本陣は大名などの逗留先であったが、幕府瓦解《ばくふがかい》によってその機能は止まり、それでも当主・彦五郎は今でも日野宿の実力者である。新選組を京都時代から支え、農兵隊を組織し甲陽鎮撫隊に加わった事もあるという。
 しかし甲州勝沼の戦いに敗れて帰郷すると地縁を頼り潜伏し、官軍の追及から逃れて身を隠したが翌月、日野宿有志の歎願により名主に復帰したという。さらに妻としている女性は、新選組副長・土方歳三の実姉であった。
 故に副長・土方歳三は鉄之助に「日野の佐藤彦五郎邸に行け」と命じた。
 彦五郎ならば鉄之助を新政府軍の追討から匿ってくれると、土方が信じたからだ。
 本当なら鉄之助は箱館を離れたくはなかった。自分も新選組隊士である。しかし土方は、そんな鉄之助を箱館から出した。

 ――いいか? これは逃げるんじゃねぇ。俺たちは逆賊扱いにされちまったがここまで戦ってきた事を悔いてはいねぇ。俺たちのしてきた事は今は理解されないかも知れないが、いつの日が判《わか》ってくれると俺は信じている。だからなぁ、鉄之助。お前に俺たちの想いを託す。それを届けるのも新選組隊士としての務めだぜ。
 
 鳥羽・伏見戦以降、吹き荒れる時代の風は旧幕府軍には冷たく、新選組も仲間を失い心身共にぼろぼろだった。
 甲府から関東、宇都宮に会津――、新選組は戦い続けた。
 もはや護るべき幕府も将軍もなく、それでも戦い続けたその意味をその想いを、明治新政府は推し量る事は出来ないだろう。それでもいつか――。
 鉄之助は座敷の障子を開けた。
 そこには、鉄之助が箱館からこの武州多摩・日野の佐藤彦五郎邸まで、必死に護り届けた一振りの刀がある。
 和泉守兼定――、二尺三寸一部六厘《にしゃくさんずんいちぶろくりん》(70.18 cm程度)。
 新選組副長・土方歳三が「兼定は俺の分身のようなもの」と言い、京都時代から多岐にわたり土方と修羅場を潜り抜けてきた刀である。
 土方は鉄之助のように武士の生まれではなかったが、最後まで士道を貫いた男である。
 土方たちは何故最後まで戦い続けたのか――。
 新政府軍によって、箱館が総攻撃されるというその前日まで鉄之助は土方の側にいた。そんな鉄之助だからこそ、新選組と土方が戦い続ける意味が見えた。
 和泉守兼定には、そんな土方の想いが籠もっている。