熱海温泉つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 

「今日の宿泊を、一同揃って楽しみにしていたのだ」

 イケメンの柔らかな笑顔を受けた花は一瞬薙光に見惚れかけたが、また慌てて我にかえると「ありがとうございます」と答えて背筋を伸ばした。
 なるほどこれは、虎之丞とはまるで違う──と、比較するのは虎之丞に対して失礼極まりないが、眉目秀麗で風格も威厳もあるのに物腰まで柔らかいとは反則だろう。

「薙光殿、どうぞお先に」

「ありがとう。皆も今日はゆるりと、日頃の疲れを癒やしてくれ」

「ははっ、有り難き幸せにございます!」

 つくもの敷居を跨ぐ直前、五人の男たちがさっと前を空け、薙光に道を譲った。
 この上、人望まで厚いときたら、欠点が見当たらない。さすが国宝様というところだ。

(落ち着け、私の心臓……。いつも通りで、大丈夫)

 改めて薙光が国宝であることを意識した花の緊張は高まったが、花はグッと拳を握りしめると足を一歩前に踏み出した。

「どうぞ、お部屋までご案内いたします」

 そうして花は、精一杯冷静を保って六人をそれぞれに用意した部屋へと案内した。


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「薙光様。改めて、本日はつくもにお越しくださり、ありがとうございます」

 春の(よい)の風は心地が良い。
 その日、つくもにある三部屋のうち、薙光だけがひとり部屋、他の五人は三人部屋と二人部屋に別れて泊まることになっていた。
 最初の案内を終え、六人が温泉に入ってあとは夕食を待つだけとなった時刻に、花は再び薙光の客室を訪れた。
 三人と二人への案内は、それぞれぽん太と黒桜に任せている。

「薙光様、温泉はいかがでしたでしょうか?」
 
「ああ、変わらずに良い湯だった。さすが、極楽という名にふさわしいだけある。掃除の手も良く行き届いていたし、何より細やかな気配りが随所に見られて非常に良かった」

「……ありがとうございます」
 
 薙光の言葉に、思わず花の顔は綻んだ。
 他の付喪神も温泉や浴室を褒めてくれたことがあるが、温かい言葉をもらうたびに不思議と次ももっと頑張ろうと思うことができるのだ。

「そして何より……やはりつくもは、部屋から見える景色が美しいな。この景色が見られるだけで、ここに来た甲斐がある。庭園も見事なものだし、ここに来ると日々の喧騒を忘れられる」

 そう言った薙光は穏やかな表情で、窓の外の景色を眺めた。
 広大な海には熱海の離島、初島が浮かび、茜色の夕日と海の深い青が幻想的で美しいグラデーションの景色を産み出している。
 もう一時間もすれば、夜空には宝石のような星たちが輝きだす。
 満月の夜には海に白い月明かりの道が出来、まるで神様の通り道のような錯覚まで起こさせた。