神様のよく行くお店とやらは、これまでの屋台型とは違い、ちょっとした小屋のようだった。

表には神様が身につけている風鈴と似た形のものが風に吹かれて揺れている。

ここまで来てようやく手を離してくれた。
暖簾を潜り、木製の引き戸を滑らせると、頭にタオルを巻いている五十代くらいの細身のおじさんが、座ってお茶を飲んでいる。

でもここでは確か、人の姿をしているのって皆神様だったような。でも神様が働いているというのは変だ。商店街でも、一度も見ていない。


「ああ、(しるべ)様!いらっしゃいませ」

その人は立ち上がり、頭のタオルを勢いよく外して、頭を下げた。

敦史(あつし)、今休憩中か? 」

「はい、そうです。あ、その子、もしかして…」

敦史、と呼ばれるおじさんは、笑顔で私と神様を交互に見る。

その表情から、悪い人ではなさそうだと判断できた。

「大丈夫だ舞。こやつは人間だ」

「え、に、人間!?」

人間ってどういうことだろう。見える人?神隠しにあった人? いずれにしろ、小屋まであるくらいだから長い間ここにいることは確かだ。

「そうだ。こやつは河西敦史(かわにしあつし)と言ってな、三十年ほど前に今の舞と同じく神隠しに合った人間だ」

「さ、三十年間もここに…?どうして?」

そう聞くと神様とおじさんは、まあまあ落ち着けと言わんばかりに、奥の座敷へと連れていってくれた。

少しじめっとしたカビ臭い部屋の真ん中に、小さな囲炉裏があった。
おじさんは私と神様、そして白狐たちに、沸かしたてのお茶を入れて渡す。

神様は熱いお茶を勢いよく飲み干し、ぷはぁと息を吐いた。

「いつもな、人間が来た時はここに連れてくるのだ。体験談を聞いた方が早い」

わけがわからず困った顔をしておじさんを見る。おじさんも苦笑いをして、話し始めた。

「えっと、左狐か右狐に聞いたかな、この世界のこととか今まで何人もの人が来たとか。あと、標様のことも」

「あ、神様のことだけ知りません。というより教えてくれません」

神様は笑いながら誤魔化し、「ちょっと外に出てくる!舞、ゆっくり話を聞け」と言ってさっさと出ていった。

おじさんと白狐はやれやれといった様子だったが、こんな初対面の人と一緒にいるのは少し気まずい。白狐たちがいるからまだいいけれど。

「まあ、つまりはねお嬢さん。標様は、迷った者たちを導く、道標(みちしるべ)の神様なんだよ」

「道標?」

「そう。それを踏まえた上で、僕のこれまでの人生を話していくね」

正直、おじさんの人生なんてこれっぽっちも興味がなかった。

でも、神様がいつもここに連れてくると言うくらいなんだから、なにか理由があるのだろうと思い、私は背筋を伸ばして話を聞いた。

「僕の父は風鈴を作る職人だったんだ。高校一年生の時、初めて風鈴を作った。形は歪だったし音も濁っていたけれど、凄く楽しかったんだ」

チリン、と壁に飾られている風鈴が音を立てる。
よくよく周りを見てみると、色とりどりの風鈴が並んでいる。

「でも生活は苦しかった。だから父は僕に風鈴職人を継がなくてもいいと言ったんだ。自分でも、これから一生生活が厳しいのは嫌だったから、普通に会社員となる道を選んだ。

でもそこは酷い会社だった。暴言暴力、残業で会社に寝泊まりの日々、少ない給料。
当時は当たり前のようになっていて、自分が社会についていけないのが悪いんだと精神的に落ち込み始めていた。

そんな時、追い打ちをかけるように両親が事故で亡くなったんだ」

ほんの数分で壮絶な人生の一部を聞かされた。おじさんは苦笑いをしているが、こちらはどういう反応をすればいいかわからない。

ただ真剣に、話の続きを待った。

「もう駄目だと思ったね。自分も両親の元に行こうと思った。でも死ぬ勇気もなければ、退職する勇気もない。
酒に走って、ベロベロに酔っ払って、今度は本当に走り出したくなって走った。ってことまでは覚えているんだけど、お酒のせいか気がついたら朝で、白い鳥居の前に倒れて寝ていたんだ」


なんだか、私と似ていると思った。お酒に走ってはいないし、ここまで壮絶な人生でもないけれど、苦しくて、逃げ出したくてここ辿り着いたのは同じだ。

「それで、標様と出会ったんだ。まあ最初は色々と振り回されたね」

部屋の隅に置いてある紙袋を見てそう言った。白狐たちもうんうんと頷いている。

「変な音のする風鈴を耳につけているし、服装はおかしいし、本当にやばい神様だと思ったよ。
でもね、標様は全てわかっていらっしゃった。
ああやって弾けてらっしゃるが、それは全て、やって来た人間に悟られないように悩みを解決し、その人の決断した道へ歩ませるため。
それがあの方の優しすぎるやり方なんだよ」


