「いいえ。試験のお勉強は進んでいて?」
 ああ、と彼は言った。
 小桜の憂いの理由を知ったらしい。
「進んでいるさ。この調子なら合格だろう」
「まぁ、自信たっぷりでいらっしゃる」
 寂しいやら、可笑しいやら。
 小桜はくすくすと笑ってしまった。寂しいけれど、知っているではないか。
 少しの別れのあとには再会が待っていることを。
 でもそれを知っているのはここへ紛れ込んでしまった七十過ぎの小桜であり、この十代の少女の小桜は知らないことだ。
 だからその、先の見えない不安は娘の頃の自分のものなのだろう。小桜はそのように感じた。
「合格したら……あ」
 ちょうどそのとき、お参りの番がきた。
 普段なら手を合わせるだけでおしまいなのだが、今日は花祭り。
 お釈迦様の像に甘茶をかけるのだ。
 前のひとからひしゃくを受け取って、甘茶を汲んで、そろっとお釈迦様の頭の上からこぼしていく。
 ぽたた、とお茶が像を伝って落ちた。
 お釈迦様の生誕をお祝いするのにどうして甘茶なのか。それもどうしてかけるのか。
 あまり小桜は詳しくなかった。
 もう少し調べればよかった、と思うけれど、あとで彼に聞いてみようかと思った。
 勉学に堪能な彼のことだ。きっと知っているのだろう。
 隣で同じように甘茶をかける彼も穏やかな顔をしていた。
 その優しい顔。まだ二十前の、若々しく精悍な顔。
 ついじっと見入ってしまった。
「終わったかい」
 小桜の視線に気付いたのだろう。彼はこちらを見た。
 小桜は慌ててちょっと目を逸らした。確かにひしゃくの中はカラになっている。
 けれど見てしまったのは、『終わったから戻りましょうと促す』ではなく、単に見入ってしまっただけだ。それが妙に恥ずかしい。
「え、ええ」
 やっと言った。小桜の真意には気付いたのか気付かなかったのか。
 彼はやはり笑って、「では行こう」とひしゃくを少し振って、水気を落とした。そして次のひとへそれを手渡す。
 そのままお釈迦様の像の前を離れて、道へ出る。
 特に大仕事をしたわけでもないのに、お参りが終わった安堵からか、ほうっと息が出た。
「やぁ、無事にできて良かった」
 彼は満足げだった。小桜もちょっと微笑んでしまう。こういう顔が好きだった。
 いや、好きだ。
 彼は優し気な顔立ちをしているので、こういう顔をするともっとやわらかく見える。
 しかし『好きだ』と現在の体の感情として思ってしまったせいで、また恥ずかしくなってしまった。心も娘に戻ってしまったようだ、と思う。
 けれどそれは嫌な感覚ではなくて。
「おみくじでも引いていくかい」
 ふと、彼が境内の奥を指差した。
 小桜は、ぱっと顔を輝かせてしまった。
 おみくじ。
 お寺へのお参りの定番だ。初詣などでも引くけれど、普段引いたって楽しい。
「引きたいわ」
 声も弾んでしまったからだろう。彼はまた可笑しそうに笑った。
「では行ってみよう」