「お客様は神様だという言葉が現世にはありますが、それは別に神様だから横暴な振る舞いをして良いという意味ではないのです。虎之丞殿は先々代の頃からの常連様で、つくもにとっても大切なお客様です。ですがこれ以上、私の部下の心を痛めるような行為をなさるのなら、私も黙っていられません」
そこまで言うと八雲は、スッと花へと目を向けた。
(え……?)
突然のことにドキリと花の胸の鼓動が跳ねる。
花は反射的にギュッと膝の上で拳を握ると、八雲の艶のある目を見つめ返した。
「そして何より、私の伴侶となる彼女を貶めるというのであれば、いよいよ容赦は致しません。彼女を守るのは将来の夫である自分の務め。刺し違えるご覚悟を持って、常世の神にご報告なさいますよう肝に銘じていてください」
一縷の迷いのない声で言った八雲は、カミソリのような鋭利な眼差しを虎之丞へ向けた。
それは決して宿の主人がお客様に向けてよい目ではなく、緊迫した空気が部屋の中には立ち込めた。
けれど、八雲の隣に座す花の胸の鼓動はトクトクと甘い音を奏でていた。
まさか八雲が、自分を庇ってくれるとは思わなかった。それも、自分を守るのが将来の夫である自分の務めとまで言って……。
(な、なに、これ……)
たとえこれがこの場を乗り切るための嘘だとしても、花はドキドキせずにはいられなかった。
相手が八雲だとわかっているのに、胸の動悸が治まらない。
「す……すまなかった。わ、わしが悪かった」
と、不意に虎之丞が弱々しい声を出した。
「お前さんの言うとおり、お客様は神様……そう、自分は本当に付喪神であるから、その通りに振る舞っても良いと思っていた……」
そう言う虎之丞は先ほどまでの威勢をスッカリ失くして、背中を丸めて縮こまる。
まるで叱られた子供のようだ。大柄な身体が小さく見えて、花はなんだか同情せずにはいられなかった。
「現世で溜まったストレスを、ここで発散しておった。ここでなら、大きな顔ができると思って……。すまん。料理長、お主の作った料理は登紀子さんに負けないくらい美味い。それにそこの娘も……威圧的なことばかり言って、悪かったの。アジフライはお前の言うとおり、絶品じゃった」
シュンとする虎之丞は、よほど八雲の言葉が堪えたのだろう。
そうなると八雲は一体何者なのかと花は喉を鳴らしたが、八雲本人に尋ねられそうもない。
本当に身体が縮んだのではないかと思うほどの虎之丞の萎れっぷりに、花も先程までの理不尽な言い掛かりも頭の片隅へと追いやられた。
「こ、この通りじゃ。本当に、すまなかった……」
「そ、そんな、頭を上げてください……! 私はただ、虎之丞さんにちょう助くんのお料理を食べてほしかっただけなんです!」
もちろん、ちょう助を侮辱したことには腹が立ったが、それでも一口でもちょう助が作った料理を食べてくれたらきっと満足してもらえるはずだと思っていた。
「ほ、本当か?」
「本当です! や、八雲さんも、虎之丞さんにはこれからもお客様として、つくもに訪れてほしいと思っているから、敢えて厳しいことを言ったんだと思います……!」
さすがにこのフォローには無理があるかと花は思ったが、八雲は花の思いに答えるように「そうです」と小さく頷いてくれた。
「大変生意気なことばかり申し上げまして、申し訳ありませんでした。どうかこれからも、つくもを末永くよろしくお願いいたします」
三つ指をついた八雲の隣で、花も改めて頭を下げた。
そうして再度、花が虎之丞に料理を進めると、虎之丞は思い出したかのように笑顔になって食事の続きを始めた。
「ありがとう、美味い。やっぱり、つくもの料理は絶品じゃ!」
虎之丞の笑顔を見届けてから、八雲に続いてちょう助と花は松の間をあとにした。
廊下に出て、階段を降りてから、花は思わずふぅーと長い息を吐く。
「よ、よかった……」
ズルズルとその場に尻もちをつきそうになるのをグッと堪えた。
そして何も言わずにその場から立ち去ろうとする八雲を慌てて追い掛けると、八雲の着物の袖をギュッと掴んだ。