湯島天神はつくも質店から無縁坂を下り、天神下交差点で春日通りを超えた向こう側にある。いつも利用している湯島駅から徒歩数分なのに、なんとなく行く機会がなくて私が訪れるのは今日が初めてだ。
ちょっとわかりにくい小路を入ると『おんな坂』と書かれた石碑が道端に置かれていた。上を見上げると、坂というか、石畳の階段がある。その階段を上まで登りきると湯島天神の社殿がある。
階段を登っていた私は、ふと鞄から振動を感じて立ち止まって中を覗く。案の上、中に入れたスマホはラインが届いたことを報せる緑のランプが点滅していた。
『今度ライブやるから、よかったら来ない?』
画面を見て呆れてしまった。
よくもあんな別れ方をした元彼女にこんなお誘いをできるものだと、その神経の図太さに尊敬の念すら湧いてくる。きっと、よっぽど集客が悪くてスマホに入っている連絡先に片っ端から連絡をしているのだろうと容易に想像がついた。
『いかない』
そこまで打って手を止める。
いや、むしろ行って、ちょっとしかいないお客さんの前で、この人はとんでもなくひどいクズ男だってぶちまけてやろうか。それとも、相変わらず売れてなくってざまあみろって言ってやる?
そんな意地悪な考えが湧いたけれど、すぐに私は小さく首を振る。そんなことしても、きっと自分が虚しくなるだけな気がする。
「どうかしたのか?」
私がとなりにいないことに気付いた真斗さんが、こちらを振り返って怪訝な顔をした。
「いえ、なんでもありません」
私はちょっと考えて、打った文字を消すとラインのブロックをした。そして、笑顔で真斗さんの方へ駆け寄る。
人を恨んでも、過去に囚われても、仕方がない。
とびっきり素敵な女性になって、あの頃は自分も若かったと笑っていたい。
きっとこんなふうに私が思えるようになったのは、真斗さんやつくも質店で出会った人々との交流があったからだろう。
「真斗さん、ありがとうございます」
「何が?」
「色々と、です」
意味がわからないようで毒気を抜かれたような表情をした真斗さんは、こちらを見下ろすと「変な奴」と言ってくすりと笑った。
あどけない表情に、胸がトクンと跳ねる。
まだ新年の参拝者で溢れる湯島天神の大きな本殿にお参りしてから、ふとここの天神様もシロやフィリップのように姿があってお喋りをするのだろうかと思った。
「……真斗さん。私、今年は小説書きたいなあって思います」
「うん」
「ちょっと不思議なお店が舞台の、ヒューマンドラマなんてどうかなって」
「ふーん。いいんじゃね」
真斗さんは笑顔で相槌を打つ。胸にほっこりしたものが広がるのを感じた。