「や、八雲さん、今私のこと──」

「いいから、早くしろ」

 けれど八雲は、感動には浸らせてくれない。
 花は仕方なく八雲に言われるがまま、両手のひらを差し出した。

「こ、こう……ですか?」

「ああ、しばらくそのままでいろ」

 すると次の瞬間、花の手の上にかざされた八雲の手のひらが光って、"あるもの"が現れた。
 そうして八雲はそれを、花の手の上に静かに乗せる。

「……受け取れ」

「え……。これ──」

 突然のことに花は驚いて目を見張った。
 そんな花を前に八雲は耳の先を赤く染めると、くるりと踵を返して背を向ける。

「この間、お前と大楠神社に行ったときに土産物屋のワゴンに立ち寄っただろう。そのときに偶然目に止まったから買ってみただけだ。……俺からのボーナスだと思って、受け取れ」

 相変わらずの、ぶっきらぼうな物言いだ。
 そんな八雲が花に渡したのは、幾何学模様の美しい寄木細工で作られた【手鏡】だった。
 鮮やかな葡萄色(えびいろ)と、目の覚めるような青貝色。加えて紅梅色の三色が、見事に木の木目に馴染んで伝統と近代とを結びつけた市松模様が美しい。

「……っ、」

 それは花以外の者が見れば、ただの寄木細工の手鏡に違いない。
 けれど、あのとき八雲が迷いなくこれを買ったのは──。
 きっと、これに使われている三色が、花をここへと導いた"彼女"のまとっていた色と同じだったからだろう。

「せいぜい、次は落として割らないことだな」

 そう言って、颯爽と歩き出した八雲の背中を見つめる花の目には涙が滲む。
 相変わらず、花からするといけ好かない男には変わりない。
 けれど今は、八雲が本当はとても優しい人なのだと知っている。

(ほんと、素直じゃないんだから……)

 段々と離れていく八雲の背中を見つめながら、花は思わず微笑んだ。
 残念ながら、素直じゃないのはお互い様だ。
 心の中で独りごちた花は、目に滲んだ涙を拭うと大きく息を吸い込んだ。

「付喪神になるまで、大事にします……‼」

 空は、快晴。
 今日も熱海の海は青く澄み渡っている。

 ──ここは、熱海にあるちょっと不思議な温泉宿。
 日常に疲れた付喪神様たちが、日頃の疲れを癒やしにやってくる、現世と常世の狭間にある温泉宿だ。

「フォッフォッ。みな、元気でよろしい」

 全国の付喪神の皆様、いつもお勤めご苦労様です。
 今日も熱海温泉♨極楽湯屋つくもは笑顔で、営業中です。




 『明日、あの世に嫁ぎます! 熱海♨付喪神様のお宿へようこそ』✽fin