「難しい人……というかまぁ、そもそも人ではなく付喪神じゃからのぅ」
不安げな花に対して、のほほんと答えたぽん太は尻尾をゆらゆらと左右に揺らした。
「それなら、その虎之丞さんは、そんなに難しい付喪神様なんですか?」
「まぁ……簡単に言うと虎之丞殿は、食にうるさく、機嫌を損ねると必ずくどくどとお説教を垂れる、いわゆるクレーマー風情な頑固ジジイなわけですよ」
饒舌に答えた黒桜の物言いは、客に対する言葉にしたら随分遠慮のないものだった。
目を丸くした花を見て黒桜は苦笑いを零すと、着物の袖で自身の口元を隠してしまう。
「失礼。いえ私もね、前回虎之丞殿がいらしたときは、予約の際の電話口での言葉遣いがなっていなかっただの、部屋まで案内するのが遅すぎるだの、それはもう延々とクレームの嵐……いえ、良いお勉強をさせていただいたのですよ」
つまり、黒桜も虎之丞の被害者というわけだ。
納得する花を他所に、またズズッと緑茶をすすったぽん太は「うーん」と唸ってから、モフモフの耳をピクリと動かした。
「そんなこともあったのぅ。加えて前回は、運ばれてきた料理が若干冷めていただの、もてなしがなってなかったなどと、わざわざ常世の神に報告してくれてなぁ」
「常世の神様に?」
花が聞き返すと、ぽん太は「そうじゃよ」と頷いて息を吐く。
「そのせいで、常世の神から八雲坊がお叱りを受けたんですよ。その上、仲居を辞めさせろと虎之丞殿が騒いでいたとも言われて、我々も対応に追われて散々でした」
「実際、滞在中は勤めていた仲居にくどくど文句を言っていたしのぅ。あの爺さんのせいで仲居をしていた付喪神も自ら、"もう自分にこの仕事は務まらない"と言って辞めてしまったんじゃ」
ふたりの話を聞いた花は、全身の血の気が引いていくようだった。
昨日、「どうして自分以外の仲居がいないのか?」という花の問いに、ぽん太は「随分前に辞めてしまった」と答えたのだが、まさかこんな事実が隠されていたなどとは思いもしない。
「そもそも、極楽湯屋つくもは付喪神たちが日頃の疲れを癒やしに来る温泉宿じゃから、普通の付喪神たちは働きたがらんのじゃよ」
「ここで働いてしまったら、自分が泊まりに来られなくなってしまいますしね。だから人員を確保するのも大変なのに……あの頑固ジジイのせいで、我々の仕事は倍に増えました」
最早オブラートに包む気もなくなったらしい黒桜の話は、完全に恨み節となっていた。
「じゃが、最後は必ず調理場を任されている磨石の付喪神の登紀子さんが宥めてくれて、事なきを得るんじゃよ」
「登紀子さん、ですか?」
初めて聞く名に、花が反射的に聞き返す。
「そうじゃよ。登紀子さんは、それはよくできた付喪神でのぅ。登紀子さんの作る料理は絶品じゃし、登紀子さんの気立ての良さに乗せられて、虎之丞も帰り際にはご満悦になるのがいつもの一連の流れでの」
つまり、これまでは登紀子さんが虎之丞を手のひらの上で転がしてきたということだろう。
「じゃから、今回も虎之丞が文句を言い出したら登紀子さんに諌めてもらって……」
と、そこまで言ったぽん太は不意に言葉を止めると、目を見開いた。
「そ、そうか、そうじゃった……!」
そして何かを思い出したかのように焦り始めると、手に持っていた湯呑みをポン!とどこかに消してしまう。