「あと、もうひとつ言い伝えられているのは──」
「ねぇねぇ、知ってる? この大楠、願いごとを心の中で唱えながら木の周りを一回りすると、願いごとが叶うんだってー!」
そのとき、先程のカップルが花と八雲の前を横切った。
言葉を切られた八雲は口を閉ざすと、お役御免といった様子で目を閉じる。
「せっかくだし、うちらも行こうよ!」
髪をお団子のように頭の上で纏めた彼女は、可愛らしい笑みを浮かべて彼氏の腕を引くと通路に向かった。
健康長寿だけでなく、願い事まで叶えてくれるとは、見かけ通りに太っ腹な大楠様だ。
「──そういうわけだ」
一応、と言った様子で言葉を添えた八雲は、腕を組んで大楠を見上げた。
不意に吹いた風が、八雲の前髪を僅かに揺らす。
圧巻の自然の前に佇む八雲は絵画のように美しく、花は見惚れずにはいられなかった。
まるで八雲自身が、ここを守る神様のようにも見える。
「や……八雲さんは、大楠の周りを一周しないんですか?」
赤くなった顔と高鳴る鼓動を誤魔化すように口を開いた花は、八雲から目を逸らして尋ねた。
「生憎、健康長寿にも興味はないし、今は特に叶えたい願いも思い浮かばない。だから、御利益にあやかりたいのなら、お前ひとりで行ってくるといい」
息をこぼすように、やわらかな笑みを浮かべた八雲は、流し目で花を捉えた。
追い打ちをかけるように心臓が早鐘を打ち始めた花は、胸の前でギュッと拳を握りしめると赤くなった顔を上げる。
「わ、わかりましたっ。それならお言葉に甘えて、行ってきます……!」
結果として花は、逃げるように先程のカップルが向かった通路へと足を向けた。
(な、なんなの、これ。もう……! 心臓、静かにしてよ……!)
高鳴る鼓動は落ち着くどころか、うるさくなる一方だ。
それでも通路の入口で足を止めた花は、大きく深呼吸をしてから改めて何を願うか考えた。
先程の本殿では、結局何もお願い事をすることができなかった。
だから今度こそ、間違いなく何かを願っておきたいところだ。
「あ……」
そのとき、ふとあることを思い出した花は、徐に顔を上げた。
(そうだ、これにしよう……!)
願い事を心に決めると改めて拳を握り、階段を一段一段上っていく。



