「い……っ! た……っ」
花は一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ただ、擦りむいた膝には血が滲み、ストッキングは伝線して無残な姿に成り果てていた。
「怪しいから鞄にGPSを仕込んでみたら案の定だったわ! アンタ、この人と同じ会社の女でしょ!? 人の旦那を寝取ろうなんて、いい度胸してんじゃないの、クソ女!!」
「ヒトノ……ダンナ?」
花は人生で初めて自分の耳を疑った。昔から地獄耳で有名だった花は、小銭の落ちる音を聞き逃したことはなかったというのに、だ。
地べたに両手をついたまま花が顔を上げれば、閻魔大王を思わせる迫力の女性が仁王立ちしている。
「あ、あの……ヒトノダンナ、とは……?」
「しらばっくれてんじゃないわよ! つーか、知らないとか言わせないし! この人はね、去年私と結婚したばかりなの! それなのにその幸せをアンタが壊してくれたのよ! アンタは必ず地獄に落ちるわよ! いいえ、今すぐあの世に送ってやるから覚悟しな!!」
元号は令和に変わり、世の中は物騒になったものだと花は思う。初対面の女性にまさか、あの世に送ってやると糾弾されるような生き方を花はこれまでしてきたつもりはなかった。
(っていうか、結婚してるって……)
つまり花はそこで初めて、杉下が既婚者であることを知ったのだ。
社内では杉下に言われた、「会社の奴らにバレると茶化されそうだから……」と言う言葉を信じて関係を内密にしていたのだが、まさかあの言葉にこんな裏が隠されていたなんて、思いもしなかった。