「……お客様が吠えている間に、せっかくのお料理が冷めてしまいます」

 背筋をスッと伸ばした花は真っすぐに虎之丞を見ると、凛とした声を響かせた。

「な……なんじゃ?」

 唐突な花の言葉に、八雲とちょう助はハッとして花を見やり、虎之丞は虚を突かれたような顔をする。

「ものは試しに、一口でも食べていただくことはできませんか? そうすれば、必ずご満足いただけるはずです」

 努めて冷静な口調でそう言った花は、虎之丞から一切視線を逸らさなかった。
 そんな花の力のある眼差しを前に虎之丞は数秒固まっていたが、ハッと我にかえると花を鋭く睨み返した。

「き、貴様っ。仲居の分際で、お客様に物申すというのか!」

 苦虫を噛み潰したような顔をして、虎之丞は吠える。
 けれど微動だにしない花を前に野良犬のように呻った虎之丞は、次の瞬間投げやりな態度で乱暴に箸を取った。

「ふん……っ! いいだろう、つまり貴様は、わしに文句は食べてから言えと言っとるわけだな⁉」

 花は頷かない。代わりに一秒たりとも虎之丞から目を逸らさず、態度で肯定を示してみせた。

「う、ぬぬぬ……。なんとふてぶてしい女だ。そこまで言うなら食べてやる! そこで見ておれ!」

 まるで、売り言葉に買い言葉だ。
 虎之丞は箸を持った手とは反対の手で拳を作ると座卓の上に置き、無作法に活きあじフライを箸で掴んだ。
 黄金色をした衣は見るからにサクサクで、箸で掴まれてもほんの少しもしならない。
 そして虎之丞は先ほど花が説明した特性のレモンの漬けダレに、アジフライをバウンドさせた。

「全く、こんなもの──っ」

 ザクリッ! と、小気味の良い音が鳴る。
 音を聞いただけでジュワッと鯵から溢れだした肉汁が、口の中いっぱいに広がったような錯覚に陥った。

「ん……っ、む、はむ……うぅ……っ」

 豪快に活きあじフライを頬張った虎之丞の威勢の良さが鳴りをひそめる。
 部屋にはレモンの爽やかな香りが広がり、思わず花はスンと鼻を鳴らした。

「こ……っ、これは美味い──っ!」

 ほとんど反射で出た言葉だろう。虎之丞はそう言って目を丸くすると、もう一口、今度はタルタルソースをつけてから大口を開けて、活きあじフライを頬張った。

「──そちらの活きあじフライは、先程も申し上げましたとおり料理長自慢の一品です。だから是非、虎之丞様にも食べていただきたく"特別に"ご用意させていただきました」

 あとを押すように口を開いた花は、まだ虎之丞から目を逸らさない。
 【特別】という言葉に気を良くしたのか、虎之丞は一瞬ピクリと片眉を持ち上げてから小さく唸ると、再度、活きあじフライへと目を向けた。