「お前が道に迷ったかどうかなど、知ったことではない。熱海駅になど歩いていれば、いずれ辿り着くだろう」
「え……」
「だから、とにかく帰れ。ここにいられたら迷惑だ。どうやって迷い込んだのかは知らないが、二度とこの場所に足を踏み入れるな」
棘だらけの言葉を吐いた男は、威圧的に花を睨みつけた。
ここにいられたら迷惑だと言い切ったということは、やはり男はここの従業員に違いない。
(だとしたら、道に迷った観光客に対してこの態度と物言いは大問題でしょ⁉)
男の言動は横暴だとか失礼極まりないなどというレベルの話ではなかった。人としてどうなのか?と思うのは、花でなくとも考えることだろう。
腹は立つが、反論するのもバカバカしい。花が今そう思うのは、時間に急いているのとここに辿り着くまでに起きた出来事に、疲弊していたせいだった。
これ以上の厄介事に巻き込まれたくない。花がそう思って返事に迷っているうちに、また男が鬱陶しそうに口を開いた。
「今の俺の話を聞いていなかったのか。グズグズするな、さっさと来た道を戻れ」
「な……っ、グ、グズグズするなって、そんな言い方……」
「現にグズグズしているだろう。とっとと出ていかないと電車もなくなるんじゃないか? それとも本当はここに、油でも売りに来たか?」
「……っ、そ、そんなわけないでしょ!! 言われなくても、出ていかせていただきます‼ お忙しいところ、大変失礼しましたっ。ああそれと、たとえ土下座をされても、もう二度とこの宿には来ませんからご安心をっ‼」
精一杯の反撃だった。花はそれだけ言うと回れ右をして、男に言われたとおりに来た道を戻ろうとした。
(なんなのあの人……! ちょっと見てくれがいいからって、完全に人を見下してる最低男だ!!)
こんなに腹が立ったのはいつぶりだろうと思うほど、花は憤慨した。
ゲスの極み杉下に袖にされたときですら、ここまで腹を立てたりはしなかったのに──。
「──まぁまぁ、娘さん。来た早々、そんなに焦って帰ろうとせんでもええら」
けれど、そんな花の足を、聞き覚えのある声が引き止めた。
花がハッとして振り返ると案の定、先程のしゃべるたぬきが男の隣に立っている。
「あ、あ……」
思わず目を見張った花は、声にならない声を出した。
するとそんな花を見てたぬきはニンマリと笑うと、隣に立つ男を見上げて徐に溜め息をついた。



