七月下旬となるこの日、私は一人、無縁坂を登っていた。
 気象庁が関東地方の梅雨明けを宣言したのはつい二週間前のこと。この時期特有の抜けるような青空が広がり、気温はぐんぐんと上がっていた。坂道を歩いているだけで、汗が噴き出してくる。 

 目的の場所が見えると、急に足が重くなるのを感じた。足元を歩いていたシロが「ニャー」と私に呼び掛けるように鳴く。私はギュッと目を閉じると、その鳴き声が()()()()()()()をした。

 通りに面した数寄屋門は最初から開かれていたのでそこをくぐり、玉砂利の中に配置された飛び石を踏んで中へ入る。引き戸式の玄関の斜め前には少し苔むした石灯篭があった。

「ごめん下さい」

 ガラリと引き戸を開けて呼びかける。すぐに目に入ったのは茶色い木製のカウンターで、その奥ではTシャツ姿の若い男の人が一人、本を読んでいた。

「はい。どうしましたか?」

 男の人が顔を上げる。若い女性の来客が珍しかったのか、眼鏡の奥の瞳が訝しげなものへと変わった。
 私はその人の顔を見て、ハッとした。以前ここを通りかかったときに見かけた人に似ていたのだ。

 髪形が少し違うし、眼鏡をかけていて服装も普通の洋服だからだいぶ雰囲気は違うとけれど、多分同じ人。それに、傍らにはあのときのインコがいた。

「あの……これ……」

 私はおずおずと鞄から黒い箱を取り出すと、それをカウンターに置いた。益々訝しげな表情を浮かべた男の人が、それを開ける。中には一本の黒光りした万年筆が入っていた。淵の部分は金色で、キャップの頂点の辺りには白い星のようなマークが入っている。

「質入れ?」
「……はい」

 足元をシロが片手で叩きながら、「ニャー、ニャー」と忙しなく鳴く。私は足を少しずらし、シロの猫パンチから逃げた。

「あんた、学生? 成人はしてないよな?」
「え?」
「質入れするときは身分証明書が必要。盗難品の可能性もあるし」
「盗難品じゃありませんっ!」

 咄嗟に大きな声が出てしまい、慌てて両手で口を覆う。
 盗難品なんかじゃ、ない。だって、これは──。

 男の人はこちらを一瞥してから私の足元を確認するようにチラリと見た。