だが、医師と患者。見えない壁が二人の間を(はば)んだ。
 いつもの僕ならそれに気付いた途端、早々に諦め、暗闇の中に逃げ込んでしまったと思う。でも、今度ばかりはそれをしたくないと思った。
 何となくだが、先生も僕のことを想ってくれているように感じたのだ。


 しかし……先生は医師という立場を崩さず、何を置いても傾聴(けいちょう)を重んじた。
「私のことより……」
 そう言って、僕の話は聞きたがるのに、自分のことは一切話してくれないのだ。
 医師として当然の態度だが、それ以外にも理由があったことを……僕は後に気付いた。


 だが、その頃の僕はいつまで経っても縮まらない距離に(ごう)を煮やし、反抗するように口ごもることが多くなった。まるでガキだ。
「大丈夫です。焦らずゆっくり進みましょう」
 それなのに先生は、そう言って僕を励ましてくれた。
 その献身的な態度に、僕は医者ほど試練の多い職業はないかもしれないと思った。
 そんな苦行とも思える場所から逃げようとせず、日々、彼女は根気強く患者に立ち向かっている。完敗だと思った。


 結局、僕はそんな先生に(あらが)うことができず、気が付いた時には、秘密にしていた転生のことを話していた。
 普通なら、獏だったなんて非現実的な話し、まともに取り合ってくれないと思う。
 だが、先生は僕を馬鹿にすることも、嗤うこともなく、ジッと耳を澄まして聞いてくれた。
 それが嬉しかったから、僕はあの少女のことまで話してしまったのかもしれない。
 すると、それまで黙っていた先生が、「獏さんは彼女のことをどう思っていたのですか?」と尋ねた。


 どう思う? 意外な質問だった。
 そんなこと、今まで一度も考えたことがなかったし、彼女の悪夢を食べたのは、獏として当然の〝仕事〟だと思っていたからだ。
 だが……本当にそれだけだったのだろうか?
 改めて訊かれて僕は、うーん、と考え込んでしまった。


 そして、ああ、と気付いた。彼女の悪夢を食べ続けたのは――。
「先生、僕は彼女が……好きだったみたいです」
 そう答えた途端、靄のかかっていた世界がすーっと晴れていくような感じがした。と同時に先生を見ると、なぜだろう? 先生は涙しながら「ありがとう」と微笑んだ。
 その微笑みに僕はハッとした。