「ありがとう、ございます。私……頑張ります」
それ以上、花は八雲の顔を見ていることができなくなって、手元へと視線を落とした。
今が夜で良かった。昼間だったら──顔が赤くなっているのを八雲に気づかれてしまったに違いないと、花は心の中で安堵の息を吐く。
「あ、あと……。朝は、すみませんでした。私、何も知らずに色々と無神経なことばかり聞いてしまって……」
視線を下に落としたままで、花は今朝のやり取りの件に対する謝罪を口にした。
ぽん太たちは八雲は怒っていないと言っていたが、配慮に欠けた質問だったのは確かなのだ。
八雲の父が他界していることを知らなかったとはいえ、その父に薙光たちをもてなす方法を聞こうというのは無遠慮にもほどがあった。
「今朝も言ったが、別に気にするようなことではない」
「でも……」
「父が亡くなったのはもう、随分昔の話だ。それに今は逆に……話せて良かったとも思っている」
「え……」
思いもよらない八雲の言葉に、花が弾かれたように顔を上げれば八雲の穏やかな瞳と目があった。
「仮にもお前は今、俺の嫁候補なのだから、俺の父親の話を知らないというのは変だろう? だから、他の付喪神たちに聞かれる前に話せて良かった。これでひとつ、お前が俺の嫁候補として不審がられる心配が減ったな」
花が、八雲の嫁候補として──。
(……っ、なに、それ)
八雲の言葉と悪戯な笑みを受けた花は、心臓が大きな手にギュッと握られたような感覚に襲われた。
初めてここで出会ったときには、花をひとりで現世へと送り返そうとした八雲だ。
下手をしたら花は神隠しにあって、現世にも帰れず永遠に現世と常世の狭間を彷徨うことになっていたかもしれない。
虎之丞がやってくるときにも、仲居として悩む花を突っぱねて、軽くあしらった。
見てくれだけは良いが、常に人を見下しているいけ好かない男だと花は本気で思っていた。
たとえ嘘でも、八雲の嫁候補でいるなんて真っ平ごめんだ。一年が経ったら、さっさと現世へ帰ろうと花は本気で思っていたが──。
「……っ、ズルいです」
「……ズルい?」
もう、これ以上ここにいたら、自分の心臓が持たない。
そう考えた花は、「なんでもないです、仕事のあとにすみませんでした」と言って逃げるように立ち上がった。
「そ、それじゃあ私は早速、ちょう助くんと一緒にデザートバイキングでお出しする新メニューを考えますね!」
早口でそれだけを言って踵を返すと、花は部屋を出ようと扉へ向かって歩き出す。
「失礼しまし──」
「──なぁ」
けれど、そんな花を八雲の凜とした声が引き止めた。
(え……?)
反射的に花が足を止めて振り返れば、床に後ろ手をついて身体半分をこちらに向けた八雲の、力のある目と目が合う。
「俺からも、ひとつ質問をしていいか」
「質問、ですか……?」
「ああ。お前はここを──つくもを、どう思う?」
突然の、思いがけない八雲の問いに、花は時を忘れたようにして固まった。



