「あ……っ、あんな男のために泣くなんて……っ。絶対にしてやるもんかって、私……っ」
花の声が濡れた。これまでずっと堪えていたものが溢れ出し、花は思わず両手で自身の顔を覆い隠した。
「も……、ヤダ……っ」
それでもこれ以上は泣くもんか、と花は足掻く。母が亡くなってからというもの一度も涙を流したことがなかったのに、よりにも寄ってあんな男のために泣くなんて、情けないしまるで負けたような気持ちになる。
「……泣きたいときくらい、素直に泣いたらどうだ」
「え……?」
「泣くのを堪えて楽になるならいいが、堪えたところで気持ちが晴れるわけではないだろう」
そのときだ。八雲が不意に、口を開いた。
思わず顔を覆っていた手を避けた花は、声の主である八雲を涙で濡れた瞳で見つめた。
「俺に見られたくないなら隠しておいてやる。まぁ別に、俺はどちらでも構わんが……。とりあえず、今は泣きたいだけ泣いておけ」
(え……)
次の瞬間、花はそっと八雲に抱き寄せられた。
八雲は来ている着物の袖で花の顔を隠すようにして、小さな密室を作った。
トクン、トクン、と花の耳に触れる鼓動は間違いなく八雲のものだ。
お香を着物に焚きしめて香りを移しているのか、八雲からは品のある良い香りがする。
「大丈夫だから。もう十分だから、好きなだけ泣け」
優しい声。花は不思議と、懐かしい気持ちになった。
常に身近にある何かのような、それでいてどこかに忘れてきてしまったものの温かさを、八雲の自身に感じたのだ。
「う……っ、うぅ〜〜〜っ。く、悔しい……っ‼」
結果、それが引き金となった。
花は苦しげな声を漏らして八雲の着物の袖を掴むと、力いっぱい叫んだ。
「ムカつく! 嘘つき! 最低野郎〜っ! いくら遊びだったからって、少しくらい私を庇ってくれたっていいのに‼」
吐き出すだけ吐き出して、泣きたいだけ涙を流す。
今日までずっと堪えていた気持ちは意図も簡単に爆発し、涙と一緒に溢れだした。
「……っ、す、好きだったのにっ。結婚してたなら、最初からそう言ってよね……っ!! アンタを好きになった私ひとりが、バカみたいでしょ‼ アンタこそ地獄に落ちろ……っ‼ あの世に行けぇ〜っ‼」
花にはもう、恥じらいもクソもない。
内に溜まっていたものをすべて外に出すように、花は八雲に甘えてひたすら素直に泣き続けた。
♨ ♨ ♨
「……ぅ、すん」
それから、一体どれほどの時間が経った頃だろうか。八雲の腕の中で心ゆくまで涙を流した花は、ゆっくりと身体を離した。
約十八年、堪え続けた涙は留まることを知らず、八雲の綺麗な着物の袖を湿らせている。
それでも花が泣いている間、八雲は一言の文句も言わずに花に胸を貸し続けた。
「す、すみません……もう大丈夫です……」
再び、すん、と鼻を鳴らした花が顔を上げると、八雲は花が泣く前と表情ひとつ変えずに「そうか」と小さな相槌を打った。
ようやく冷静さを取り戻した花は、なんだか急に恥ずかしくなって思わず頬を赤く染めて視線を下へと落としてしまう。



