りがある、今あの男に死なれても困るしな、任しとき」
「そう言ってくれると助かるが……本当に大丈夫なんだろうな? (その身体で)出来るのか?」
「そこまで腐っとらんわ、アホが」
「そうか」
 少し強がって答えると、飛田は安心したように頷いた。どうやら信じたらしい。
 普段は嫌になるくらい疑り深く、人の顔色を窺うのも上手い男だ。いつもならこの返事が強がりだと気づく。それが気づかないということは、それだけ彼も追い詰められているということだ。今回は個人的遺恨があると言っていた。それに高山の命もかかっている。そこが彼から冷静さを奪うのかもしれない。
 彼にとって高山はどんな存在なのか、そういえば聞いたことがなかったなと、ユキは急に思い出した。
 飛田は三十七歳、高山は二十六歳、年齢差は十年以上だ。普段、高山は飛田を避けているように見えるし、友人とも思えない。ではなんだと考え、尋ねてみたが、飛田は、ある事件で知り合っただけの腐れ縁だと、以前と同じ返事しかしなかった。
 誰にでも言いたくないことはある。自分だって聞かれたくない話は山とある。ここは聞かないのが花かなと考え、その方面への思考はそこで閉ざした。
「詳しい打ち合わせは後日っつうことで、それまでにお前は手筈を考えといてくれ」
「ああ、そういうお前は、当日までに、もう少し鍛えとけよ、半端じゃ出来ねえぞ」
「アホ、誰に言うとる」
「ははっ」
 その細い腕でなにが出来る?
 笑いながらも、彼の目がそう言っているように見えて、ユキも少し拘った。
 たしかに、このままでは無理があるかもしれない。それは自分でもわかっていた。だが出来ないとは言えない。やるしかない。やって見せて、自分が自分として、以前とどこも変わってないと、まずは自分自身で納得したいのだ。
 肉体は女性であっても、自分が自分である事だけは捨てたくない。そう決意し、ユキは足早に店内へと戻っていった。その小さな後姿を、飛田はジッと見つめる。