「わかったら、さっさと仕事をするんだな」
そんな花の心情を見透かしたように、八雲はそれだけを言い残すと踵を返して行ってしまった。
偉そうに……!と花は思わず臍を噛んだが、実際、若旦那という立場の八雲は花よりも偉いので、言い返すことは叶わなかった。
「でも! だからって、なんなのあの言い方……っ」
八雲の姿が完全に見えなくなってから、花は鼻息荒く息巻いた。
「まぁまぁ、八雲がああ言うのなら仕方がない。わしらは精一杯、傘姫のもてなしに備えるとしよう」
モフモフの尻尾を左右に揺らしたぽん太が宥めるように花に声を掛けたが、花の気分は最低なものだった。
「あ……そうだ。それでさ、今の話で相談があったんだけど」
その空気を払うように話を切り出したのは、ちょう助だ。ちょう助は先程まで何かを書き込んでいたノートのページを開くと、うーんと小さく唸ってみせる。
「週末に傘姫が来るってことを黒桜さんに聞いてから、傘姫にどんな料理をお出したらいいのか悩んでて……。実はさっきの新作デザートの試食が終わったら、それを相談しようと思ってたんだ」
開かれたページには、可愛らしい丸文字でレシピらしきものが書かれていた。
それはちょう助が料理長を任される以前から書き溜めた、レシピノートに違いない。
「前料理長だった登紀子さんも悩んでたんだけど、傘姫は食が細くて、毎回お出しするお料理を全部食べきれないんだ」
それを聞いたぽん太が、「花とは真逆じゃな」と余計なことをぽつりと呟く。
「それで毎回帰り際に、せっかく美味しい料理を出してもらったのに食べきれなくて申し訳ないって謝ってくれるんだけど……。登紀子さんは、お客様を恐縮させてしまうのはこちらの落ち度だって言っててさ。今回もそうならないように、何か対策を立てないといけないと思ってたんだ」
再び「うーん」と唸ったちょう助は、腕を組んで長いまつ毛を僅かに伏せた。
生真面目らしいちょう助の悩みに、花は荒んでいた心がほっこりと温かくなるのを感じる。
「単純に食べきれないなら、量を減らすしかないかなって、前に登紀子さんとは話してたんだけど……」
「じゃがなぁ、料理の品数を減らすのでは見栄えが悪くなるだけだら?」
「そう、ぽん太さんの言うとおりで、単純に量を減らすっていうのは、解決策にはならないと思うんだ」
「だから登紀子さんも、残してもいいからお料理をお出ししようってところに落ち着いていたんだ」……と、ちょう助は続けた。
相手は五十年前から毎年決まった日に、つくもに訪れるお客様だ。確かにふたりの言うとおり、あからさまに料理の量を減らせば、傘姫に品数を減らしたことを悟られてしまうだろう。
今の話を聞く限りでは傘姫が虎之丞のようなクレームをつけてくる客ということはなさそうだが、宿泊料は同じでお出しする料理を減らすというのは、宿としても最善策とは言えなかった。
とはいえ、また食べきれない量の料理をお出しすれば、食の細い傘姫を恐縮させてしまうことになる。
先程のちょう助の口ぶりでは、謝らなくていいとは前料理長の登紀子さんも散々言っていたのだろう。
それでも傘姫は、真心を込めて出された料理を残すことに抵抗を感じる、心の優しい付喪神様ということだ。
横柄で頑固だった虎之丞とは、雲泥の差があると言わざるを得ない。