熱海温泉つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 


「わ、私、いきなり粗相をしたらどうしよう……!」

「まぁまぁ、そんなに緊張せんでも大丈夫じゃよ。いくら頑固者とはいえ、虎之丞もわしらと同じ付喪神じゃからの」

 そんな中、のんびりと構えたぽん太は、モフモフの尻尾を左右に揺らして微笑んでいる。
 さっきまで上がり框に座ってお茶を飲んでいたのだから、呑気も良いところだろう。

「それも、虎之丞の成りは人でいう八十過ぎた爺さんじゃ」

「え……そうなんですか……?」

「そうじゃよ。じゃからそんなに緊張しなくとも大丈夫じゃ。所詮、身体はご老体よ」

 フォッフォッと笑ったぽん太の笑顔は、まるで福笑いのようだった。
 虎之丞の見た目が人で、それも八十過ぎた人の成りをしているとは初耳だ。
 花はふたりが口々に言った『頑固ジジイ』ということばかりを気にしていたので、それならそうと早く言ってほしかったと思ってしまう。

「何より八雲が、今回も上手いことやってくれるだろうて。なぁ、八雲?」

 口端を上げて笑ったぽん太の隣で、姿勢良く立つ八雲は今日も、濃紺の着流しをまとって真っすぐに前を見据えていた。
 ぽん太の言葉に頷くこともしない八雲が今何を思うのか、後ろに控える花にはまるで予想もつかない。

(今日も静かだな……)

 代わりに思うのは、そんなことだ。
 顔を合わせれば八雲に嫌味を言われてばかりの花であったが、花が八雲に啖呵を切ってからというもの、一度も会話らしい会話をしていなかった。
 つくも内ですれ違えば、従業員である花から若旦那である八雲に挨拶くらいはした。
 けれど八雲側は花の挨拶に目を閉じて軽く会釈をするだけで、声を発することもなかった。

(別に……いいけどさ)

 最初はそれが若旦那の従業員に対する態度かと、憤りもした。けれど言いたいことはすべて、あのとき八雲にぶつけたのだ。
 謝られることはあっても、謝るようなことはしていない。仕事に悩む従業員を突っぱねる主人など、主人失格と思って何が悪いというのが最初から一貫して変わらぬ花の気持ちだった。
 だから自ら八雲に和解を持ちかけようなどという気はさらさら無いし、何より花は未だに八雲に腹を立てたままだ。

「あ……いらっしゃいました!」

 そのとき、黒桜が虎之丞の到着を告げた。
 ハッとして花が顔を上げると前方から真っすぐに、歩いてくる人影が目に入った。

(人影──いや、付喪神影?)

 花は一瞬首をひねったが、そんなことは実にどうでも良い問題だ。
 それよりなにより、想像とまるで違った虎之丞の姿に、花は驚きを隠せなかった。