「しっかし、お前さん、てっきりピーピー泣くかと思ってたが全然泣かんなぁ。なかなかに肝が座っておる、感心感心」
そう言って、きゅっと短い腕を組んだたぬきは花を見て、「うんうん」と頷いていた。
反対に花は呆然としたまま、上手く言葉が出てこない。
「ほれほれ、ボーッとしとると、また落とすぞ。とりあえず、さっさと袋の中に鏡をしまったほうがいい」
「え……あ……、は、はい……。すみません……」
「そうそう、それでいい」
たぬきに言われるがまま、花は鏡の欠片を金襴袋にしまい入れた。
割れた鏡の欠片は粉になってしまったものを除けば、多分これで全部だろう。
「よし、割れてしまったのは残念だが、"もの"はいつか壊れるもんじゃ。嘘つき男のことも含めて、今回のことは犬に噛まれたと思って忘れるのがいい」
「忘れる……」
「本当に残念じゃったなぁ。だがしかし、そんなお前に朗報がある! 今ならもれなく、とあるお宿の主人の嫁になるチャンスが巡り巡って──って、おいっ‼ まだ話は終わっとらんぞー!!」
花の背後で、たぬきがピョンピョン跳ねて叫んでいる。
けれどそんなことはお構いなしに、花は割れた手鏡の入った金襴袋を鞄に押し込めると、一目散にその場から立ち去った。
「ハァ……っ、はぁ……。な、なにあれ……っ」
ドクドクと、花の心臓の音は不穏に高鳴り続けていた。自然と息は切れて、たった今起きたことを何ひとつ受け止められずに、手はカタカタと震えていた。
右手に交番、左手にファミレスの明かりが見える通りを駆け抜け、国道135号まで出てきた花は必死になってタクシーを探した。
けれど生憎、日曜の夜という条件のせいか空席のついたタクシーを捕まえることはできなかった。
(あ、歩いたほうが速いかも……っ)
花はとにかく、一刻も早くこの場所から離れたかった。そもそも終電の時刻を考えたら、あまり時間は残されてはいないのだ。
なにより、たった今自分の身に起きた出来事を受け止められない。
(二本足で立ってしゃべるたぬきと会ったなんて──それ自体が、日本昔ばなしの世界だよ)
凍えるような冬空の下、歩くよりもタクシーを探したほうが効率的なのはわかっている。
けれど今の花は、凍えてでも歩いたほうがマシだと考えずにはいられなかった。
とにかく早く、この場所から離れたいという思いが花の気持ちを逸らせる。
花は熱海駅へと向かうため、国道をまたぐ横断歩道を駆け足で渡った。
携帯電話の地図アプリで確認すると、熱海駅は北に真っすぐだ。
けれど目の前には大きなホテル群が立ちはだかっているため、花は左手側から迂回することにした。
すぐそこに、某大手コンビニチェーンがある。
隣にはパーキングがあり、更に左側には【干物】と書かれた食事処があった。



