「私……飯塚(いいづか)雅道(まさみち)と言うんですが……隣の県の文房具メーカーで働いています。ここから車で一時間半ほどのところに住んでいるんですが……父がここに遺した田んぼで米を作っているんです」
「えっ、会社員をしながら農業もしてるってこと!?」
奏汰が目を丸くして飯塚を見た。
「はい。母は県外で兄夫婦と同居してるんですが、父の遺した田んぼを手放したくない、父の田んぼの米が食べたい、と言うもので……。私はもともと休日に父の米作りを手伝っていたのもあって、父が亡くなった五年前からは、ひとりで米を育てています」
「お母さまの気持ちを尊重なさって……飯塚さんはお優しいんですね」
獅狛の言葉を聞いて、飯塚は淡く微笑んだ。
「母の希望を叶えてあげたいとも思うのですが……会社でもそれなりに責任のある地位におりますし、二足のわらじも厳しくなってきました。田んぼに張った水が干上がってないか、気温はどうか、台風で稲が倒れてないか、いなごにやられていないか……。それ以外にもいろいろ心配で、ちょくちょく田んぼの様子を見に来なければいけません。家族サービスがおろそかになって、妻もあまりいい顔をしないんですよ……」
「じゃあ、こっちに越してきたらいいじゃん」
奏汰が軽い調子で言い、飯塚は奏汰を見て首を横に振った。
「今の仕事を辞めて米農家として生計を立てていく自信はありません。田んぼ自体、小さいですから。それに、私の妻も中学生の娘も、今の都会暮らしを手放したくないと言うんです」
飯塚の沈んだ表情から、彼が苦悩しているのが伝わってきた。
「ですが、体力と気力が続くうちは、今のやり方を続けるつもりです。母は私の作る米を毎年楽しみにしていますから。私がどうにかがんばるしかありません」
飯塚は笑顔を作ったが、頬が引きつっていた。それが無理しているように見えて、とても痛々しい。
けれど、柚香にはかける言葉が見つからなかった。がんばっている人に、これ以上“がんばって”なんて言えない。そう思ったとき、獅狛が静かに言葉を発する。
「では、一息つきたくなりましたら、ぜひししこまに寄ってくださいね。何曜日でも、何時でも、飯塚さんのためにおいしいお茶をお出ししますから」
「ありがとうございます。ここに私を受け入れてくれる場所があるのだと思うと、それだけで心強いです。遠慮なく、また来させていただきます」
飯塚はホッと微笑んでババロアを食べ、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「本当に一息つくことができました。ごちそうさまでした」
そう言って飯塚は賽銭箱に硬貨を入れ、来たときよりも少し表情を明るくして店を出ていった。
格子戸が閉まって、奏汰がつぶやく。
「えっ、会社員をしながら農業もしてるってこと!?」
奏汰が目を丸くして飯塚を見た。
「はい。母は県外で兄夫婦と同居してるんですが、父の遺した田んぼを手放したくない、父の田んぼの米が食べたい、と言うもので……。私はもともと休日に父の米作りを手伝っていたのもあって、父が亡くなった五年前からは、ひとりで米を育てています」
「お母さまの気持ちを尊重なさって……飯塚さんはお優しいんですね」
獅狛の言葉を聞いて、飯塚は淡く微笑んだ。
「母の希望を叶えてあげたいとも思うのですが……会社でもそれなりに責任のある地位におりますし、二足のわらじも厳しくなってきました。田んぼに張った水が干上がってないか、気温はどうか、台風で稲が倒れてないか、いなごにやられていないか……。それ以外にもいろいろ心配で、ちょくちょく田んぼの様子を見に来なければいけません。家族サービスがおろそかになって、妻もあまりいい顔をしないんですよ……」
「じゃあ、こっちに越してきたらいいじゃん」
奏汰が軽い調子で言い、飯塚は奏汰を見て首を横に振った。
「今の仕事を辞めて米農家として生計を立てていく自信はありません。田んぼ自体、小さいですから。それに、私の妻も中学生の娘も、今の都会暮らしを手放したくないと言うんです」
飯塚の沈んだ表情から、彼が苦悩しているのが伝わってきた。
「ですが、体力と気力が続くうちは、今のやり方を続けるつもりです。母は私の作る米を毎年楽しみにしていますから。私がどうにかがんばるしかありません」
飯塚は笑顔を作ったが、頬が引きつっていた。それが無理しているように見えて、とても痛々しい。
けれど、柚香にはかける言葉が見つからなかった。がんばっている人に、これ以上“がんばって”なんて言えない。そう思ったとき、獅狛が静かに言葉を発する。
「では、一息つきたくなりましたら、ぜひししこまに寄ってくださいね。何曜日でも、何時でも、飯塚さんのためにおいしいお茶をお出ししますから」
「ありがとうございます。ここに私を受け入れてくれる場所があるのだと思うと、それだけで心強いです。遠慮なく、また来させていただきます」
飯塚はホッと微笑んでババロアを食べ、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「本当に一息つくことができました。ごちそうさまでした」
そう言って飯塚は賽銭箱に硬貨を入れ、来たときよりも少し表情を明るくして店を出ていった。
格子戸が閉まって、奏汰がつぶやく。