『ご不要品のお引き取り致します つくも質店』
道路沿いの塀に貼られたそんなチラシに気が付いたのは、かの有名大学──東京大学の本郷キャンパスで行われる学園祭に行ってみようと、自分が通う大学(もちろん、東京大学ではない)の友達に誘われて件の学園祭に向かっている途中だった。
経年劣化からか少し削れた高い塀が続くレトロな雰囲気の坂道の途中、その店はひっそりと佇んでいた。見た目は純和風の古民家っぽい雰囲気で、通りからは店の中までは伺えない。引き戸式のドアが数メートル入ったところにあるのが見えた。
(中古品の買い取り屋さんかな?)
よく広告で見かける『あなたの不用品を高額買い取り!』という大手全国チェーンの中古品販売業者が頭に浮かぶ。
立ち止まった足元に、ふわりとした感触がして下を向く。ふわふわの白い猫──この子のことは勝手にシロと呼んでいる──が体を擦り寄せていた。
「シロ、このお店、中古品買い取ってくれるんだって」
「ニャー」
シロはまるで言葉がわかるかのように、返事をする。中古品か。何かあったかな? と、自分の持ち物を思い返してみる。値打ちものの壺なんてもちろん持っていない。高校の制服……は流石にまずいだろう。うーん……。
ニャー、とまた鳴き声がした。足下を見ると、シロがもう行こうと言いたげに片手を上げて私の足を叩いていた。ふと時計をみると、もう待ち合わせの時間まで五分しかない。
「あっ、早くしないと遅れちゃうっ」
「ニャ」
チラシから目をそらすと、私は慌てて歩き始めた。
早足に進みながら、脇を見上げる。通りの片側にはどこまでも高い塀が続いていた。
少し削れた高い壁は下の部分が石積で、上の部分は茶色のレンガ積み。
歴史を感じさせるこの通りは、森鴎外の『鴈』でも出てきた無縁坂だ。とうとう最後まで交差することがなかった医学生岡田青年への、とある男の妾《めかけ》の恋情。今から一〇〇年以上も前を舞台にしたお話だけれど、ここにいるとまるでその時代にタイムスリップしたような感覚を覚える。今に、下駄を履いた着物姿の青年が降りてくるじゃないかと……。
──カラン、コロン。
軽快な音に、ふと坂の上に視線を上げた。
「え?」
そこに現れた人物に目を奪われた。足元は温泉旅館に置いてありそうな下駄、衣装は紺色の着物、高い鼻梁とまっすぐに前を見つめる切れ長の瞳はきりりとした印象。
(まさか、本当にタイムスリップしちゃったの!?)
思わず、そんなことを思ってしまうほど、その人はこの坂に馴染んでいた。
見惚れていると、こちらに気付いたその人は私の足下にいる見えるはずもないシロを見やり、柔らかく目を細めた。
「大事にしてもらってんなぁ」
小さな呟きが聞こえると、シロがそれに応えるように「ニャー」と鳴いた。
バサリと音がして見上げると、緑色のインコのような鳥が頭上を舞い、その男性の肩に乗る。
さぁっと五月特有の温かくて柔らかな風が吹き、髪の毛を揺らす。
──カラン、コロン。
私は片手で髪を押さえ、後ろを振り返る。
ピンと伸びた和装の後ろ姿と肩に乗ったインコのアンバランスさが、妙に脳裏にこびりついた。