「わかるわかる。歩くのも面倒なときもあるしのぅ」

「歩くのが面倒って、身も蓋もない……」

 花は思わず溜め息をついた。
 ぽん太も黒桜も付喪神の割に神様らしい威厳はあまり見られず、妙に人間臭いところがある。
 かと思えば今のように驚かせてきたり、微妙にデリカシーに欠けるところもたまに傷だ。

「しかし、花が初めてもてなす客が虎之丞とは、いささか難儀よのぅ」

 モフモフの尻尾を左右に揺らしたぽん太が、うーんと小さく唸り声を上げた。
 黒桜も難しい顔で瞼を閉じて、考え込むような仕草を見せる。

「難儀って、その虎之丞さんがですか?」

 ようやく動悸が落ち着いてきた花が尋ねると、ぽん太は持っていた湯呑みに入った緑茶をズッとすすって、物憂げに眉根を寄せた。

「掛軸の虎之丞は、浜松市のとある資産家の屋敷に飾られている掛軸でのぅ。わしらほどではないが、その歴史は古く、つくもの常連客のひとりなんじゃ」

 つまり、つくもを贔屓にしている客ということだろう。
 お得意様と聞くと好意的な印象を受けるが、ぽん太の口ぶりではそういうことでもないらしい。

「八雲も当然、週末に虎之丞が来ることは承知しているんじゃな?」

「はい。しかし八雲坊にとっても、虎之丞殿は因縁のある相手でもありますしねぇ」

 ハァ、と溜め息をついたふたりを前に、花は不意に出た八雲の名前に身を強張らせた。
 花が思い出したのは昨日、ふたりから聞かされた話だ。花はこれから八雲と……不本意ながらもひとつ屋根の下で暮らすことが決定している。
 むしろ、既に一緒に住み始めたと言ったほうが正しいだろう。
 つくもで働くことを決めてすぐ、花は宿の一階に住み込み用の部屋を用意されることとなった。
 そして花と同じく、八雲もつくもの一階にある部屋で暮らしているという事実を、花は荷物を運び入れたあとで聞かされたのだ。

『主につくもの二階は客室を中心とした、お客様をおもてなしするための空間。そして一階は厨房と、我々従業員の住居となってます』

 仮にも花は八雲の嫁候補。それだけ聞くとロマンスでも産まれそうだが、相手が異常なほど塩対応なためロマンスどころか顔を合わせることも気まずくて仕方がない。