「そもそも、女性がひとりで夜道を歩くのも危険ですし……今の私には、彼女を守ることはできません。だから八雲さん、どうか今日は彼女とふたりでこちらに泊まらせてください。これは私の、最後の願いです」
言い終えて、鏡子は八雲に深々と頭を下げた。
その姿を見ながら、花はもうどうすることが正解なのか、わからなくなってしまっていた。
鏡子の言うことが確かであれば、もう終電は行ってしまったあとらしい。だとすれば花は今日は、熱海市内のどこかの宿に泊まるほかない。
いくら貧乏暮らしが染み付いているとはいえ、真冬の寒空の下で野宿をする準備はしてきていないし、女ひとりでそこまでできる度胸もなかった。
何より……今鏡子が言ったとおり、花は既に、心身ともに疲れ果てていたのだ。
度重なる不幸に加え、まさかの付喪神との遭遇。現世と常世の狭間にある温泉宿への訪問。
そしてそこで繰り広げられる夢のような出来事は、花にとってどれも想定外のことばかりだった。
(正直に言えば、もう今すぐにでも温かい布団に倒れ込みたい……)
とうとうそんなふうに考えだしたことが、花が疲れている何よりの証拠だ。
「八雲、鏡子もこう言っていることじゃし……」
「八雲坊、仮にも鏡子さんはつくものお客様ですよ?」
「後生です、泊めてください八雲さん……!」
ぽん太、黒桜に加えて鏡子に迫られ、八雲の眉間にシワが寄った。
そしてグッと苦虫を噛み潰したような顔をした八雲は両の袖に手を入れたまま、きれいな二重瞼を閉じて息を吐く。
「………………仕方がない」
ここまで納得のいっていない様子の「仕方がない」を、花は生まれて初めて聞いた。
けれどその八雲の返事に、ぽん太、黒桜、鏡子の三人は途端に表情を明るくして、今にも踊り出しそうなほど喜んだ。
「ありがとうございます、八雲さん……!」
「やったな黒桜、おい!」
「はい、やりましたね、ぽん太殿……!」
何やらぽん太と黒桜のふたりは、喜びの方向が少し違うような気もしないでもないが。
そして当の花は──内心で、ホッとしていた。
花にしてみたら付喪神専用の宿に泊まるなど不安でしかないが、鏡子も一緒だと思うと不思議と不安が半減する。
何より、花はとにかくクタクタだった。
クタクタ過ぎて、これ以上はアレもこれもと余計なことは考えたくはなかったのだ。
「それでは改めて、鏡子様、花様。本日は極楽湯屋つくもにお越しくださいまして、ありがとうございます。これからこの黒桜が、おふたりをお部屋までご案内──」
……ぐぅぅううううぅぅうううぅう。
そのときだ。まるで地鳴りのような音が、つくもの玄関ホールに響き渡った。
一瞬、その場にいる全員が目を見開いて動きを止めたあと、一斉に音の主へと目をやった。