それを聞いて、私は今までのことが全て繋がった気がした。

おちゃらけて、子供のようにはしゃいで、人の話は聞こうともしない。

でも、そのおかげで私は神様に気を許すことができ、知り合ったばかりなのにこんな怪しげなお店にまで付いてきた。

本当に大事なことは全てわかっていて、小鬼のこともいち早く見つけて助けてあげていた。

本物の神様だ。

何故か目頭が熱くなってきて、おじさんの顔がぼやけてくる。頬に生暖かい雫が落ちてきた気がした。

おじさんは何も言わずに、傍にあったティッシュ箱を渡してくれた。

「す、すみませ……。続きを、お願い…します」

鼻をすすり、目を擦った。おじさんは程よいタイミングで、再び口を開く。

「標様は、正しい道というものは教えない。その人が決めた道が、より上手く進むように、相応しい道順を示してくれるんだ。目的地は自分で決めて、標様はその道順を教えてくださるだけ。
僕は、もうあちらの世界に帰りたくなかった。帰るのが怖くなってしまったんだ。だから僕は、この世界で生きるという道を選んだんだ」

おじさんは、この道に進んで幸せだと言いたげだった。

ただ、少しだけ疑問に思った。

ここに来たのは三十年ほど前の話。それは新入社員の頃だと言っていた。
今、おじさんの身なりは五十代に見える。他の神様や生き物たちは、誰一人老いていないのに。

「あ、あの……。人間はここに住むことを決めても、時の流れは普通の人と同じなんですか…?」

おじさんは「やっぱりそう思うよなぁ」と頭を掻きながら言う。

「お嬢さんの言う通り、僕の時間はこっちにいても変わらず進む。
いつかは死ぬんだ。その時は、人の世界のこの山の中で、いつしか遺骨で見つかるらしい。
行方不明になっているはずだから、山の中で遭難した人の遺体が見つかりました、って」


おじさんは笑っていた。それら全てを受け入れた上でここにいるんだ、と言っている気がした。


「そうだ。敦史はあくまで、神隠しにあった人間だからな。あ、そういえばな、これは敦史が作ってくれたんだぞ!」

いつの間にか、入口の前に腕を組んで立っていた神様。涙でぐちゃぐちゃの私に、耳についた風鈴を見せてくる。

「そう、僕は標様に救われたんです。ここで父の仕事であった風鈴を作れるようにして下さった。
高校生の頃に作ったっきりで、作り方を思い出すのも大変だったけれど、その時も標様はさりげなく支えてくださったんだ。
そのお礼に、昔の風鈴を今風にしてプレゼントしたんだよ」


神様は本当に照れているのか、ちょっとだけ口角を上げて俯いている。
その感情を表したように、イヤリングが音を弾かせた。

「ふ、風鈴は昔は違ったんですか?」

思い切り鼻水をかんだ後、そう聞いてみた。
するとおじさんは立ち上がり、タンスのひとつを開けて、何かを取り出す。

「これだよ、昔標様がつけていたのは。僕が標様に手作りの新しい風鈴をあげた時、お礼だって言ってくれたんだ。今でも大事に保管しておりますよ、標様」

最後は神様に向かって微笑んでいた。神様は「あーもーいらぬいらぬー!」と言いながら私が手に持つ風鈴を奪おうとしてくる。

その風鈴は青銅らしきものでできていて、今のガラス製とは全く違った。少し揺らしてみても、鈍く重い音がする。

最先端好きな神様にとっては、今つけているガラスの風鈴は宝物だろう。

「風鈴は、中国から伝わったらしいんだけど、当時は風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占うものとして使われていたんだって」

おじさんが説明をする。
そうか、道標の神様だから、風鈴を付けているんだ。今まで神様だからという理由で気にしないでいたが、よくよく考えてみれば耳に風鈴なんて変すぎる。

「まあ、この風鈴は感謝している。前のものも重いと思ったことは無いが、鈍い音が耳元で鳴り続けていると、動きたくなくなるからな」

フッと笑って、照れを隠すように頭をかいた。白い髪がふわりと揺れる。

「その髪色もなにか理由があるんですか?」

「ああ、白は穢れの無い色だからじゃないか?
まあそれはさておき、さあ、そろそろ行こう!さっき飲食店を見てきたが、美味そうなものがあったのだ!」

また声の調子を上げ、私の腕を引っ張る。

さっきは傍に隠れて聞いていたのかと思ったけれど、本当に外に出ていたんだ。

私は湯呑みをおじさんに渡し、お礼を言って外に出る。
神様も、「ありがとう敦史!また頼む!」と言い放ってお店をあとにした。