「まご茶漬けは、ここ熱海で愛されている郷土料理のひとつです」
「郷土料理……ですか」
「漁港でとれた新鮮な魚を、刺身やたたきにしてご飯の上に乗せ、お茶やあつあつのお出汁をかけて食べていただく、昔ながらの漁師めしです」
"漁師めし"とは実に、熱海らしい響きである。
お茶やお出汁をご飯にかけて食べる……ということはつまり、お茶漬けのようなものだろうか。
「まご茶漬けの名前の由来については諸説ありますが、"まごまごしてると美味しくなくなる"という理由から来ているのではないかというのが通説です」
まごまごしていると美味しくなくなる……つまり、さっさと食べないと美味しくなくなるということだ。
「そ、それなら早速いただきます……!」
空腹の限界と、まご茶漬けの名前の由来を聞いた花は急いで箸を手に取った。
「……お待ちください」
すると、そんな花の手を八雲の冷ややかな声が静止した。
花はまるで飼い主に「待て」をされた犬のような気持ちになったが、お櫃の中身に伸ばしかけた箸を止めると、飼い主さながらの八雲の顔を静かに見つめた。
「つくものまご茶漬けは、三度楽しんでいただけるものです」
「三度楽しむ?」
「まず最初は、お櫃の中身を茶碗によそい、そのままで食べてみてください」
そう言った八雲は慣れた手つきで何も入っていない茶碗を持つと、添えられていた小さなしゃもじでお櫃の中身をすくってよそってくれた。
「どうぞ、お召し上がりください」
出来上がったのは、小さな"鯵の海鮮丼"である。
見るからに新鮮そのものな鯵の切り身の乗った海鮮丼は、熱海の海鮮料理店が空振りに終わった花にとって、念願叶う一品でもあった。
「あの、お醤油は……?」
「ご用意はありますが、既にこちらの鯵の切り身には一度、つくも特性の醤油をくぐらせ味付けをしておりますので、そのままでも美味しく召し上がることができます」
ゴクリと花の喉が鳴った。
特性の醤油にくぐらせてあるとは、なんと用意周到なことだろう。
「それじゃあ、このままでいただきます……」
今度こそ箸を持った花は、たった今八雲がよそってくれたばかりの鯵の海鮮丼を大胆にすくった。
箸の上で鯵の身が輝いているように見える。新鮮だからか、魚特有の嫌な匂いもしないのが印象的だ。
花は熱々のご飯に乗ったそれを、パクリと一口で頬張ってみる。
「ん、ん〜〜!」
すると、うまい!と、言うのも惜しいほど、一口で鯵の旨味が口いっぱいに広がった。
(なにこれ……! 鯵の甘みが醤油の味に負けてない……!)
プリプリの鯵は噛めば噛むほど旨味が増して、食欲を増進させた。
たまらず、すぐに手を伸ばした花は、次に薬味の生姜を乗せてまた一口頬張った。
(お、美味しい〜〜〜っ)
生姜のピリとした辛さと鯵の旨味が絶妙にマッチする。胡麻の風味も鼻から抜けて、スーパーで売っている一パック398円の鯵のたたきとは、まるで別物の味だった。
「こんなに美味しい鯵の海鮮丼、初めて食べました……」
八雲がよそってくれた一杯をペロリと平らげた花は、ふぅ……とひと息ついて幸せを噛み締めた。



