熱海温泉つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 


「すみません! お先にお風呂、いただきました……!」

 扉を開くと、ふわりと風が頬を撫でた。
 約十二畳ほどの客室は、踏み心地の良い畳の和室で、女ふたりで泊まるには贅沢すぎる広さだった。
 繊細な格子戸や欄間。木製の窓枠、木製の雨戸といった古き良き調度品の数々。それでいて部屋の隅々まで掃除が行き届いており、ホコリひとつ見つけられない。
 何より花が一番驚いたのは、窓からの眺望だった。
 エントランスからはまるで想像もつかない景色が、窓の外には広がっていたのだ。

「すごいですね……」

 花が呟くと、窓の前の椅子に腰掛けていた鏡子が「ええ」と微笑みながら相槌を打つ。

「ここは現世と常世の狭間ですから、現世では見ることができない景色も眺めることができるのですよ」

 鏡子の言うとおり、窓の外には見渡す限りの熱海の海が広がっていた。海の真ん中には、熱海の離島、初島も見つけることができる。
 花がつくもに来るまでの道を考えれば、マンションや建ち並ぶホテル群に隠れてしまい、海など見られるはずもなかった。
 けれどここでは何故か──二階の部屋から、なんの障害物もなく熱海の海を望むことができる。
 どこまでも続く水平線。夜の海には、夜空に浮かぶ月の光を反射した白い道が通っていて、とても幻想的だった。
 朝になれば、それは美しい朝日を拝めるのだろう。
 ふと下を見るとエントランス横にあるつくもの美しい庭も眺めることができ、どこまでも贅沢づくしのお部屋だった。

(こんなに素敵な宿に泊まれるなんて……)

 最早、花の心には感謝に近い気持ちが芽生え始めていた。
 実家の父には一応温泉に入る前に、【今日は友達の家に泊まることになった】とメッセージを入れたのだが、自分だけ内緒でこんなに素敵な宿にいると思うと、父に申し訳ない気持ちになる。

(何より、ここにも携帯電話の電波が届いていることに驚いたけど……)

 それは黒桜いわく、現世と常世の狭間と言ってもここは間違いなく熱海の地なのだから、当然届くに決まっているということだ。
 とにもかくにも今日、花がここに泊まることができるのは全て、手鏡の付喪神である鏡子のお陰なのだ。
 鏡子がいてくれたから、つくもに辿り着くことができた。鏡子が八雲に頭を下げてくれたから……花は真冬の夜の熱海の町を、女ひとりで彷徨わずに済んだのだ。

「あの……鏡子さん、私……」

「どうしたの?」

 改めて鏡子の前に立った花は、言葉と同時に勢いよく頭を下げた。

「え……花さん?」

「ごめんなさい、私……! 不注意で鏡子さんを落として割ってしまって……っ!」

 けれど、そう言った花が顔を上げようとしたとき、不意に部屋の扉の向こうから声が掛けられた。