「もしかして……お母さんの形見の手鏡……?」
呟いて、花は慌てて鞄の中から手鏡の入った金襴袋を取り出した。
その瞬間、花の手の上の金襴袋がまばゆいばかりの光を放ち、辺りを白く染め上げた。
(な、なに……⁉)
あまりの眩しさに花が目をつぶると、不意に身体が真綿に包まれたかのような感覚に襲われた。
それはまるで今は亡き母に、そっと抱き締められたかのようで……。花の心は、灯火が点ったかのように温かくなった。
「──ようこそ、お越しくださいました。手鏡の付喪神であられる鏡子様と、そのお連れ様でいらっしゃいますね?」
「え……?」
けれどすぐに、花は現実へと引き戻される。
聞き慣れない声に驚き、パッと目を開いた花の目に飛び込んできたのは、真っ黒な着物に身を包んだ青年だった。
八雲ほどではないが綺麗な顔立ちをした痩身の男で、黒く長い髪を後ろで結っている。やけに青白い肌も特徴的だ。
(まるで長い間日に当たっていないみたい……っていうか、いつの間に?)
花の考えていることは、顔に出てしまっていたのだろう。
男は花を見てそっと微笑むと、僅かに頭を下げてから、改めて自分についての説明を述べた。
「私は、宿帳の付喪神の"黒桜"と申します」
「宿帳の、付喪神……?」
「はい。ぽん太殿と同じく、今はここつくもで従業員として働かせていただいております」
涼し気な目元をした男は、名を黒桜というらしい。
(それにしても、付喪神って……)
たぬきの姿をしているぽん太と違って、どこからどう見ても花と同じ、人である。
「付喪神は人に使われた"もの"なので、人に似た姿をしているのが通常なのですよ」
「は、はぁ……。そうなんですか?」
「はい。ぽん太殿のほうが例外なのです。なんだかんだ人の姿をしていたほうが、勝手が良いですしね」
(勝手が良い……)
黒桜は物腰の柔らかな青年だった。隣で仏頂面をして黙り込んでいる最低男とは、大違いだ。
(ああ、そうだ。さっきぽん太さんは、この人のことを"八雲"と呼んでいたっけ)
その八雲は未だに花がここにいることに納得がいかないのか、花の方を見ようともしなかった。
「それで、ご予約をいただいていた鏡子様。本日はお連れ様もご一緒にご宿泊ということで、よろしいでしょうか?」
不意に黒桜が、花の後ろへと目をやった。
反射的に振り向いた花は目を見張って息を呑む。
(え。だ、誰……?)
そこには花が見たことのない、美しい立ち居姿の壮年の女性が立っていた。
女性は葡萄色の着物を身に纏い、花を見て穏やかな笑みを浮かべている。
思わず言葉をなくして女性を見ていた花だが、そこでようやく自分の手に持っていた手鏡と金襴袋がないことに気がついた。
代わりに女性が着ている着物の裾には、見覚えのある青貝の螺鈿を活かした美しい梅の花があしらわれている。着物の帯は花が手鏡を入れるためにとネットで買った、金襴袋の柄とよく似ていた。
「驚かせてしまって、ごめんなさい。それと……いつも大切にしてくれて、どうもありがとう」
女性の声は、先ほど花が細道で聞いた声と同じだった。
(ああ、そうか──)
花はすべてを察して息を呑む。和服姿のこの女性が、花をここへと導いたのだ。



