彼の右手には、長い 髪の毛が何本も絡まっている。
 それを見た瞬間、三神さんが私の髪を力任せに引っ張り、床に叩きつけたんだと分かった。
 
 同時に、歩道橋での出来事を思い出した。三神さんは、私に危害を加えるのを躊躇わない。
 動けないでいると、乱暴に引き起こされバスルームに突き飛ばされた。

 私は絶望でいっぱいになりながら、出て行く三神さんの後ろ姿を見ていた。
 逃げられない……素早さには自信が有ったのに、あっさり捕まってしまった。
 
 クラクラとする頭のまま、シャワーを浴びた。思っていた以上に体が冷えていたせいか、シャワーの熱が肌に染み渡る。温まっているのにガクガクと体が震えた。
 
 それでもこの先の事を必死に考えた。
 助けも無く、自力で逃げられない以上、過去の出来事を思い出すしかない。
 自信は無いけれど、従わないと次はもっと酷い暴力を振るわれる。力で適わない以上、彼の決めたルールに従うしか無かった。


 何日過ぎても、記憶は蘇えらなかった。
 あの当時の記憶は曖昧で、細かい事はどうしても思い出せない。

 あれから三神さんに暴力を振るわれることは無かったけれど、寒い中閉じ込められているせいか、どんどん体が弱っていった。

 時間の感覚も曖昧になっていた頃、聞き覚えの有るメロディーが耳に届いた。これは……私は自分の部屋との境になってる壁に目を向けた。
 耳を澄まして聞いていると、音は鳴り止み、しばらくしてまた鳴り始める。
 私のスマートフォンの着信音に間違い無かった。
 誰かが連絡して来てくれたんだ!
 相手の想像はつかない。それでも、私が出ないことで異変に気付いて欲しい。
 例えそれが雪香だとしても。
 自分で拒絶しておいて、勝手だとは思うけど、今は雪香にも縋りたい。
 私は強い期待を持って苦しい時間をやり過ごした。


 それから、どれ位時間が経ったのか分からない。
 疲れて朦朧としていた私は、来客を告げるブザーの音にビクッとして体を起こした。
 この部屋に人が来るのは初めてだった。
 少し離れたところに座っていた三神さんも、警戒し厳しい表情で玄関のドアを睨んでいる。
 
 一体誰なんだろう。
 期待と緊張で息苦しい。状況を見極めようとしていると三神さんが立ち上がり、私の側にやって来た。

「声を出すなよ」

 口と腕をはタオルで拘束される。
 三神さんは、短い廊下に繋がる扉を閉めて玄関に向かった。