かすかに軋む階段を下りた先に、深い茶色の暖簾(のれん)が下がっていた。獅狛がそれを掻き分け、彼に続いて暖簾をくぐる。そのとたん、まるで森の中にでもいるような清々しい空気に包まれた。

 柚香は大きく息を吸い込んだが、店内を見た瞬間、動きが止まった。

(え!?)

 足元は三和土(たたき)の土間で、壁は白い漆喰。それに年季の入った焦げ茶色の柱や梁が落ち着いた風情を醸し出している。カウンターやテーブル、椅子も同色の木材を利用していて、四隅には、竹枠に和紙を貼った行灯型の間接照明が置かれ、温かな明かりをほんのりと広げていた。一見すると、普通の古民家のようだ。けれど、普通の古民家と違うのは、通常なら大黒柱と呼ばれるだろう太い柱があるべき場所に、一本の楠が立っていたのだ!

 楠は一階の天井も二階の屋根も突き抜けていて、店内からその頂は見えない。

(なんで家の中に楠がそびえ立ってるの?)

 柚香は揃えられていた靴を履いて楠に近づき、手でそっと幹に触れた。樹皮特有のざらついた感触がして、本物だとわかる。視線を上げると、上に行けば行くほど、もやがかかったように薄暗くかすんで見えた。枝と濃い緑の葉は見えるものの、その先に空は見えず、木漏れ日さえも差してこない。見つめていたら、どこか別世界にでも吸い込まれていきそうだ。

「これは……木の方が先にあったんですよね……?」

 柚香はつぶやくように言った。

「はい。この木は狗守(いぬかみ)神社のご神木の実から育った木です」
「狗守神社、ですか……」

 柚香はぼんやりと記憶をたどった。

 狗守神社とは、祖父母が暮らしていたこの地域の氏神さまのことだ。狗守山と呼ばれる標高四百メートルほどの山の中腹にある。子どもの頃、帰省した際に父に連れられ、長い石段を上ってその古い神社にお参りした記憶が蘇ってきた。

 柚香はテーブル席の間を縫って障子窓に近づいた。

「じゃあ、この近くに狗守山があるんですか?」
「はい。そちらの裏庭は狗守山とつながっています」

 柚香は障子を少し開けて外を覗いた。窓の外はまさに山の麓といった風景だ。生えている木は楠のような常緑樹がほとんどで、木々はどれも深い緑色の葉を茂らせている。ここでは枝葉を通して午後の光が差し込み、下草の生える地面に柔らかな光をチラチラと落としていた。

「一階に下りたとき、すごく清々しい気分になったんですけど、それはこんなふうに店の中に木があって、店そのものも緑に囲まれているからなんですね」